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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 日本の教育は思考を止めるための畜育だ
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    ▲ドローイング・色鉛筆 36cmx25cm 2018年


    日大悪質ファール問題が、加計学園、森友学園のスピンニュースのように続く。

    まるで道徳の教科書の地でいっているような話でびっくり。

    前のブログにも書いたけど

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    小学6年の教材「星野君の二塁打」

    バッターボックスに立った星野君に、監督が出したのはバントのサイン。

    しかし、打てそうな予感がして反射的にバットを振り、打球は伸びて二塁打となる。

    この一打がチームを勝利に導き、選手権大会出場を決めた。

    だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。

    チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしいという監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。

    「いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ」「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」などと語り、星野君の大会への出場禁止を告げるシーンが展開する。

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    タックルをした選手にとっては、『道徳で教わったから』と言いたいに違いない。

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    ▲新国立競技場建設現場(2018年6月4日)


    加計学園。森友学園も法に反しているかではなくて権力を握った者が、『平気でウソをつく』ということに多くの人たちは、苛立っているのだろう。

    むしろ、なぜ楽して儲けるんだ!こちとら毎日、真面目に働いていても、金欠でひーひー言っているのに。

    今までの日本の美徳が、ことごとく裏目裏目に出てきている。

    道徳の時間には、「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」と、

    ウソを平気でつく政権の犠牲になれって教えているようなものだ。

    だいたい、そこでいう『社会』の質を問わないで、犠牲になれって言われたってムリだ。

    社会=善の集団という洗脳。

    社会とはなにか?までは考えさせない。

    日本の教育は思考を止めるための教育だ。

    お上の権威を維持するための畜育だ。

    思考をしようとするものは、奇人、変人、協調性のない人間、村八分。

    なに難しいこと言ってんだよ!と茶化して思考フリーズ。

    難しいこと=偉い人の特権=庶民には不要→考えるな!

    それは昔、食べ物に不自由し、命を守るために、家族を守るためには必要な知恵で機能したのだろうが、もはや時代は変わった。

    欧米文化では、つねに犠牲は神に対して。ウソをつくことは、イコール神をだますこと。神の希望が、正義であり、大義だ。

    だからそれに反する者への追及には容赦ない(ようだ)。

    だって裁く人の責任は神にあるのだからきつく言えるし、恨むなら神をうらめって。

    日本文化では、最後の神にあたる『芯』の部分が空洞だから、その周りをグルグル回ってしまう。

    自分は今まで、ヤマトタケルに誓って、天照大神に誓って、とかいう人に会ったことはない。

    つまり人が人を裁くことになる。そこに情や利害は介入してしまう。

    DNAの習性だと、自分に近いDNAを守ろうとするのは自然の成り行きです。

    だからって安倍フレンズなどを正当化しているわけではありません。

    まあ、欧米文化でも神の存在が、権力の権化と疑わう人はつねにいるけど・・・。

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    ▲新国立競技場建設現場(2018年6月4日)
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