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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 自由と平等
    哲学は難しい。若かりし頃、背伸びしてカタ苦しい原書翻訳などをわかったつもりで読んだが、実は何もわかっていなかった。なのでこのごに及んで入門・解説書的な比較的簡単そうな著作を片っぱしから読みあさる。すると夜がうっすら明けるように彼らの難解だったメッセージが浮かび上がってくる。

    もちろん哲学者になろうと言うわけではないので自分の興味、関心のあるテーマに偏(かたよ)っているし、わかってきたと言っても概略の概略?くらいの意味だ。だから初心者すぎてわかりきったことかも知れない。異論やあやふやな部分もあると思うけどお許し願いたい。

    <人間にとって自由とは何か?>近代哲学における重要なテーマのひとつだ。

    一般的には「我思う、ゆえに我あり」という有名なコトバ(命題)を残したデカルトがヨーロッパ近代哲学の扉を開いたと言われている。その根拠のひとつがキリスト教的支配からの分離・解放だ。

    つまり自分って神様の僕(しもべ)だと信じていた人たちが、ほんとうは自分っていう人間なんだよね、と気づかされたのだ。今思えば当たり前のことなんだけど、中世ヨーロッパまでの人々にとって「自分」という意識や感覚は、我々現代人が思う「自分」とは意味や意識や役割が違っていたはずなのだ。

    長くキリスト教的世界観と超人的な王や圧政者たちの支配下で生きた中世ヨーロッパの僕たち。神がいなかったら生きていけないと信じていたから、神を信じることが絶対幸福だと思っていたから、それこそ信仰をはずれると地獄で現世以上に苦しめられると信じ込まされてきた「自分」だ。そんな中、一部の自分たちは貧困と疫病と横暴で無慈悲な執政者や高圧的権威に強制された宗教的人生に矛盾を感じモヤモヤした違和感を感じていたに違いない。

    例えが飛躍しすぎかもしれないけど、そんな状況を現在の我々におきかえると、人類は地球外からやってきた宇宙人だったのだ、というくらい突拍子もないことだと思う。そんなことを今は誰も信じていないだろう。ピラミッドもストーンサークルもやっぱり宇宙人の知識によって作られていた、なんて証明されたら我々はどう思うだろうか?(あまり変わらないかな?)

    なにしろ中世の人たちは大陽をはじめ宇宙は地球を中心に回っていた、とほんとうに信じていたのだから。ちなみに地動説で異端裁判にかけられたガリレオがカソリックに復権したのはなんと約350年後の1992年だった。

    哲学者やアーチストはそんな時代や世相を人一倍の感性と好奇心と実行力で、来る世界へ一点突破を仕掛ける人たちだ。哲学者はその辺のモヤモヤ感をコトバの魔法で真理や理論に作り替える専門家なのだ。ヨーロッパでは引き続きルソーという民主主義を打ち立てた天才が登場。一般意志や社会契約というコトバを使い自由と平等の意味を持ち出して国家や個人の価値が急上昇。さらにカント、ヘーゲル、ニーチェ、マルクスなど教科書の常連たちに受け継がれブラッシュアップ。途中、その実践がフランス革命にたどりつく。

    しかし、やっぱり自由や平等ということはコトバではわかるようになったけど自分たちの外で起こっていることと言えば哲学者の主張する世界とはほど遠い。戦争は繰り返されるし、せっかくフランス革命で市民が自由・平等を勝ち得たはずだったのに恐怖政治になったり、今度は金持ちと貧乏人の格差が生まれる結果となる。

    自由=平等ではなかったのだ!!!

    というのは自由とは何か?と問うとき、自由とはモノを所有できる権利がある、ということがキーワードのひとつだった。人は欲しいモノを自由に持つことができる、ということを自由の必須条件(与件)にしたのだ。

    自由を満喫したいがためモノを持つ。それはつまり平等な社会の証だ。でも万人が同じようにモノを持てるようにならなかった。お金の多寡に差がでてしまうと平等が成り立たない。つまり今度は違う方面から格差が生じてしまったのだ。

    自由と平等のアンチノミー=二律背反(にりつはいはん)だ。民主主義をいくら主張しても、平等は成り立たないという現実。民主主義を訴えるなら平等はあきらめなきゃいけないという、もうひとつの原理原則が混じり込んでしまった。

    それまでは王とか教皇とか血筋や権威が格差の根源だったのが資本家にすげ替えられただけだった。日本ではマルクスはスターリンとソ連とか共産主義の失敗であまりいいイメージがなさそうだが、哲学の世界では評判はいいらしく、自由=平等の不一致を指摘していた。

    そして戦後、それら近代社会の大きな反省からポストモダンという国家、市民社会、個人の自由、などのそれら概念は終わった、という考え方が台頭した。今ではそれさえ終わったらしいけど時流が早すぎるよね。(ポストモダニズムについては研究中)

    では「自由なき平等」=社会主義と「平等なき自由」資本主義から、「自由と平等」が両立できる社会へ、と世界は進んでいくのだろうか?「自由も平等もなき社会」にまた後戻りしてしまうのだろうか? それとももっとバーチャル化が進み「自由と平等のあるゲーム的社会」にでもなるのだろうか????

    もちろん哲学で言う自由とか民主主義とかはこんな簡単で単純な構造で解明されている訳ではない。複雑怪奇なコトバの洪水で硬く結晶化されている。それに多種多様な要因副因因果の青ビニールテープがからまっていて一筋縄ではいかない。

    デモでもデモ!おおよそ、こんな流れではあると思う。さらに人間の欲望の真理や相互承認の捉え方なども併せて理解すると思想世界ももっと奥深くなるので折りに触れて書いてみたい。

    最近読みあさった本の中では、竹田青嗣氏や西研氏がわかりやすくてよかった。「近代哲学再考」竹田青嗣著/径書房、「ウイトゲンシュタイン「私」は消去できるか」入不二基義著/NHK出版、「ヘーゲル・大人のなり方」西研著/NHKブックス、道の手帖「ヘーゲル入門」河出書房新社、「現代哲学入門」 西脇与作著 慶應義塾大学出版会、「ニーチェ」神崎繁著/NHK出版などなど。

    ところで、代々木公園を散歩すると園内の舗装工事は4月一杯続くとのこと。恒例の花見スポット一帯にもコーンやらサクでバリケートされていて今年の宴会はすんなり開催できるかどうか心配になってくる。それに例年だったらすでに先走り開花もチラホラ見られるのだが今年は全くない。ネット情報だと東京の開花は30日、見頃は7日から12日だそうだ。http://sakura.weathermap.jp/

    写真は昔の作品(1985年)
    1984wonderland02_s.jpg
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