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    • Contemporary Art 2.012展
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  • 調子ワル
    北朝鮮が、ふたたびミサイル発射と騒ぎ立てた。

    ボストンマラソンでは、爆発事件がボッバツ。

    地震もそろそろ南海かぁ、イヤな活動をしはじめた。

    なんかブログが書けない、書く気がしない、やる気がない。。。5月病かなぁ。

    来月の個展も、もう間近に迫ってきてしまった。

    北朝鮮のミサイルは、普天間海兵隊のグアム移転を阻止するかのように、アンダーセン基地も射程距離内に。まさかアメリカと北朝鮮が結託して、日本のおもいやり予算を使って企てているんじゃないだろうな!

    北朝鮮だったら、思いやり予算7000億円の0.1%くらいで、ミサイル撃ってくれそうだ。

    ネットなどのニュースやブログをいろいろ見ると、韓国内は、今やウォン高で不景気で、北朝鮮どころじゃないという。米韓FTAでのisd条項も、ローンスター投資会社の訴えや、排ガス規制先送りなど、そのグリーダーな姿を見せはじめた。

    と上の文章を、3週間くらい前に書いて、そのままだった。昔の出来事のような印象だ。それだけ、時間は速い。

    難しいおとぎ話の世界に戻りたい。

    先回のブログに、哲学者内山節氏の講演会の中の言葉「日本人の社会には死者もいる」と書いた。まあ、死者を、ご先祖様と、いいかえればさほど不自然ではなくなる。

    地縁、呪縛、のろい、たたり、穢れなど昔から、迷信や墓参り、季節の行事みたいに、日本の伝統文化や、共同体のしきたりみたいな形で、受け継がれてきている。

    宗教とは、違うのだろう、これは、信仰というのだろう。

    例えば、日本には陰陽師じゃないが、昔から祖先のタタリや、敗れた武将の怨霊とか、今だ信じられていて、その呪縛力も霊力も強い。

    四谷怪談の芝居でも、上演関係者たちは、お岩神社へのお払いは欠かせないし、将門の首塚だって、無碍にできない。

    欧米キリスト教文化圏には、エクソシストとかいるけど、悪魔だもんね、人間じゃない。

    なにがいいたいか、、、今の日本って、行き詰まりになって、すっかり昔の信仰心を、安倍晴明こと、安倍自民党のおっしゃるとおり、取り戻しつつあるのかもしれない、と思うのだ。

    つまり、精神論主導型社会。というか、呪縛型社会。

    だって、笑えば汚染されないって言ってるし。根性、気合いだぁ!為せば成るし、苦しいときの神頼み〜。

    まずいねぇ、戦前に戻っているのか、やっぱり。

    ところで、IWJの中継を見て興味をもった安富歩東大教授の書いた「経済学の船出」(2010年、NTT出版)を読んだけど、なかなか示唆に富んでて面白かった。

    と上の文章まで、1週間くらい前までかかって書いた。

    安富先生いわく、貨幣経済もお金を使わないようになれば、じょじょにお金のない生活になるそうだ。要は、みんながもう要らない!って言って、使わないようにすれば、いいだけらしい。

    イデマリー・シュヴェンルマーというドイツ人女性は、1996年「星の銀貨実験」といい、家や資産等すべての自分の私有私財を捨て、お金ももちろん所持金0円、健康保険など公的なものもすべて破棄。お金がなくても生きていけるか、という実験をしたという。本の中では、4年間生活でき、今だお金のない生活をしているそうだ。

    それで、市場(マーケット)は、生産者と生産物の強固な縁を切る空間だと言う。つまりお金の本来の役割とは、価値の代用とかそういったものではなく、縁切りが一番、役目として強いのだそうだ。

    例えると、畜産農家が、手塩をかけて、毎日、マッサージしたり、ビールを飲ませて生産する松阪牛。それは、最後に殺されて喰われてしまう、悲惨な結果が待っている。ドナドナじゃないが、お金を使うことで、商売をすることで、生産者の感情や、そういった怨念や縁を、薄める役目が、お金にはあるという。

