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あおひと君ブログ::ジャック・スパロウ
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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • ジャック・スパロウ
    テレビを見なくなってから・・・と何回も過去のブログに書いているから、自分にとってはよほどの大事件なんだろう(笑)

    でも友人知人と話していてテレビを見ていない人が多いのに少し驚いている。

    特に若い人ほど見ていないようだ。

    だから視聴率は以前1%が100万人(全国ネット換算)だったが今となってはずいぶんと実数は減っているはずだ。

    日テレの徳光さんマラソンは瞬間最高視聴率36・4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録、と言っているがどうみても3640万人(36.4 x 100万人)、つまり一瞬でも日本国民の約4人に一人がその画面を見てたか?!

    ところで制作中の青い大気シリーズのテーマはーーー

    もし、国がなかったら、国という概念がなかったら人類はどういう風になっていたのだろうか?
    国の代わりにどういうシステムが生まれていたのだろうか?


    ということが土台になっている。

    ホオジロザメやらマンタやらナショナル・ジオグラフィックの海洋ドキュメンタリー番組が大好きだけど魚って国境がない。そういえば渡り鳥にも国籍ない。でもアリやミツバチにはナワバリのようなものがある気もするが。

    そもそも国とは古代ギリシャでいうに、人間が安全かつ効率的に生きるために生活必須の行為を分担して行う、ということで工夫され生み出されたシステムだ。

    ある人はドングリの実を集め、ある人はイノシシ狩りにでかけ、ある人は泥をこねレンガを作り家を建て、ある人は畑を耕す、という風にすれば経済効率がいいし得意分野に特化すればより生産性もあがり生存確率と種の繁栄につながる。

    子孫繁栄の宿命を持つ我々生物のセントラル・ドグマにピッタシだ。

    現在、捕食動物の頂点にたった人類は60億人以上になり遺伝子レベルの次なる戦略の、より多くの遺伝子を残す能力のある人類をお互い目指すようになる。

    あらゆる手段を講じ、オットセイやゾウアザラシのハーレムのようにライバルたちを無能化(非生殖者化)させたり無駄な殺し合いにつながっている。

    それが差別化だったり戦争だったりするのだ。

    カントは世界共和国にしないと平和は訪れない、と言った。

    話を戻すと、古代ギリシャ時代になって国(ポリス)という制度が固まりデモクラシー(民主主義)が生まれた。

    ところで当時の古代ギリシャは現在とは背景が全く違う。

    選挙権のある市民とは成人男性だけだったが、一番大きなポリスだったアテネの人口で20万人弱(有権者は10万人もいなかった)だ。

    当時は奴隷制もあったからアテネ市民は今で言う資産ウンゼンフゲンダケある富裕層なのだ。

    日常の雑事などしなくてもよく、苦しいお仕事も兵役以外はなく、十分すぎるほどのベーシックインカムに保障された悠々自適な毎日があった。

    だからこそみんなの総意が反映されるデモクラシーが誕生し機能できたのではないだろうか。

    なにせ時間と精神的余裕があるから各人政治や国家についていろいろ議論できるし勉強できる。

    いま、与党民主党の代表選が注目されている。(ブログをアップする前に野田氏が代表に選出された)

    もはや現在、情報はグローバルにすぐ伝播し金融経済は国境がなくなり、この肥大化し法律と利権がはり巡らされた国という囲みの中で古代アテネのような直接民主制が機能するのだろうか?

    なぜなら候補者や有権者すべて一人一人が日々の生活に追われながら、こんだけ複雑になった法と規制を理解し、毎秒飛び込んでくるバイアスのかかった新しい政治経済科学もろもろの現状を分析し自分たちの意見・要望を反映させるべき代議員を選ぶ、または立候補して政治に参加できるとは到底、思えないのだ。

    だから文化発祥の地ギリシャはデフォルトでそれを自ら示してくれたのだ(笑)

    人々は民主主義こそが自由の象徴であり、民主主義によって正義は保たれる、と刷り込まれているにすぎないのかもしれない。

    そう思うひとつの理由が現在のマスメディアの誘導・偏向報道だ。

    すべてを把握・理解できない人々のために代わって説明し不正を暴き、権力者たちの暴走を防ぐというセイフティ・コントロールだったのがどうも虚像だったのだ。

    ここでアーティストの役目とは未来を創造力で指し示す、つまり視覚表現で進むべき方向性を指し示すことだと思っている。

    それは決して次は資本社会主義だとかアナーキズムだ、とかいう既存の思想や言葉をもって軌道修正するような作業ではない。

    哲学は驚きから始まる、とプラトンは言った。

    それは裏を返せば自分という存在を不安から解放することでもある。

    恐れは対象があるが不安はその原因の元がわからないものとハイデカーは定義する。

    この混沌とした現在(逆に言うと常に人間社会は混沌としているのだが)、この不安がどんどん大きくなっているのは確かだ。

    ハイデッカーの有名な概念に投企性(geworfenheit)というのがある。

    人は勝手に知らない世界に投げ込まれた。

    この投げ込まれた(生まれた)環境と折り合いをつけながら生きるしかない、だから自分の真の立ち位置がわからず常に不安に追いかけられるのだ、と。

    この自分だって20世紀に日本の東京に生まれて日本人で日本語をしゃべっているが、自分の意思でも希望でもなんでもない。

    気づいたらそうなっていただけだ。

    でも気に入らないからってこの人生を他の者と変えたり止めるわけにはいかない。

    これじゃあ誰だって不安だよね!

    アーチストや哲学者はこの不安という見えない大きな敵に勇猛果敢に挑み、光を当てようとするジャック・スパロウなのだ。

    さあ、明日はスウェーデンに出発だ。

    初めての美術館での個展、ドキドキ。

    また現地からもブログ更新できたらしたいと思ってます。

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