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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 震災は終わっていないー石巻 その2
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    自由の女神も津波の前には、形なしだ。
    人間の自由のはかなさを知る。

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    すっかりガレキも整地された門脇地区。先に見えるのが、日本製紙の工場。そのむこう側が石巻港と大街道地区。

    ところで、この当たりの門脇地区は、今後の地震と津波の危険から、海まで一帯を公園にし、防波堤も建造するという。京都からやってきたボランティアで、尾形さんを手伝っている方が説明してくれる。

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    「行政(市)がまったくダメ。個人のためには、動いてくれない。たとえば、この土地は、坪7万で石巻市が買い取るんだけど、市がすすめる代替え地は坪17万円だよ。そんなのお金もないし移れない」と憤る。

    そう、ここは福島ではない。汚染地域ではない。福一の被災者も、とてもつらくて、たいへんだろうが、補償や補助金などはある。東京に戻れば、連日、福島については、何かしら報道が届いてくる。こちら側は津波被害が甚大だったにもかかわらず、あまり聞かなくなった。すでに風化がはじまっているのだ。

    悲しいことに震災格差があることも確かだ。「原発地区を非難する住民もいる。女川地区は原発があるから、5億円でた。こっちはない」と言う。

    ところで目の前には、震災ガレキも片付き、すっかり整地された土地に、立派な慰霊碑が建立されていた。天にのびる鉄塔が、ここを襲った8mの津波の高さを指し示す。

    「その慰霊碑は、創価学会がかなりバックアップしたんだ。地震のあと、いろんな宗教団体が来たよ。仏像買わないか、慰霊碑作らないかって」と、尾形さんは相変わらず話し続けている。

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    左の鉄塔のてっぺんが津波の高さの8m。この付近では、児童バスは丸ごとさらわれたり、大勢の方が亡くなっている。

    ところで一時期、盛んに市民運動やネット上に、広域がれき処理の問題で、カンカンガクガクの議論が飛び交っていた。ところが、震災がれき処理の件は、すっかり聞かれなくなった。

    環境ジャーナリスト青木泰氏が、ガレキ処理問題の実態を語っていた。しかしその内容があまりにもいい加減で、ずさんで、あっと驚く石巻だったので、少し書いてみる。

    広域がれき処理とは、震災で発生した岩手県と宮城県の膨大なガレキ処分にかかる問題で、法律上、ガレキは、その発生した自治体で処分しなくてはいけない。地産地消。

    しかし、市町村が、対応しきれないと言うことで、県がそれをまとめて、他県に持っていき処分する、と政府や環境省以下、決めたのだ。

    たとえば、石巻市では800万トンのうち、200万トンを自主処理、残りの600万トン弱を宮城県に処理を委託、鹿島JVが落札する。宮城県は当時、県全体を6区にわけ、それぞれ入札を実施。

    鹿島JVは、その他の産廃、ガレキ処理で1000万トンを2000億円で落札。トン2万円だ。この際、均等に大手ゼネコンに仕事が回ったのだ。

    ところが昨年夏、環境省がガレキ処理の総量を見直したところ、10分の1にも減ってしまったと言う。鹿島JVは、400億円の発注に留まったらしい。なぜか行政担当者は、木くずは腐敗して消えた、土砂の付着量が予想外に多かった、などと答えているという。

    あとは比重の誤算。つまりトン数を見積もるのは、目算でしかないから、1立方メートルに、比重をかけて算出する。が、それが10分の1くらい違っていたのだ、とも弁明している。

    また、和田町のガレキ処理を請け負った埼玉県は、1万トン持ち込まれるはずが、結果1000トンしか持ち込まれず、終了した。青木氏は、まさに住民反対運動のおかげで、こういう結果になったと判断する。

    もし、住民運動のチェック機能が、働かなかったら、おそらく二重、三重の不正、税金横領などが、おこっていたに違いないと青木氏は指摘する。だいたい1000万トンと言われても、どれだけの量かわからない。あまりにも桁はずれな量だ。

    先日のロシアの隕石は、直系15メートルほどで1万トンだったというが、比重が、鉄だったら7〜8くらいはある。

    北九州の問題は、鹿島JVが、1トン2万円で落札したにもかかわらず、さらに北九州市は、それを7万円以上で発注しているのだから、支離滅裂。

    青木氏は、そのことを県担当者に尋ねたら、感謝の気持ちだ、助け合いの気持ちに答えるようなことだ、と言ったから、日本人は素晴らしい〜!のかもしれないが、ちょっと違うだろ。

    もちろん、震災当時は、ショックと職員不足、前例のない業務で手に負えない部分は、たくさんあっただろうから、仕方なかったとも言える。

    そこは同じ日本人、助け合いは大事。清濁併せのむことも、時としては避けられない。とにかく、今回の経験を得て、日本人も成長した、と思いたい。

    参考サイト:2013/01/23 【岩手】環境ジャーナリスト青木泰氏学習会
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/54787

    尾形さんが買い物ついでに車で送ってあげるよ、と親切に声をかけてくれたので、日本製紙工場の反対側の大街道地区に向かった。車の中でもずっと話し続ける尾形さん。

    数分走ると、門脇地区同様、更地が広がっている大街道地区にでた。石巻港のすぐ裏で、こちらも津波被害は甚大だった。地面はすっかり片付き、真新し家がポツポツとたちはじめているが、そばによると中がもぬけの殻の、空き家もたくさん残っている。