    縁切りの弱体化が、お金の機能なのだ。つまりお金が、商業で生じる、めんどくさい人間関係を薄めてくれるから、お金は価値があるのだという。

    そろそろ、日本も格差社会で、永久ビンボウと永久オクマンチョウジャが、二分した社会になれば、お金の多寡に意味はなくなる。そういう世界になりつつあるのか。なぜなら、昔は誰でもチャンスがあれば、一攫千金、大金持ちになれば、幸せな生活が保障されたのだ。

    今の世界は、国というシバリと経済活動というシバリのダブルスタンダードな価値観になった。以前はひとつだった国のルールに従っていれば済んだのが、今は買い物だって、ネットから世界中のものがいつでも買えるようになった。

    お金を得られる自由と、国籍と国のシバリに縛られる不自由が、責めぎあう。麻薬ですら、国によって評価が変わってしまう。

    そろそろ国と人類の線引きを、考え直す時期に来ているのかな。いつまでたっても愛国心を持つのはいいが、「幸せに」生きていかなければならないからね。

    う〜っ、、調子ワル。
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    【続き】日本の希望
    前回の続き。

    wisewise.JPG

    ワイスワイスの「日本の希望」(3/28 青山学院大講堂)シンポのパネラーには、ワイスワイス新カタログAD担当の佐藤卓氏、家具デザイナー小泉誠氏、くりこま高原から佐々木豊志さん、あと前回も紹介した、哲学者内山節さんと社長の佐藤氏が出席。
    ワイスワイスHP:http://www.wisewise.com/

    まず、内山氏の基調講演の感想を、各パネラーに問いかけた。

    人間の目標・目的→わかる世界。想像できる世界。
    わからない世界→希望の世界

    すると、佐藤卓氏が「人間は、わからないものとうまく折り合いをつけて、納得できる能力が備わっている。それは重要だ」と発言。

    内山氏は「人間は、わからない世界に生まれてくる。しかし、死ぬまで、何か起こるたびに、わからないことと、折り合いを付けながら生きて行かなくてはならない。今の問題は、それ自体を忘れてしまったことだ」と。

    それは逆に言うと、人は、すべてわかっていると誤解している、そして、わかっていないとダメなんだ、という脅迫観念にガンジガラメな状態?!

    じゃなかったら、原爆や原発は生まれなかったろうし、あっという間に、人類は殺し合って絶滅種になっていたのだろう。

    そして「今は、わからないものに敬意は払われないし、敬遠されるだけだ」と佐藤卓氏は続けた。(現代は、すべて科学的に分析できないと落ち着かない)

    その、わからないものとは、言葉ではなく、身体で感じる感覚でもある、と言う。それで、思ったのが、迷信や虫の知らせ、お告げ、先祖供養などの日本の伝統や民俗的なこと。

    内山氏は、基調講演で、幸せとは何か、と問われたら、それは、「関係の了解、納得」。つまり、了解できる関係が得られたら、幸せを感じる、と説明した。

    そして「自分は魚釣りが好きだ、渓流でヤマメなどを追っていると、とても幸せを感じる」と言う。

    それは、渓流で、釣りをしていると、新鮮な空気、せせらぎの音、若葉の香り、心地よい風、指先から伝わってくる水中の様子など、それは、全身が感じる身体感覚と、視覚情報、思考・知性の欲求を満たして、それらの関係性に、自分が納得・了解できたとき、「幸せ」だ、と言うことらしい。

    自分がもし、幸せを例えるとしたら、気持ちの無重力状態のような、何か目に見えない束縛から、開放されたかのような、時間や重力などから開放されたかのような状態と言う。

    NO STRESS SITUATION!

    つまり、人間は、常に何かに縛られているのだ。→あおひと君パフォーマンス参照!

