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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 閉塞感と今のジャポン
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    <会場風景>

    個展を終えた。

    お越しいただいた皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

    さて、いつもそうだが、終わった後も、後片付け、資料整理などで忙しい。

    そして、必ず思うのが、もう打ち止めにしよう、現代美術と惜別しよう、という複雑な感情だ。

    そう、ファンタージェンに押し寄せる虚無の嵐のような、重〜い閉塞感に包まれるのだ。

    閉塞感。

    最近、いろんなところでこの言葉を聞くようになった。

    未来がぼやけている。

    20年前のバブリー崩壊までは、イケイケガンガン、イケガンだった頃は、真っ青な未来の水平線が、どこまでも延々と続いていた。

    ところで、白金台の名刹 瑞聖寺の壁に昨年、壁画を描かせていただいたとき、一日、ライブペインティングをやった。

    ヨーロッパで、街頭芸人のごとくパブリックスペースであおひと君を演じると、あっという間の人だかりになるから、人通りも多い目黒通りに面していて、さぞかし盛り上がるだろうと期待した。

    が!、日本人は違うよね。ほとんど見て見ぬふりして通り過ぎる。

    まるで、見てはいけないもののような反応。和完さんの三味線伴奏もあるのに。

    まあ、興味ないっていわれれば、それまでだけど。それともペニバンを、国内使用で、後ろに装着、尻尾にしたからかな?!

    それで、思うのが、どうも日本(人)は、ある共通したもの、つまりみんなが知っている入り口がないと、そこから奥へは入って来ようとはしない、ということだ。

    不安なのだろう。

    愛と安心とうたっているあおひと君は、わけのわからない世界なので、不安なのだ。

    これからは、「憎悪と不安」をテーマにするかな(笑、、、イヤ、いけるかも!)

    こういう傾向は、改憲問題でも、過剰包装でも、なんか共通した心理が、微妙に働いていると思う。

    日本人の根底には、保守的な精神が、通奏低音のように、流れている。

    だから唯一、それを変えられたのが、自然の力や外圧などの不可抗力なのだ。

    また、言葉の呪縛もある。

    以前、金谷武洋氏の日本語論や、思想家中村雄二郎氏も書いていたが、日本人は言葉で上下関係が示される。つまり敬語で話されるため、言われる方は、無意識に自意識が高くなる。

    だから日本人はみんなスノッブなのだ。言葉の催眠術で、エリート意識が増長してしまうのだ。

    その自意識が、おそらく自分の許容範囲というか、感性の幅を狭めてしまうのではないだろうか、と、かってに思っている。

    なにせ、現代美術って、既成概念や、価値観を見直すような、思想活動だから、とても、保守的な人々には、受け入れがたい。

    なので、心地よいとか、技量や技術など、まず安心できるキッカケや、各自が持っているエリート意識より上位にいないと、ダメなのだろう。

    権威の後ろ盾や、有名かどうかなどの看板が、まず、飾ってある必要があるのだ。

    最近、その看板に、お金が加わった。

    だから官僚システムや、マスコミ、有名指向は、なくならないとも言える。

    特にアメリカなどのベンチャースピリッツの対局にあるのではないか。

    和洋折衷、うまくその保守的精神のよさと、革新的な冒険心が、ほどよく絡まれば、閉塞感も打破できると思う、今日この頃でした。

    <レビュー・オフィスマガジン掲載 http://www.ofmaga.com/news.html?eid=00657

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    <展示風景>
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