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あおひと君ブログ::2012
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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • 2012
    あけましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

    「新年あけまして」と新年をつけるのは文法上正しくないと知ったのはつい最近。

    明けるのは旧年だから、新年があけるのは可笑しい、というのが正しい理由だそうだ。

    自分の勉強不足なせいでもあるが、昔はそんなことを言われた覚えも学校で注意されたこともなかった。ネットが隆盛になって知ったような気がする。

    ところで昨年から先鋭なる批評家 東浩紀にハマッている。

    評論や批評家で話題になったり売れたりする人はだいたい文章がわかりやすい。それは内容のわかりやすさと言うよりも、話の筋立てがパズルがうまくハマッていくようなサクサクしたリズム感がある。

    東氏はポストモダンのパラダイムを軸に社会学、哲学、民俗学的嗅覚をもってオタク文化やゲーム、アニメなどに鍵穴を見つけ出し施錠をはずし、現在の日本人の精神構造や心理状態を解き明かそうとする。

    彼の評論から察するにパソコンやインターネット、ゲームなどでコミュニケーションの方法が変わり無意識ながらも人間社会の価値観の変化を浮き彫りにしようと試みる。

    今年も引き続き、彼らの論説も参考にしながらリアリズムの正体を探し求めていきたい。

    なぜならリアリズムこそが表現の基礎だと思っているからだ。リアリズムをどう捉えているのか、現在のリアリズムは、宇宙ステーションが回転しながら重力を作るように、現在の社会は何をリアリズムの基軸にして回っているのか?!

    プラトンが詩(ポエム)と哲学を分離し、哲学は人類の真実を探求する学問として現在に続いているという。

    最初は神が中心にあり人間は人間だと認識していなかった、神の子だったのだ。神を中心に回っていた。それがルネッサンス頃から人間に軸に変わって来た。そして、この世には絶対真理があると信じられていたのが、それは各人の認識の問題に転回した。つまり自分はそれをどう思うか、に重点がおかれるようになる。

    それから現在に至るまで言語、認識、コミュニケーションとつねに中心が移ってきている。

    例えば、過去の美術作品を追って見てみるとよくわかる。最初はモチーフは神を中心にしていたのが、ルネッサンスが始まると、ジョットが人間を物語に登場させ、あっという間に権力者の肖像画が雨後の竹の子のごとく現れる。

    目に映るままに描くことがリアリズムだったのが印象派から個人が受け取るままが真実(リアリズム)だ、とのことで近代絵画の発展につながっていく。

    後期印象派、フォービズム、キュービズム、ダダ、ネオダダ、コンセプチュアル、ポップなどなど。こういう様式の変遷は哲学のシーケンスとは同時進行で進む。

    今ではボードリヤールの提言したシミュラークルな世界が疑問もなく受け入れられているのだ。マンガ、アニメなどの空想の世界、かつてのシューレアリズムだった世界が実世界にまでなった。オリジナルの存在しないコピーのオリジナリティ。

    お気に入りのタイプの女の子に惚れることより、猫耳やフリルに萌える、そこに感情のスイッチが集約される世界観。そして自分の好きなパーツをネットで集めて組み直して自分のオリジナルに仕立て上げて愛でむリア充。

    高田典明がそれをコミュニケーション的転回といい新しい切り口を指し示す。

    例えば現代美術系ギャラリーや展覧会がエマージェントアートとかダーティリアリズムと言うような個人の心象風景やかわいいキャラクターの作品であふれることになる。つまり自分がカワイイという感情を、不特定多数のみんなに判断をゆだねる快感=リアリズムがギャラリーにあふれているのだ。

    それとデータベース化という言葉もよく聞くが、アーティストはある意味、萌えるパーツのデータベース作りに励んでいる、それがアートだ、とも聞こえてきそうだ。

    ここでいうコミュニケーションとは相互理解のキャッチボールではなくてコミュニケーションをとってもらう相手本意の世界観がリアリズムの軸になってきている、という意味らしい。

    しかしそういう世界観も変わって来ている。リアリズムはプレートテクトニクスのように静かに移行している。

    その動きはあまりにも緩慢だから時計の分針のごとくよく見えない、認識出来ない。富士山の裾野におりて初めて全望できるのに似ている。
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