    自分の中を、突き詰めていくと、やっぱり、他の自分?真の自意識?があるような、いないような、、、。それがザワザワしているのだ。幸せだと、それが天空を飛び回っている。

    話が飛んだけど、内山氏は、続けて、ヨーロッパでは、社会というと、生きている人間が作っている、となる。当たり前かもしれないが、日本の社会では、死者もいる、のだそうだ。

    東北地方に残っている、柳田國男編纂で有名な、遠野物語ではないが、ご先祖たちも社会構成員なのだ。(靖国神社とその物議も遠からず)

    文学博士で、気仙沼市リアス・アーク美術館副館長川島秀一氏と岩上安見氏とのインタビューのなかで、川島氏は東北地方に残る「仏まぐり」という習慣を説明した。
    ※2012年3月9日参考サイト IWJ:http://iwj.co.jp/wj/member/archives/10450

    それは、家で守っている仏壇の、ご先祖様の供養を止めると、家がけがれる、廃れるという忌避な習慣。仏まぐりは、血縁者でなくても、代理でも、託されれば誰でもいいという。でも誰かが、務めないといけないという。

    内山氏は「昔の日本人は、生活しているところから見える一番近い山に、自分の魂は帰って行くと、思われていた」と語る。里山や、その中の神社などは、その信仰の名残なのだろう。

    「日本の精神性には、亡くなった人々と生きている感覚もある。ゆえに、その亡くなったご先祖様と、どうやって関係を維持・継続していけるか、納得できないと、落ち着かない」と話した。

    東北地方の震災復興計画も、この辺の精神性を考慮に入れず、ただ近代化、安全性、経済性、利便性だけでは、住民は納得できない。代替地へ引っ越せ、と言われても、すぐに引っ越せないこだわりがあるのだ。

    それは、宗教というシステムでは解決できないことだと思う。すっかり血肉にすり込まれた価値観(化学反応)なのだ。だから一朝一夕、朝令暮改には変えられない、それこそ何世代もかかる意識変革(=化学変化の変更)なのかもしれない。

    ということで、TPPと墓参りの差は、大きい。インディカ米とジャポニカ米、タコスとコーンフレーク、キムチとピクルス、豚肉と犬肉の差も大きい。

    経済性だけをピックアップして、そのルールを変えただけでは、幸せな了解は、とうてい得られません。

    それでウダウダと屁理屈を考え巡らして、気づいたこと!

    人間は、つねにより長く、数を増やしながら生きていこうとする掟?セントラルドグマがあるのだ。そのために人間というインターフェイスを使って、何百万年、いろいろとその方法を試みてきて今日まで存続してきた。

    だから、自分は、自分という人間に任せなさい、好きにしなさい、と。それが神の声か、直感なのか、身体優越論かは、わからない。結局、ヘタな考え休みに似たり、なんだよなぁ〜。
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    キプロスと日本の希望
    地中海に浮かぶキプロスが燃えている!

    ギリシャ神話に登場するキュパリッソスが、国名の語源(銅のラテン語説もある)。その神話とは、アポロンに寵愛されていた、美少年キュパリッソスが、可愛がっていた牡鹿を、あやまって殺してしまう。

    あまりにも哀しむもんだから、アポロンは、彼を糸杉に変えてあげた、というラブ・ストーリー。糸杉は、もっと寒い国のイメージだけど、銅も糸杉も、キプロスに存在していたそうだ。

    英語では、サイプレス。しかし、この前、日本が負けたヨルダンくらいの広さの島は、トルコ系住民の北キブロス・トルコ系住民共和国と、キプロス共和国という、トルコから言わせると、ギリシャ系南キプロスの2カ国で、できているちょっと複雑なところ。それで、お互い、国として認めあっていないし、国連軍が国境警備に常駐、平和をキープしている。

    行ったことはないけど、イスタンブール・アートフェアに招かれたとき、トルコ系キプロス人にも多く出会ったし、古代ギリシャ文化圏でもあって、なんか親近感のある国です。

    ところが、このキプロス共和国が、タックスヘブンだった。

    ニュースでは、ロシアン・マネーを言うが、東欧系グレーマネーなどもけっこう扱ったらしい。それで、ギリシャ国債を購入していて、焦げ付きがとうとう破綻、連鎖倒産した。

    日本も日銀新理事長も一緒になって、がんばってインフレ2%アップにするんだろうが、円安差益分で、見かけ2%は上がるらしい。

    そうすりゃ約束通り8%から10%に。それで一気に、日本も糸杉状態に?!

