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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 資本主義の終焉その3と現代美術



    先回からの続き。(『資本主義の終焉』を読んで妄想)

    資本主義は、『安く仕入れてなるべく高く売る』が基本ルールだ。

    でないと、利益がでない。成長できない。水野氏は、それを『成長教』と呼ぶ。

    そのためには、つねに安い仕入れ先か、高い買い手=フロンティア(市場)を探さなければならない。

    人間は、フロンティアをコショウ、ゴマから、金銀、奴隷、そして石油、天然ガス、バーチャル金融空間へと開拓していった。

    だが、イナゴの大群みたいに、よってたかってフロンティアを食いつぶすと、次のフロンティアを見つけないとならない。

    2008年、バーチャル空間もリーマンショックでダメになったため、新たなフロンティアを見つけ出さないと資本主義は死ぬ。

    そんな今は、ロシア、東アジア、中東、アフリカで開拓を続ける。

    ウクライナや、シリア、ISも、宗教的な部分もあるが、主な理由は、フロンティア創出と、その奪い合いのための戦争だ。

    QE(量的金融緩和)も、成長教のモルヒネ線香のように香しい。

    雇用も、超低金利のなかで絞り出す、わずかなフロンティアで、非正規雇用はその結果のようだ。

    18世紀までの絶対王政の時代には、国家と資本主義は一体化しているが、国民はまだ存在しない。

    それが市民革命を経て、資本主義と民主主義が合体、主権在民の時代となり、国民が中産階級化し、主権国家システムが発展した。

    しかしそれも、1995年、金融ビックバンによって国境が取り払われて、資本の移動ができるようになると、もはや主権国家のなかでしか機能しない民主主義と、国境は関係ない資本主義が、相容れなくなった。

    自分は、資本主義は、民主主義でコントロールすると思っていたが、それは勘違いだったのだ。

    当たり前だが、民主主義は、人が主人公だけど、資本主義は、人間は対象ではない。数字がご主人様だ。

    だから、資本家と銀行には国家社会主義で臨み、中簡層、貧民には新自由主義で望むという、まやかしがまかり通る。

    「努力した者が報われる」と宣言して、報われなかった者は努力が足りなかったのだと納得させて、先進国内に見えない壁をつくり、下層の人たちから上層部の人たちへ富みの移転を図った。(P176)

    いまアベノミクスやTPPや集団的自衛権行使で、安倍首相は、操り人形になり、資本主義・成長教へ、日本自ら人身御供に差し出す。

    しかし、それに必死で民主主義で抗おうと、どうにもならないのは、土俵違いだからだ。

    それより資本主義の一部の人たちは、都合のいいように、力と権力で民主主義を踏み越えていく。

    突拍子もないことだが、資本主義は、人間が主体ではない、何か別の生物のような自己増殖するエネルギー体だと考えた方がいいかもしれない。

    (シェルドレイクの形態形成場の仮説や、ドーキンスのミームが、ふと脳裏をよぎる)

    前振りが長くなってしまった。。。


    水野氏は、美術史家ジョン・エルスナーとケント大学教授のロジャー・カーディナル『蒐集(しゅうしゅう)』を引用(P148)。

     帝国とは諸国、諸民族を集めた「コレクション」だと述べ、ヨーロッパの歴史とは「蒐集」の歴史であり、ヨーロッパ初の蒐集は、ノアの方舟だと言う。

     それ以来、中世キリスト教は『魂』を蒐集し、近代資本主義は『モノ』を蒐集してきて、蒐集という概念がヨーロッパ精神を形作ってきた。

     そして、近代資本主義は、マネーを蒐集するためにもっとも効率のいい仕組みだったと言う。

    それで水野氏は、EUとは、領土を蒐集する『新中世主義』の先祖帰りで、だからギリシャは手放さないと予想するが。


    現代美術は『知(創造力)』の蒐集なのだ。 だから現代美術は売れる。

    作品とは、知のフロンティア(視覚表現の新たな地平)を開拓した証明書なのだ。

    オークションなどで、誰でも描けるようなピカソの作品が高値で取引されると(もちろん誰にも描けないことは明白だが)、その価値がわからず呆れ返る人は多い。

    現代美術は、純金のコインのように、そのモノ自体に価値があるのではなく、フロンティアを発見した人間の創造力に対した評価で、とてつもない値段がつくのはそのためだ。

    今はかなりの投資目的になってしまったが。

    アートは、その人間=神の子の創造力の偉大さを評価する。

    と考えると、欧米は人間中心主義だ。

    日本や東洋思想は、人間よりも万物に宿る霊力の方が強い。

    多神教と一神教の違いなのかもしれない。

    日本では、人間の思想より、技術ばかりに注目する。

    なぜなら、すごい技術でつくり出されたモノには霊力が宿っていると感じるからだ。

    そして卓越した技術とは、刀鍛冶のような、一連の儀式でもある。

    それを持っていれば、強力なお守りになる。

    だから卓越した技術でつくり出された作品に対して、日本人はその技術そのものに魅了されるが、

    欧米的ユダヤ・キリスト教では、その技術力より、それを思いついた人間の英知を、より神に近づいたと賞讃する。


    しかし、欧米でも日本でもアートとは、そんな簡単な理屈ではないと思う。

    最終的に残るのは、感動だ。

    感動と言う感情は、資本主義だろうが、共産主義だろうが、キリスト教だろうが、仏教徒だろうが、工芸品だろうが、マンガだろうが共通して起こりえる。

    卓越した技術でつくり出された作品であろうが、一筆だけの絵画だろうが、感動するときは、する。

    そういう意味でも、現代美術は、とても面白いし、止められない。

    なんとしても、その感動の正体をあばき、感動を自由につくり出せるようになりたい。


    ところで、中世キリスト教では、聖書などの『知』は神の所有物で、教会がラテン語で独占していた。

    それを、グーテンベルグの印刷技術の発明と普及で、一般庶民にも『知=特定秘密』が自国語で読めるようになり、解放される。

    ちなみに、利子とは、神の所有物の時間に、人間が値段をつけることになるので、禁止されていた。(イスラームでは今でも禁止だ)

    水野氏は、国と資本家が独占していた『特定秘密』を解放したNSA内部告発者エドワード・スノーデンは、第2のグーテンベルグ印刷革命に匹敵すると評する。

    今年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞は、エドワード・スノーデンを描いた「CitizenFour」だった。

    しかし、日本では黙殺っぽい。なんと映画コムのホームページでは、この作品だけリンクがない。はたして日本では、上映されるのだろうか。
    映画コム http://eiga.com/official/oscar/sokuhou.html


    じゃあ、資本主義の次はどうなる?

    この疑問は誰でも思うはず。

    それは・・・

    次回に続く。
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