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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 日本語と未来
    先週は、日米首脳怪談で、マスメディアが、狂喜乱舞した。

    安保で尖閣は守られるとか、トランプと安倍首相は、相性がいいとか、そんな話題ばっかりだ。

    これから日本はどうなるのか、まったく見えて来ない。

    それに祝砲をあげるように、北朝鮮はミサイルを放つ。

    できすぎだろ。



    こんなたとえ話がある。

    キリスト教は、自分がいいと思うことは、他の人にもぜったい、いいはずだと考え、それを推しすすめる。

    儒教思想では、他人からされて自分が不快と思うことは、他の人にやってはいけないと考え、自重する。


    これだから、「おもてなし」が世界でよろこばれ、日本人は、親切だと賞賛される。

    ビジネスでも、日本人同士だと、うまくいくのだろうが、欧米キリスト教的思想の人たちと、交渉するには、儒教的な善行では、相手に押し切られてしまうだろう。

    すぐに自粛できるのも、自粛が好きなのも、このベクトルのせいだろう。


    また、言葉の構造も、とても違うという。

    言語学でいうには、日本語は、主観的に物事を把握し、英語などインドヨーロッパ語族系などは、客観的に把握するそうだ。

    たとえば

    見つけた!
    I found it!


    英語だと、他人からみた自分の状況を述べ、

    日本語は、私自身が「把握」した視線で言い表すのだ。

    つまり英語は、つねに他者が描いているような文法だ。

    だから主語がないと、誰だかわからなくなってしまう。

    日本語では、自分が自分を表現するから、あえて「私」は不要だ。

    だって、自分なのはわかりきっている。

    日本語は、主語があいまいでも通じるのは、きっとこの構造のためだ。

    だから、日本人は、議論でも交渉でも、すぐに感情移入してしまい、冷静さを失いがちになる。

    理路整然と相手の非を指摘し、それに対して、冷静に反論するなどなかなかできません。

    アメリカじゃあ、高校生くらいになると、ディベートとかいって、みんなできるぞ。

    国会議論も、ビジネスも、友だち同士でも、内容で相手を説得するより、

    声が大きかったり、威圧的な言い方だったり、主旨をはずして、感情的に錯乱する方が、早いし効果があるのだ。

    さらに感情奥深くに、影響するから、なかなか軌道修正ができない。しこりが尾を引く。

    それに反し、アメリカのテレビドラマや映画で、よく見かけるけど、恋人同士や夫婦ゲンカのすさまじいこと。でも言い合いが終ったら、平気で、愛ラブルーシーだからね。

    この辺は、どうも言語的というより、動物的性向の差かもしれないな。つまり怒りが、興奮を呼び、性欲に、、、

    話が脱線ゲームしたが、あんなにどなりあってよく、平気でいられるものだと呆気にとられる。

    それもお互い言葉に感情が入りにくいから、やってられるんだろうな。



    しかしながら、俳句や短歌など、日本は古来から、言葉による芸術が発達した。

    世界でもまれにみるツイッター人口の多さは、言霊信仰の結果だね。

    とてもセンシティブな感情を、言葉で、とてもよく表現できるのは、

    日本語の素晴らしいところだが、それが仕事になると、そうは問屋さんは、卸してくれません。

    相手が嫌がることを、しないのが日本人(儒教的)のモットーだとしたら、

    それは言葉のもつ特性を、うまく生活レベルに落とし込んだ先人の知恵だったのでしょう。

    しかし、日本語とか、英語、ギリシャ語、ロシア語、中国語など、民族によって、原語学的なグループに仕分けされているけど、

    どういう具合に、各言語が分岐したのか、発展したのか、その理由はなんだったのか、とても興味があります。

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