    あ、悲観的に、考えてばかりいては呼び寄せちゃうから、早くあおひと君も、体制側になって稼ぎましょう!
    ムリムリムスリム、、、トホホ

    相変わらず、ギリシャは、日本の財政赤字の、応援団にされているけど、EU各国は、自国通貨の発行権がない。大きな違い。それとよくいうのが、赤字の内容。自国償却分が90%あるから大丈夫という話。でも、TPPがやってくる!

    TPPになったら、わからない。シリの毛が生えている人は、シリの毛まで、生えていない人は鼻毛まで、むしり取られると、いまからみんなが戦々恐々。

    アメリカの、あまりにも高圧的、唯我独尊な要求に、みんな呆れて、自然消滅するんじゃないか、なんて声も聞くが。。。

    ISDS条項、ラチェット条項、それにホワイトカラーエグゼンプションの導入。解雇の金銭解決制度、労働派遣法の完全自由化、司法事務所の無登記開設許可、ほとんど地位協定と変わらない。

    トルコじゃないが、バサールでオミヤゲ買うとき、値切るだろう。それで10分の1くらいになることもある。TPPでは、アメリカはアラブと一緒、値切られることを承知で言ってきている。だから日本も、そういう駆け引きしないとダメ。それもマジ本気で。

    交渉テーブルは、ぜひ大阪のオカンたちにやらせたほうがいい。頭がいいのは、こういう時代、ある意味、障害。

    とにかく、アメリカは必死。中国に負けてしまうから、なんとかして日本の財力ももらって、今のナンバーワンの力と地位を保とう、という戦略なのは、周知の事実。

    今回の放射能汚染で、ガン患者が増えれば、今でも、アフラックの売上75%が日本だそうだから、ますますボロ儲け。でも、それまでに保険の自由化も済ませておかなければならない。

    知り合いが、東北大震災人工地震説を力説して、自分はまったく信じていないのだが、なんか、アメリカの金づるとして、消費増税、TPP、それと北朝鮮応援団が一体化して、日本を、ゼニガメの養殖場にしようと、本当に地震を起こさせたのかもしれない、なんて思うことも。。。

    あまりにも、災害、不幸、金の流れの3拍子、ツジツマが合いすぎ。と言うのか、お金は不幸の凹みを流れていく?!

    ところで、以前、個展でも、お世話になったインテリア企業ワイス・ワイスのシンポジウムに行ってきた。ワイスワイスの佐藤社長もよく知っているし、青山学院の大講堂で、席が埋まらない〜ていうメールに書いてあるし。

    タイトルが「日本の希望」。

    相変わらず、直球勝負でイイネ!それで、哲学者の内山節氏の基調講演も面白かった。

    けっきょく、有識人たちの脳って、東洋的、スピノザ的思考ベクトルになっているのだ。非線形、曲線、全体総括的なベクトル。アジアン・スピノザが、マイブームだから、自分の心地よいように解釈する、そういう風に、無意識にチョイスしている結果、とも言えるんだけど。

    内山氏は、目標は実利的だが、「希望はあたたかい」と、カッコいいことをのたまい、「希望が無事でなくなった」と、今は、無事な希望を見つけ出そうとしている、探し始めた時代だ、と言う。(自分には、「無事」に聞こえたのだが、もし違っていたら訂正ください)

    内山氏は、広告のコピーでも、幸せに帰ろう、戻ろう、日本を取り戻そう、という。以前だったら、幸せをつかむ、引き寄せる、得る、などと表現したはず。

    まさに、スピノザ指向、脱デカルト世界。つまり、前に進むべき道が続いていないのだ。ドーヴァー海峡で立ち止まったモッズ少年の心境。映画じゃ、そのままダイブしたが、誰でもみんなが、そういう勇気を持ち合わせてはいない。だったら崖っぷちを、ひたすらたどっていくか、来た道を戻るかだ。

