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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 震災は終わっていないー石巻 その1
    「津波に飲まれて海の中だった。もう死ぬ、と思った。気づいたら流れてきた柱にしがみついていて助かった。でもね、うちのヤツは、、、」。焼きそば屋の尾形さんは初対面にもかかわらず、一生懸命に当時の惨劇を語ってくれた。

    石巻に行って来た。

    東京ワンダーサイトにレジデンス留学しているイタリア人アーティスト・リッツが、被災地で映像作品を作ると言い、パフォーマーを探していた。そうしたら、知人を通してあおひと君に青羽、じゃない赤羽、じゃない!白羽の矢が立った。

    リッツはベネチア工科大学のポストグラデュエートでメディア・アーティスト。すでに彼は先週、同地にロケハンで来ていて、粗筋はできていた。

    今回、ドイツの童話「ハーメルンの笛吹き」のようなイメージで、フルートを吹きながらひたすら被災地を歩く、という役を自分は与えられた。(あおひと君じゃない、ハーメるん君です!)

    当然のごとく、お互い、お金がないから恐怖の深夜バスで行って、でも今回はトイレ付き(笑)! 翌日、予定があったので自分は新幹線で日帰りした。

    こんな機会がないと被災地など行けないし・・・。

    とても気にはなっていた。

    震災復興の名のもと、数々のアーティストが企画を展開していて見にも行ったし、チャリティ・パフォーマンスもやった。

    が、ここぞとばかりにがんばれコールを叫んでいても、誰のため?って疑問に思うこともしばしば、あったのも事実。

    なぜなら、戦争や数々おこる人間の悲劇も悲哀も、現代美術的には、ファクターとして折り込み済み。なんてカッコエエしぃことを言っても、実のところ自分のことが精一杯で、余裕がなかったのかもしれない。

    早朝、石巻駅前に到着。さぞかし外は寒いのか、と覚悟していたら、アレレレ?!暖かい。この日のため、ドンキホーテで買った黒のゴム長靴がなんか暑苦しい。

    うっすらと明るくなってきた空を見上げると、晴れそうだ。やった〜!天気予報でチェックはしたが、変わり易い東北の冬、雨や雪だったら最悪だ。

    モーニング缶コーヒーで一服の後、二人はキラめく朝の光を逃さないように、撮影現場に直行した。

    駅前の目抜き通りには、サイボーグ009やら石ノ森ワールドのフィギアが、あちらこちらに立っている。

    リッツ曰く「小さい頃よく見たんだけど、緑の髪毛のキャラって何って言ったっけ?」というが自分は知らない。

    するとチャンと我々を出迎えてくれました!星の子チョビン!イタリアではけっこうポピュラーらしい。

    星の子チョビン.jpg

    海岸線に近づいていけば行くほど、震災の惨状が目に飛びこんでくる。

    もちろんずいぶん整理はされているが、まだまだ津波に耐えた廃屋やガレキもあちらこちらに残っている。遠くには日本製紙工場の高い煙突から吹き上がる真っ白い煙と陽光が無邪気に戯れて、近未来都市にいるような不思議な感覚に襲われる。

    マンガ館.jpg

    最初のシュートは石ノ森萬画館が建つ北上川の中瀬(写真上)からスタートだ。

    リッツが撮影準備、自分は白装束に着替えて、フルートに息を吹き込む。

    ぴょろぴょろ〜〜〜・ぶっ・プスっ・ぴょろっ?・・・汗

    情けない音が石巻の大空に吸い込まれていく〜〜〜〜。

    イタリアにいた頃はフルートで地元テレビに出たり、街頭芸人をやっていたのに、20年以上、演奏していなかったので満足な音がまったく出ない。

    もちろん運指もタンギング(舌)も見るも無惨な状態。まあ、音は編集でかぶせるというので気にしないで行こう!

    次に、川向こうの鹿島御児神社が鎮座する日和山公園の小高い山へ上がって降りて、津波がすべてを奪い去り、広々と平地が広がる門脇地区へ向かう。

    ハーメるん笛吹童子は、ゴーストタウンになった被災地を、もの悲しい下手くそな音色を奏でながら歩き回る。住民に怒鳴られそうだけど、幸いにも誰も通らないし、家はない。

    廃屋01パフォーマンス.jpg
    (Photo by Ryts Monet)

    たまに人とすれ違うと、コンニチワ!僕たちイタリアから来ました!チャオ!

