2017-11-20 19:10:07
あっという間に〜冬!

あっという間に、時間が過ぎ、ブログも更新できず、、、
先週、久々にある出版社から雑誌のイラストを依頼された。
A4ちょい大きいカラーのイラストを水彩で描いた。
やはり手書きはいい。
ここ数年、Photoshopとかで、ネットからイメージを探しだしてきて、マウスで描いているばかりだったので、とても新鮮でした。

欧米では、かなりの現代美術ブームだ。
先日も、オノヨーコさんがバスキアの絵をオークションに出すと12億円で落札。
いくつかのギャラリーを巡って、話を聞くと、インバウンドで外国人観光客が、飛び込みで入ってきて、作品を買って行くと口を揃える。
日本人よりも多いというから、驚きだ。
むしろ当然で、日本人は絵を買う習慣はないが、欧米社会では、作品を買う、家に飾る、プレゼントする、毎日見て楽しむというのは生活習慣になっている。
最近では、それに中国、アジア諸国が投資ブームに便乗して、アート爆買い。
しかし、今日もニュースに、沖縄の芸術祭のパンフに寄せられた文章について、沖縄県は、それを政治的だと判断、削除したというガラパゴスネタを見つけた。
参考サイト:米軍ヘリ事故など政治的な文言削除 沖縄県、芸術文化祭パンフから(沖縄タイムズ)
数年前、フジロックに政治を持ちこむなと炎上騒ぎも記憶に残っている。
日本では、美しい、きれい、かわいい、優れた技術だけをさしてアートという。
まさに忖度芸術、見た目だけ芸術だ。
しかし本来、現代美術は、思想的意味合いがリンクしてこそ、価値があるとする。
政治ももちろん、現在では、人間が生きる上で必須なのだから、芸術の重要な一要素だ。
だから政治的なモチーフや表現でも、削除とか公開中止なんてありえない。
先進国にいけばいくほど、現代美術の表現は束縛されない。
エロでも、政治でもOK。
むしろ人権を侵害したり、自由を束縛したり、ナチズムのようなネタのほうがNGだ。
欧米では、意味を求める。
何よりも意味が重要なのだ。
それを読み解くことに、喜び、感動、価値を見出す。
美しさや技術は、意味がしっかり裏づけされていて初めて価値が生じるのが、現代美術のコンテキスト(文脈)だ。
作品が生まれた動機、作家が作品として表わせなければならない必然性、そしてそれが、この社会と思想にどう絡み合うのか、ということに説明を求められる。
日本のアートが、海外に行っていまいち?と言われてしまうところには、この点の欠如があるからだ。
それは言葉では補足できない。
作家の作品に対する取組み方、モチベーション、意識が問われるのです。
まあ、日本人は、物事を深く考えない、哲学しない民族なので、本来、アート自体、何をもってアートとするのかはあまり重要ではないのかもしれません。
そのとき心がビビっと震えたり、感覚的に心地よかったら、それ以上はいらないのですね。
それが自分たちだとしたら、ちょっと切ないなぁ〜〜〜〜