    それを今は、「希望がない」と表現する。だったら、そういう価値観から脱すればいい。

    哲学や、アートとか難しいことでも、スケベなことでも、人は考えるとき、必ず基準となる価値観にそって思考が、再現される。

    しかし、その価値観は、既存の価値観、言い悪い、上下、左右など、デカルト的ベクトルにまだ、支配されている。いつになったら、無意識に言い悪いという価値観がなくなり、楽しく物事を考えられるようになるんだろう。

    そのために訓練するのだ。だって思考は、化学反応だから。思考は肉体の現象だから。ケミストリーな経路を別回路に、変えればいい。

    川が蛇行するように、きっと何かのキッカケで河岸のどこかが崩れて、流れが変わる。一ヵ所、崩れれば、あとはなし崩しに、変わっていくに違いない。

    ただ、人は、川の流れの勢いに気をとられ、川の形に気付かないだけなのだ。

    ところで、最近、イヤに小さな地震が多いとおもうのだが。直下型かぁ、富士山かぁ、それともアパートがボロすぎるからかぁ?!
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    【続き その3】デカルトとスピノザ的世界観
    前回から続く。あいかわらずユルユルと長い文章になっちゃいました、、、

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    パフォ−マンス3.20 Photo by United Cafe

    17世紀からヨーロッパ文明は、「われ思う、ゆえに我あり」のセリフで有名な、デカルト的思想が、知識人や権威者の脳みその化学変化を、支配することとなった(人間の思考や肉体などすべて、化学反応の結果と、安富先生は言う)。

    またデカルトは、自然はすべて数式によって、分析し説明できると唱え、これが後の科学の発展に大きく影響した。

    しかし、300年ほどたって、どうもデカルト的考え方では、やっていけないんじゃないのか、と感じ、言いはじめたのが、ポストモダンで、それは、第二次大戦など、世の中が、あまりにも悲惨な結果が続いたことにも、起因するのは周知の通り。

    スピノザの思想は、それでも奔流に埋もれ去るようなことはなく、ニーチェ、ハイデカーなど現象学者やマルクス、ドゥルーズなどポストモダニズムの思想家たちなど、かなり影響を与えて続けた。

    ヒットラーだって、自分の信じる平和を望んで、ホロコーストを生み、戦争をしたのだ。それがうまくいかなきゃ、誰だって考える。アメリカだけが、戦争に勝って、兵隊はたくさん死んだが、参戦国中、唯一、本土攻撃がなく、自国内の被害がなかった。だから、戦前まで、大きかった米国民の反戦意識は失われ、頭に乗った。もしアメリカも、本土攻撃や市街戦などで、悲劇を味わえば、二度と戦争は起こそうとは思わなかったのではないか。

    同様に、放射能だって、広島長崎以外にはその恐ろしさを知ることができなかった。福島じゃあ、いまだ、汚染地域に、子供が暮らしていることは、あり得ないし、これを放置する政府・行政は犯罪者に等しいと思う。元慶大教授の藤田祐幸氏は、あの戦時中の軍隊ですら、児童疎開をさせているのに、今の政府は、それ以下だ、という厳しい意見すら出ている。

    日本の国民だって、直接、被災しない人たちにとっては、ある意味、911同時多発テロのようなニュース映像の情報でしかない。年間100ミリシーベルト以下は安全だ、みたいな話だってあるし、ある意味正しいところもある。

    しかし、低線量被ばく、内部被ばくとか、臨床例がないのだから、安全とは言えない。ていうか、こんなにもわからない核物質を数式計算だけで、扱おうとしたのが、そもそもが人間のおごり。

    それがデカルトから続いた価値観だった。

    日常生活のすべてが、部分が集まって、全体になって、すべて数で表示され、前へ進むを善とした世界観。前にも書いたけど、デカルトやニュートンたちの世界は、分析的、線形的、原因結果的という。

