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あおひと君ブログ::人はわかりあえない!
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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 人はわかりあえない!
    年初早々、悲観的なタイトルから始まってしまう。。。

    人はわかりあえない!

    現在、哲学や社会学、思想界の共通した見解らしい。

    人類は今日までいろんな「正しいもの・こと」を見つけ出そうとしてきた。特にギリシャ時代からは専門的にそれを探す学問(哲学)も生まれた。

    だいたい哲学者、専門家にかぎらず人はつねに「正しいもの・こと」が大好きで、したがり知りたがり見つけたがりする。「正しいもの・こと」は時代によって変わるにもかかわらず。

    自分自身すら、自分は正しいのだ〜、と日に何回もつぶやいているような気がする。

    人はなぜ正しいことを求めるんだろう。それは、不安を軽減するための安全弁?自分の存在意義の確認作業?つまり人は性悪説?

    太宰治じゃないが、生まれて来てスミマセン!でも少しでも正しいことをしているから生きてていいよねって。。。

    昔は神がいて「正しいもの・こと」をおしえてくれた。ところが神とは違う真理があるということになった。でも時代を経るにつれ、よく考えると、それらすべてを認めているのはどうも自分の思考らしい。

    その自分の思考ってよく考えると、言葉が支配しているらしい。そのうえ人それぞれの言葉が指し示す意味は人によって違う、どうも各個人が持つ意味は決して一致しない、という見解に行き着く。

    だったらどうやって正しいことを見つけたらいいんだ!

    それが今、コミュニケーション的転回という言葉で現状を表現している。それは簡単に言うと、人はわかりあえることは重要ではない。差はあっても合意にいたることを重視する。

    わかりあえる!なんて幻想を目標にして時間と感情を無駄使いせず、わかりあえない、という前提に立つことによって「正しいこと・もの」が現れてくるじゃないだろうか?と先端思想家たちは言うのだ。

    もちろんその道の先覚者はもっと緻密に分析し専門的に証明しようとするのだから簡単には説明は出来ないし正直、自分の脳みそがついていけないけど、少しホッとする。

    今の世界にも自分にとっても、そのほうが都合がいい。

    いろいろな行き違い、争い、不調和、対立、悲劇が何度も起こって、そのたびに人間は学習能力がないバカな生き物と情けなくなることが多い。でもお互い「正しいこと・もの」を理解する時の意味が違うし、わかりあえないのだから当然の成り行きだったのだ。

    じゃなかったらあんな戦争みたいなことは二度としないはずだ。

    また、意味は、そのコミュニケーションという場において変容・生成・創造される、そうだ。難しい考え方だけど。

    ところでジャック・ランシェールという社会学者が「民主主義への憎悪」で述べているフレーズを孫引きするが、とてもハッとさせられた。

    「民主主義とはまさに、人間社会を構造化しているすべての関係を逆転することである。統治者は被統治者のようになり、被統治者は統治者のようになる。女性は男性と対等になり、父親は子供を対等に扱う慣習がつく。市民権を持たない外国人は市民と対等になる〜略」

    この部分だけみるとかなり過激に聞こえるが、イデオロギーや愛国心はワキに置いておいて、自分なりに合点がいく。

    私たち日本人は敗戦から発展への移行が急すぎた。つまり民主主義をよく知らないうちに一人前になった気がしているだけなのだ。この辺は専門家がポツダム民主主義とか敗戦民主主義とか、いろいろ批判はある。

    日本人は元来、民主主義は経験していないし戦後、急にGHQに言われて民主主義になったにすぎない。大正デモクラシーと言うのがあったが日本には天皇という存在があって、決してイギリスや他の共和国の王様女王様のような存在ではない。戦前の天皇暗殺計画のようなこともあったが、問題なのは個人個人の精神に焼き付いたタブーの烙印の方が根深い。

    そもそも民主主義は弱者と支配者層の権力闘争の結果だ。日本の場合は支配者層同志の闘争で一般市民が自力で民主主義になるチャンスも期待もなかった。それがなんかウヤムヤの中、敗戦の焼け野原から数年で復興し、気がつけば贅沢になったものだからいいとこ取りだけして、民主主義の本質や負の部分なんて知る由もなし。

    ところがこうやって世界との距離もグッと狭くなり、不景気になり、いろいろな不都合な問題が出始めると、今まで民主主義だと信じていた我々が、この格差は何だ!政府や官僚の私利私欲な政策や陰謀、スキャンダルなどに不満をぶつけ始める。

    例えば、ネットのスレッドやコメントから伺える世相に限って言えば、まるでみんな統治者のような勢いだ。ここでランシェールの言葉がガツンと効く。つまり増税野田与党、小沢裁判、民主党のマニフェスト無視、検察体質などなど個人的にも納得ならないが、ふと統治者になったつもりになってしまっている自分がいることに気づかされる。

    なぜなら民主主義は国民一人の意見も尊重されるはずだから!清き一票を投じているから、税金を払っているから、と。

    民主主義とは当たり前だけど相手を裁くためにあるのではない。まして自分の正しさを照会するモノサシでもない。国民全てがうまく社会の括りの中で効果的経済的利便的に運営するためのひとつのシステムにすぎない(幻想だけど)。自分の不満に思う相手も自分と同様な権利があるのは当然のこと。意見の齟齬は敵対することではない。

    ところがネットが発達してどこからでも、誰でも好きなことを発信でき、一人一人の知っていることや興味のあることだけがドドドッと殺到することになった。

    まさに今これを書いている自分も同じことを繰り返している。好きなこと興味のあること知っていることを、正しいことと信じ発信している。ほんの僅かに、賛同と意見の一致を夢見て、、、。

    そんな行為で発せられた何億何兆という情報や知識、見解が毎秒毎秒、無作為にデータベース化されている。「正しいもの・こと」とは万人の一致などはまったく期待もされず、各個人の「正しいもの・こと」がたくさんある状態になってしまったのだ。逆ピラミッド構造な世界だ。

    ところで北朝鮮のドキュメンタリーをナショナルジオグラフィックでやっていた。ここの世界はメディアを通じて知る限りにおいては、まったくのピラミッド構造で頂点に君臨する正しいものはひとつだけ。歴代指導者だ。

    レポーターが、どうすれば人はあんな精神構造になれるのかわからない、と驚いていた。でも、お互い様じゃないか?!北では90年代後半の飢饉のとき40%の子供が餓死したとまで言うが、資本主義社会だって貧困による餓死者の絶対数ではもっといる。

    そう思えば、思想家たちがいろいろ説を唱えるが、結局、今のグローバルスタンダードな社会ではお金がピラミッドの頂上にあるとも言えるけど、それを言っちゃ〜おしまいだぁ。

    でも哲学者がお金という意識や実存をもっと思考や思想の中心にすえた転回を唱えても、おかしくない気がする。

    じゃあ、これからはどうなるのか?どうすればいいのか?といろいろ考えながら自分なりの表現手段を模索する日々。

    なんかこのまま堂々巡りで終わってしまいそうだ(笑)

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    参考図書:動物化するポストモダン(東浩紀著 講談社現代新書)、ゲーム的リアリズムの誕生(東浩紀著 講談社現代新書)、現代思想のコミュニケーション的転回(高田典明著 ちくま書房)、もうひとつの愛を哲学する(アラン・ド・ボトン著 安引宏訳 集英社)
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