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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 日本人のアイデンティティ
    あいかわらず格差(尖閣)諸島は、もめている。

    田中宇氏のメルマガが、中国領土問題について的確な分析を行っていた。
    [ 田中宇:尖閣問題と日中米の利害 ]:http://tanakanews.com/

    ここにきて、小渕書簡というものが、佐藤優氏によって指摘されている。それは尖閣諸島周辺での漁業操業に関しては、日本政府は黙認する、というような取り決めだ。これは中国に、尖閣諸島は、侵犯してもいいよ、とお済み付けを与えているのと変わらない、と佐藤氏は言うのだ。

    もちろん大スクープ並みのネタだと思うが、はたしてマスメディアは、これをどこまで報じているのか?
    【佐藤優の眼光紙背】1997年11月11日付の小渕書簡があるため日本政府は尖閣諸島周辺の中国漁船を取り締まることができない。:http://blogos.com/article/46928/

    26日のヤフーヌース・トップにはー「周辺国との摩擦激化」憂慮=安倍新総裁、「極右」と警戒—韓国
    時事通信:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120926-00000123-jij-int

    国内では、安部晋三氏が、与党首相のような報道。まるで新首相のような勢いで各局ヌース番組に出演。まあ、三党合意など民主党の態度をみれば、党内民主派閥と自民派閥くらいに、思われていても仕方ないけど。
    参考:田中秀征 政権ウォッチ http://diamond.jp/articles/-/25439

    この田中氏のコメントなんかも、見出しでは不安視しているが、よく読むと、まるで次期首相に期待し、誘導しているみたいだ。よっぽどマスメディアや大企業、御用識者たちは、自民党との蜜月時代が懐かしいのか、総選挙をにらんだサブリミナル情報を、必死に組み込む。

    なにしろ今の自民党は、憲法改正(自主的自衛権行使)、原発推進、小さな政府(自立自助=働かない者、食うべからず)で新自由主義(TPP,ACTA賛成)。

    あのジャパンハンドラー、対米追随派扇動部隊のひとり、ジョセフ・ナイ氏が、今回の尖閣諸島問題に関してさっそく、野田氏を絶賛。とうぜんアメリカの日中韓のホワイトナイトを自賛する意見が、随所に散りばめられている。

    一方、ジャパンハンドラーたちにとって、日本と中国の接近に、とても神経質になっているのも伝わってきて、また面白い。
    【中国は“1930年代の日本”への意識を引きずっている東京都の購入を防いだ「尖閣国有化」は正しい判断だ―ジョセフ・ナイ元米国防次官補(現ハーバード大学教授)に聞く】
    ダイヤモンドオンライン:http://diamond.jp/articles/-/25528

    つまり専門家や権力側の見方は、総選挙で、民主大敗、小政党ふるわず、結局、三党連立プラスα政権(民・自・公・国新・保守)になり、安部氏首相、石破官房長官あたりを見据えているとしか思えないのだ。

    アシュラサイトなどでは楽観的スレやコメントがあふれているが、小沢氏抹殺劇場を見ればわかるとおり、敵は徹底的にやってくる。特に、今回はTPP、ACTA、領土紛争(武器売買)など、金のなる木が実もたわわ、異常気象で大豊作だから、黙っているはずない。

    ところで、故加藤周一氏のやや古い対談集(「ことばと芸術」かもがわ出版 2000年)を読んでいたら、アイデンティティという言葉が飛び込んできた。

    1993年、井上ひさし氏との対談「日本語の現状を語る」の中で加藤氏が、「〜日本人のアイデンティティの根拠は何かというと、前は天皇や国家があったが、こうなると日本語が大事になってくる。言葉の危機は、アイデンティティの危機になるわけだ。〜」(P242)と言っている。(ちなみに、対談はちょうどバブル崩壊直後か)

    なつかしなぁ、アイデンティティ! 

    あまりにも新鮮に響いて、驚いた。なぜなら、日本人のアイデンティティは? とか、流行語のようにもてはやされていたのに、最近、めっきり聞かなくなっていたからだ。

    はてなキーワードから、その意味を引用すると ー
     自我同一性、自己同一性。あるいはそれがよって立つところのもの。アメリカの心理学者・精神分析家エリクソン(Erikson,Erik H. 1902-1994。『ライフサイクル論』など)が提唱。「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているものは何か、ということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)。
    参考:はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%A4%A5%C7%A5%F3%A5%C6%A5%A3%A5%C6%A5%A3

    う〜ん、わかりにくい。ウィキペディアの自己同一性の説明の方が、まだわかりやすい。
    参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/自己同一性