    ところが、そのホイヘンスとかスピノザは、曲線なのだ。

    曲線は出発点に戻ってこれる。し、それを厭わない。全体的、総合的、非線形的な価値観だ。

    スピノザ的だと過去に戻ってもいいし、数が減ってもなんともない。そのシステムの全体がまずありきで、分解して、それぞれを考えることはできない。すべて総合的、全体的なバランスが、価値を生む。

    もし、ホイヘンスが振り子の原理の研究を大成させ、スピノザの哲学もキリスト教から認知されていたら、いまの世界ってだいぶ変わっていたと思う。

    たぶん、宇宙がビックバンで生まれたこととは、ならなかっただろうし、交通網も発達せず、違う意識と価値観の文明が、発展していたことだろう。

    たしかに、元素から記号で表すことができて、この世界に起こるすべての事象は、化学式で言い表すことができる。というより言い表せないと気が済まない。それが科学と進歩。

    必死に、アートだ! 感動だ! 現代美術は文脈だ〜! 愛と安心のメッセンジャーあおひと君だぁ〜って、大声叫んだところで、所詮、化学反応が引き起こした結果です。その化学反応を再現できれば、ゴッホやレンブラントや、草間やよいやレイチェル・ホワイトリードの作品のような感動を引き起こせる。

    しかし、自分は、東洋思想的な、仏教とか古事記とか、そういう世界観にも影響されているから、しっくり来ない。

    すべて化学式で表せることが、事象のすべてとは、とうてい信じられない、何か違うものは絶対ある!

    どうなんだろう、デカルト的な西洋の人たちは、その「何かわからないけど、何かある」んじゃないか、という曖昧模糊な感覚はあるのだろうか?

    言葉の構造や語彙を見る限り、あまりなさそう、っていうか、そういう世界があることは、許せないし、認めないのかもしれない。(自分のかってな想像です。だって絶対、他人のことは認識できない)

    しかし、自分たち東洋的、仏教的な感覚だと、わからなくていい。そのままでも許せる。ま〜いいっか、仕方ない、と言いながら、大自然の驚異とか、生命の神秘ってスゴ〜イ!とそのまま生で感じることができる。

    だから、日本の美術って、いまだキレイで繊細で大自然のモチーフの具象的なものが、好まれ受け入れられる。

    かたやデカルト現代アートは文脈です!分析です!

    今、世界でおこっている民族・宗教対立、自主独立議論、新自由主義や関所ニズムなど、いろいろな齟齬がおこるのは、そんな2つの価値観のバランスが、スピノザ系化学変化が、デカルト系を凌駕してきている結果なのだ。

    日本人も含め、東洋思想にも似た、スピノザ人たちは、全体的、総括的な総和に大事を置き、そこに安心を見いだす。

    日本人の特徴の、調和や和を尊ぶ、儒教思想などなど、いい面ばかりではなく、差別を生んだり、村八分とか招いてしまうけどね。

    デカルト人たちは、分解できる世界、増える数字、広がる領土、数式で表せる世界に、安心を感じる。

    だったら、デカルトとスピノザを同じ壁に掛けておけば、うまく調和するかもしれない?!

    自分たち日本人が使っている言葉をみても、たとえば、「のようなもの、みたい、なんか、ていうか〜」とはっきり断定しない言い方が増えている。

    それは、仲間はずれにされないように、かつ間違いだと指摘されないように、責任回避の結果とも言えるけど、むしろ無意識に、調和の方向に向かっている現象のようにも思える。

    人類は、スピノザ的・全体的・自然調和的な世界に向っていると思いたい。

    でも最後に、ヤケになったデカルト人たちが、全部、壊してしまう可能性もあるから、どうなるかはわからない。

    だから今は、地面も含めて、みんなで、調和するように、一生懸命、揺れているしかないのかな、、、汗。

    でも、振り子の原理を考えると、パラレルワールドの信憑性が増してきた。

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    【前回から続き】スピノザとホイヘンス
    前回の続き。また、ウダウダと、当たり前のことを熱く語りさま〜ず!