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    だだっ広い更地にポツンと家が残っている。近づくと壁には全撤去との印。大きく破損したマドからは部屋の中が丸見え、カーテンもよごれたままで風になびいている。

    津波がマドを突き破って押し寄せた当時の光景そのままで、2年近くも放置されているのだ。家具や調度品、子どもの玩具やテレビ、オーディオ、フトン、衣類すべてがドロにまみれ散乱し、時間が20110311で止まったまま、持ち主の帰宅を、忠犬ハチ公のように待ち続けている。

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    あとから聞いた話だが、女川地区でやはり所有者が行方不明だった被災家屋を取り壊したら、後から所有者が現れ、行政側が訴えられて、3000万円賠償で敗訴したのだそうだ。だからこの石巻でも、ところどころに壊せないままの空き家が点在している。

    お寺.JPG

    由緒正しい大きなお寺の本堂も、重そうな屋根を支える柱がむき出しで、中はくり抜かれたようにスケルトンの姿で建っている。回りには真新しい墓石と、倒れたままの薄汚れた墓石が混在した墓地がいたるところにあって、またそれが目立つのだ。

    門小全景02.jpg

    パフォーマンスで練り歩いていくと、門脇小学校の異様な姿がだんだんと大きくなってくる。鉄筋コンクリート地上4階の典型的なスタイルの校舎は、全ての海側のガラスが割れて飛び散り、引き裂かれたカーテンが垂れ下がり、黒い口のような大きなマドが規則正しく並んでいるのがイヤに印象的だ。

    門小マド.jpg

    そして門小を通り過ぎ、リッツが先回来て、知り合いになった人に会いに行く。リッツの話を聞くと、食堂経営者というのだ。でもこの当たりにはそんな建物はどこにもない。

    ただただ空き地が広がり、視線を下に向けると、いたるところに献花と供物が添えられていて、それがあまりにも多いのが目につく。

    あとから聞いたのだが、この石巻市の西側の門脇地区などの石巻港周辺一帯では1,000名近くが亡くなったのだという。そのほかにも東側、近郊地域も含めると石巻市全体で3,000名以上亡くなったという。

    リッツの知り合いの食堂とは、ボックスカー車上販売の焼きそば屋さんだった。買い物から戻ってきたその主人は、車から降りると、まるで昔からの知り合いのように笑顔と大きな身振りで、話しかけてきた。

    自分たちはさっそく、石巻焼きそばを注文した。震災直後からボランティアで京都から手伝いに来ているオジサンが、焼きそばを作っている間、ご主人の尾形さんは、こちらが求めることもなく自然に、まるでインタビューに答えるごとく、311当日の衝撃的な体験を話し始めた。

    このお店は「石巻焼きそば味平」といい、震災以前は札幌ラーメン味平を同じ場所で営んできた。それが一瞬のうちに全壊。長年連れ添って一緒に店を切り盛りしていた奥さんも亡くす。尾形さん自身も津波にさらわれ、奇跡的に助かったが、あばら骨3本、肩の靭帯断絶、数ヶ月の入院。

    ところで廃人同様の精神状態の中、ガレキを片付けていたら、奥さんが愛用していた鉄板ヘラが偶然にも現場から見つかった。それで尾形さんは、これは奥さんからのサインだと思い、お店の再開を決めたのだという。このエピソードはたくさんのマスコミに取り上げられている。

    「俺は助かったんだけど、女房は津波の中に消えていった。それからすぐにこの辺一帯は火事にもなって、まだ遺体が見つからない人たちは一杯いるんだ。でも見つかってもDNA鑑定できないほど火事で損傷しちゃったんで身元の確認ができない。それだから、この場で、もう10人くらいづつでまとめて葬式。ハイ次の遺族の方、ハイ次の方、って具合。その葬式業者も入札で決めるんだよ・・・」とうっすら涙ぐむ。DVDプレイヤーからは尾形さんを取材したテレビのニュース番組が流れている。

    自分は「すごいですね〜尾形さんって有名人ですね〜」くらいしか言葉がでない。その体験を話さないと我慢できないのだ。そんな苦しい気持ちが痛いように伝わってくる。

    「今日はいい天気だけど、東北の冬は寒いし雨や雪ばかりだと、ウツになっちゃんだよ。やることはないし、みんな毎日、朝から閉店までパチンコだよ。夏とかまた来てよ、山の上に小さなセカンドハウスもっているから、ただで泊まれるし」と必死に語る尾形さんだった・・・。

    (続く)
    リッツ、自分と尾形さん。がんばろう!石巻
    味ヘイ.jpg
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