    あらためてアイデンティティについて考えてみる。

    ところが、アイデンティティを的確に言い表すキーワードが見つからない。ググると、やはりどれもピンと来ない。アイデンティティという音を聞くと、なんとなく漠然としたイメージは思い浮かべられるのだが、こうやってブログなんかに書いて説明しようと試みると、屁理屈のラビリントスに迷い込む。

    仮に、あおひと君は、全身青いからあおひと君のアイデンティティがあるとは、言えない。それは外観や容姿じゃない。

    自分って誰だ、自分として、どう生きていけばいいのか? と確信がもてず、ワイワイ騒いでいる、内なるふわふわした自分が、この世界や社会に出ても、ちゃんと立っていられるように、体を支える骨格のようなものがアイデンティティだ。とか、心の自分が外界でも生きていけるように、他人とちゃんとコミュニケーションできる自動翻訳機と、いろいろ例えてみるけど、なんかしっくり来ない。

    自分の出生への疑問が、エリクソンのアイデンティティ研究のキッカケになった。それは父親が特定できなかったことによると言う。エリクソンは、父親不在のために、なかなか自分に自信が持てなかった。つまり、父親がいない負い目から開放される存在証明のようなものを、自分の心の中から見つけ出したかったみたいだ。

    なんかコンプレックスと似ていて、重なる部分はありそうだが、すでにアイデンティティをもった他者同士との比較で生じるのが劣等感だから、アイデンティティとはちと違うと思う。(同じという研究者もいる)

    たとえば、一人で家のなかにいるときは、フルちんスっ裸でもいいけど、外に出かけるときは、何か着なければならない。つまりアイデンティティとは、その服のことかもしれない。でもその服は、どちらかというと私服じゃなくて、すこし語弊があるけど、みんなと同じ制服なのだ。

    もちろんユニクロとかでは売ってないから、自分で見よう見まねで、縫うしか方法はない。自前が原則だ。でも誰かに縫い方は教わらなければならない。それが家庭や学校の教育に相当しそうだ。

    加藤氏は、20年前だが、その制服は、以前は天皇とか国家だった、でも今は日本語が、日本人を日本人とたらしめている、と言うのだ。

    さしずめ、韓国国民だったら「自国の歴史」、北朝鮮国民だったら「キムジョンウン」、アメリカ国民だったら「強いアメリカ」、中国国民だったら「毛沢東、共産党」、ロシアだったら? フランスだったら? イギリスだったら? イタリア? うんうん、各国の若者とかに聞いてみても面白いかも。

    ちなみに自分が、日本人のアイデンティティは何か、と問われたら、なんと答えよう、天皇ではない。やっぱり日本語くらいしか、とっさに思いつかない。

    でも若い人の中には、エヴァンゲリオンとか、AKBという答えが出てきてもおかしくない。

    ふと、ここで気づいた! そうです、日本人のアイデンティティは、もはや死んでんてぃてぃ!

    昨今、アイデンティティを聞かなくなった理由は、そこにあった。もはや日本人を、日本人として、たらしめる根拠がないのだ。それは天皇でもない、大日本帝国でもない、日本語でもない、富士山でも、芸者でも、大相撲でもない。

    そう考えると、いまの政治や外交問題などのゴタゴタも、合点がいく。だって政府高官や政治家たちに、日本人のアイデンティティがないから、かりに、アイデンティティがあったとしても、ほとんどが戦後生まれだ、実感として国益なんて考えられないのは、当然の成り行きなのだ。

    つまり新自由主義に代表されるように、アイデンティティが、いつのまにかお金の多寡にすり変わっていた。国家の形骸化、国の価値観の減少だ。国家が、個人のお金を儲ける猟場になった。意味や価値観の多様化を唱えるポストモダン思想も、そういうパラダイム・シフトを後押しした。

    でも自分も日本国民も政治家も、日本人のアイデンティティの幻想がまだ、オリのように残っているからやっかいなのだ。換骨奪胎、日本人のアイデンティティの中身(精神)が、以前とは変わっているのに気づいていない。

    じゃあ、これからどーする?

    さしずめ自分は、日本人のアイデンティティは「日本を愛する心」にします!

    ちょっと強引だったかな(笑)。

    でも、正直言うと、もはや国という括り、国家による世界の体制維持に、希望は見いだせないです(汗)

    長くなったので、ここらで止めるけど、EUみたいに小国が集まって経済圏を作り運営する、マイクロ・ナショナリズムという方向性は、過渡的には、暫時的にはいいかもしれない。

    やっぱり今回も、グチっぽくなった。唯幸主義者になるには、ほど遠いなぁ。。。。
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