    とにかく、現在、パラダイム・シフト(価値観の転換期)に入った。とくに911から311になって、ますます拍車がかかった。素数でいくと、次は、113か?!

    自然と文明のバランスが崩れた、その揺れ戻し。人間は、日本の神話世界のように、自然と共存するしかない、というか、自然の一部であって別ものではない、ということを改めて思い知らされる。

    安富先生は、オランダの科学者ホイヘンス(1629年生まれ)と、哲学者スピノザ(1632年生まれ)を例にあげ、現在の価値観の生きづまりを示す。(ここから授業の要約 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/21291

    当時、大航海時代で、南北を表す緯度は、大陽の位置から割り出しやすかったが、東西の経度を正確に示す機械が、まだなかった。それでホイヘンスは、経度器の発明を試みた。

    日の出をもとに、正確な時計があったら、測れる、というところまでわかっていた。

    しかしホイヘンスはそれを開発できず、病気で寝込んでいたとき、2つ並んでいる柱時計が、(当時は正確さを求めるため、2つの時刻の平均値をとったと言う)、その振り子が、なぜか逆位相の振幅で、同調していたことに気付いた。

    ホイヘンスは、それをヒントにいろいろな実験を試みる。柱時計の間の距離を離したり、また振り子だけを、いろいろな条件で、2つ同時に動かす実験を試みたり。

    それで、それぞれの振り子の振幅は、ある一定の条件だと、お互いが干渉しあうこと発見した。

    ただ、これは経度器の発明には関係なかった。ショックを受けた彼は研究を、そこで止めてしまった。そして、その研究が、再開されたのが、なんと300年以上たった1960年代と言う。

    安富氏は、この研究の重要性を説明。2つの振り子の振動数は、その中間に限りなく近いところで調和する。しかし、その2つが調和する振動数は、お互いの振り子にとって、あくまでの未知の振動数。

    ある条件のもとに異なった2つを接続すると、ある条件を生み出すといい、2つの異なった振動数は、一定の条件を満たすと、その未知の振動数に向かって歩み寄っていく。類は友を呼ぶ!

    それは調和してひとつのシステムをつくりだす。また、これがコミュニケーションだと言う。

    合意形成と言うが、意味はない。お互い同じ意見を持ちましょう、これは同じひとつの振動数を共有しましょうということで、システムが接続しているか否か、が重要らしい。

    あとは共通した振動数を、お互いが、かってに探し出す。(エントロピーの法則や熱力学の法則も、それに近いかな)

    しかし、その共通した振動数を、求めてはいけない。それは未知なもので、異分子同士が、探りあって到達するもの。大事なのは、お互いが同じ条件でいることだ、という。

    つまり、反原発、反TPP運動も、そのNOという結果を、相手に求めてはいけない、同じ条件にいれば、自然とお互いの一番近いところに歩み寄る、と言うことなのかもしれない。これがホントの民主主義?!

    重要なのは、みんなが同じ振動数で、官邸前や日本を、つねに揺さぶり続けること、なのだ。

    なんか、深〜いし、考えさせられる原理だなぁ。人間関係、金儲け? 恋愛関係、なんかすべての事象に当てはめられて、試してガッテン!

    前も書いたけど、呼び寄せの法則とか、シンクロニシティとか、そういった観点から考えてみても、当てはまりそうだし、自分は信じてしまう。

    そしてホイヘンスの親友でもあったスピノザは、その振り子理論から、全体を部分に分けて考えることは、不可能といい、デカルトを批判した。

    なぜなら、その共通した振動数は、柱時計をしらべても、かかっている壁を調べてもわからない。そのシステム全体がそろわないと、その現象はわからない。

    全宇宙は、つながっているのだから、部分をみたってわからない。ゆえにスピノザは、その、つながりあった全宇宙を神と言った。

    授業の要約はここまで。参考図書『経済学の船出』安富歩著 NTT出版

    (次回に続く)
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