    「新しい家やお寺や土蔵とか、すごく柱や構造が頑丈なんだね、津波は、弱い部分、たとえばマドを押し破って中身だけさらって、外観だけがキレイに残っているんだ」と、自分たちは尾形さんと別れた。

    再びリッツ監督の指示どおり、ピロピロピロ〜と笛吹童子。するとおじさんが寄ってきた。「どこから来たの?」「東京です」と答えるやいなや、地震当時の悲劇を話し始めた。

    でもその表情は、せっぱ詰まったようでもなく、世間話のように「近所の老夫婦で、おじいさんは津波に、もまれてカーテンに必死にしがみついて、耐えていたんだ。でも、おばあちゃんはすぐに流されていっちゃった」

    「それで屋根の上に避難していたみんなで、カーテン離すな、がんばれ!って叫んでいたんだけどね、やっぱり力尽きちゃって水の中にしずんでいっちゃった。うちの娘もそのだんなも死んだ。それで今、残された孫と二人きりで、あの家にいるんだよ」と、自分の家を指さした。

    それは真新しい立派な2階家だった。こっちは涙をこらえるので精一杯。歳とると、ほんと水ものが、耐えられなくなるから困りもん?!

    しかし、2年が経とうとしても、まだまだ心にたまった記憶のガレキを一刻も早くはき出したい、という人々のツラい気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

    福島原発事故では、被災者の激しい気持ちの高まりを、デモや討論会、勉強会で、はき出している場面に出会う。しかしそれ以外の被災者にはそういう機会も減っている。どこにそのウップンをぶつけたらいいのだろうか。

    福島の被災住民は、補助金、賠償金をもらっても、毎日、何もせず酒ばかり飲んでいるのが耐えられない、もう金もいらないから働きたい、とまで苦しでいる人たちが大勢いると言う。

    日本はほんとうに不思議な国だ。これでも原発再稼動だ。増税だ。それに義援金もまだ宙ぶらりんらしいし。

    リッツと一日中、被災地を歩き回り、夕刻まで撮影をした。彼とは、歩き回りながらいろいろ語り合った。自分のイタリア語は、かなり衰えているが、なんとか気持ちは伝わっているようだ。

    安倍首相はさっそうと、オバマ大統領に会いに旅立っていった。そのままアメリカに住み着いてくれてもいいけど。そのほうが、安倍首相も楽しいンじゃないかなぁ。

    そう、これでも確かに日本は、他国に比べれば、まだまだ裕福だし平和だし、幸せだと思う。でも、もっとよくなるし、世界の不幸を少しでも軽減できる能力も、影響力も持っていると信じている。またその、とてもいいイメージが、世界に浸透していることは、海外に行けば、誰でもすぐに知ることができる。

    敗戦後67年、戦争放棄を宣言し、核をもたず(本当は持っているらしい)、世界屈指の技術力と真面目な国民性をずっと発信しつづけていた。いろいろ言われながらも日本は、善良国民のよきイメージが定着しているのだ。今回の地震の対応でも絶賛されたことは、周知の事実。

    ところで、今回のアルジェリア人質事件。たいへんな不幸を招いてしまったが、この事件が示すもう一つの側面は、日本人も欧米敵性国の一員として、テロの標的リストに加わってしまったことだ、と警鐘を鳴らす有識者もいる。

    ここで築き上げた日本のいいイメージを自らぶちこわし、国防軍だ、核装備だ、原発再稼動だ、海外派兵とコブシを振り上げて、すんなり降ろすことができるのだろうか? 誰だって、面と向かって攻撃的になれば、反撥される。

    社会人だったら一度、信用を失ったら取り戻すのにどれだけたいへんかは、身をもって経験しているはずだ。

    それでなくとも、2055年あたりから、日本の人口は1億人を下回る、という計算だ。そして2200年くらいで、日本人は消滅するらしい。このままだと、もっと早く日本人は地球上から、いなくなりそうだ。

    帰り際、市中にあった石巻日々新聞のショールームで、石巻の歴史写真の展示を見て、またそこにいらっしゃった係の方とお話。石巻駅一帯も、2メートルも津波に飲まれたと言い、その爪痕を見せてくれた。外壁にドロで描かれた幾重にも列なる津波の痕跡は、はるか頭上にあった。

    東北の人は我慢強く、感情をあまり表にはださない、という。とにかくみんな親切で、表面上はとても明るい。でも、黙って耐えているのだ。少なくとも時間だけが、傷を癒してくれる、と、希望を抱きながら。

    自分は一足先に、夜、路線バスを1時間20分のって仙台へ向う。仙台駅前は、賑やかで、すごい活気にあふれ、石巻とのギャップに驚く。まさに復興景気にわき上がっていた。

    震災から、2年がたとうとしている。犠牲者の方々に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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    ぴゅらら〜ぴゅらぴゅらら〜笛吹童子は鎮魂歌を奏で、魂を癒す。ううっ、また、たくさんのお友達ができたかも、、、、爆

    石巻市ホームページ http://www.city.ishinomaki.lg.jp/
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