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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • 自主独立はできない
    スランプかなぁ、ブログを書く気がしない。原稿書きのお仕事は年末も休みなくやっているが、なんか虚無感に包まれている。それが総選挙から来たのか、不景気だからなのか、単なるバイオリズムの問題か。

    現代アートとはなにか?そんな自問自答で今年も終わるのだろう。 

    最近、こぞって参加している現代アートの勉強会でいろいろな意見に出会い、むしろ解けつつある疑問が、ドンドンこんがらがっていく。

    結局、欧米キリスト教的、人間中心主義文化の元で発達してきたアートと、日本で言うアートは別物。昔、ヤクルトにボブ・ホーナーというメジャーリーガーがやってきて、デビュー戦で3ホーマー、2試合目に2ホーマー(うろ覚え)と叩きだし、あっという間にホームランバッターで大活躍。

    しかし「日本は野球、ベースボールではない」と名言を吐いて一年で帰国。現代アートも、欧米と日本では、言葉は同じかもしれないが、やっていることと求めている内容が違うのだ。

    話しが飛んだが、自分はこの世界をどう見るか?!どう思想しているか、を問うのが現代美術だと思う。

    それで、率先して意見を言う、自分という存在そのものが、物議を巻き起こしてきた、とても重要な中心点なのだ。

    つまり自分とはいったい何?ここはどこ?そのとらえどころによって、生まれてくる表現についても多様化するからで、そこから紐解き未来の理想的社会へつながっていく希望を指し示すのが現代アートの存在意義だと思っている。

    だから最先端現代アートで展開される世界は、社会における個人的欲望の究極的追求とも受け取れるのだ。そして、それが成り立たないのが日本の現代美術の特異点であり、欧米の文脈に入り込めない原因なのだ。

    最近、さかんに日本人、独立、自立、自主、愛国者、右翼、ネトウヨ、と精神性にかかわる言葉をよく耳にする。

    ちなみに「精神」という言葉のなかには神がいる

    英語だとマインド、スピリッツ、メンタルだが、なんか違う感じがする。英語だと、精神は、より物質的で私的なイメージだ。日本語の精神は、より信仰的でピュアでパブリックな印象だ。

    裏を返せば神が司っている心が精神なのかもしれない。つまり日本人は個人的な精神はない。それは神のモノ。だから、精神とは、神(他者)に従っていることが前提条件なのだ。たとえばキリスト教は、自分がいて神がいて両者の契約によってその関係性は成り立つ。つまりそこでは人間の自己(自立)は存在し、認められている。

    しかし、日本人は生まれたときから、親に言い聞かされる前から、すでに神のシモーヌなのだ(プラトニズムっぽいが)。ここでいう神は、ヤハウエではなくヤオロズの神。だから人を司っている神は、自分で客観的には認識できない。だって自意識はひとりの神なのだ。だから物事を深く考えない。考える必要がない。

    中村雄二郎とか有識者たちがよく言うように、日本人の先天的なスノッブ性やエリート主義も、そのあたりに起因しているかもしれない。私たちにも神が宿っているからエライのよん!神の流れに身を任せ〜♪言葉も神に失礼の無いように、つねに敬語が常態されているし。

    英語で心はマインドだし、ハートとも言うのだろうが、日本語だと、より個人的な気持ちの有り様を表している。つまり日本人には精神性は神のもので個人の精神性が心なのだ。心はすごくクローズドな概念だ。神の懐から少しだけ顔を出しているような感じ。なんか複雑な人種だ。

    古事記では天照大神は高天原で農耕をし、機織り工房もあったという。労働を喜ぶ神なのだ。そして5代のちに初代神武天皇即位となる。そして万世一系の天皇系譜が125代の現在まで連なっている。

    日本の民の精神は天皇に担保している。これが日本人の思想だ。自分の存在とか、その真実とか、本質は知る必要はないのだ。民は神の子孫であり、日本の民は、神の国作りによって創造された葦原の中つ国のあおひと草(葦)から生まれたのだ。

    すべて神の判断、神の仕業だから意義申し立てする余地はない。自立するという概念すら実感としてわからない。おそらく日本人の自主独立は、鎖国という物理的な手段を選ばない限りできないような気がする。

    だからアメリカに負け、軍事的征服のあとに連合国の植民地政策(心理的侵略侵攻)に移行しても、すんなり敗戦から頭を切り換え次の日から、農耕(労働)にいそしむことができたのではないだろうか。その上、極東の4つの大陸プレートのうえにのったくらげのような地盤だから、大地震と火山の脅威にさらされている自然への畏怖も、国民性に大きな影響を及ぼしていることは言わずもがな。

    結論は、基本的に日本人は自立して自らが協力して国家などを運営することは、欧米的思考システムでもっては実現できないと思う今日この頃です。

    前にも書いたが、最近のメルマガやブログ、マスコミの論調は自主独立、反対米追随、日本国家の自立みたいな路線がとても目立つが、なにをもって日本として、どこをゴールにしているのかが、よくわからない。

    江戸時代までの頃の、天皇がいて将軍がいたころの階級社会の日本をさしているのだろうか?それとも飛鳥、平安、平城の貴族封建制的な国家を目ざしているのだろうか?それとも世界が万世一系の民として統一的思想のなかで生きていこうとしているのか(大東亜共栄圏、八紘一宇はこの思想か)。それとも経済的に繁栄したバブリージャポンを目ざしているのだろうか?

    どのみち、よき日本を取り戻したとしても、9割以上の国民は所詮、農民とか貧民にしかなれない(江戸時代でも7%くらいしかサムライ階級はいなかった)。だったらこの世は刹那、おぼろ月夜のはかない夢と思っていても、くらげのように優柔不断でへらへらした民でも、それはそれで面白いとも思うのだ。いつまでたっても欧米キリスト教近代国家から見たら、前世紀的で姿の見えにくい特異な極東地域でもいいのではないか。

    前年の総選挙はそのような本能的な部分が働き、投票率の低さにつながったと思う。自主独立とか反対米追随に対する理想的日本のゴールが想像できず、むしろそれは理想ではないのだ。

    個人的な話になるが、現代アートはそのへんのくらげみたいな精神性と欧米のコンクリートや劣化ウランのような個人の理想のぶつかり合いから、村上隆や草間彌生の次の新たなアートワールドが生まれそうな気もする。

    しかしいろいろ探っていてなかなか光明は差し込まない。「心」が行き詰まっているのかもしれない。つまり欧米の現代美術の文脈のまな板ショーを望むなら、天皇制にまで言及しなければならない、と言うことなのだ。

    やっぱり天の岩屋のお祭り騒ぎが必要かな。っていうか自分でするしかないけど。。。
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    芸術は日本である—「アートワールド」byアーサー・ダントー
    コロンビア大哲学教授であり美術評論家アーサー・ダントー(1924年米国生まれ)の「アートワールド」(1964年刊)読書会に参加。

    この読書会は、インディペンデント・キューレター辻憲行氏が定期的に主催しているディープでコアな現代美術の勉強会で、たまに参加している。興味のある方はぜひ!

    参考サイト:芸術係数blog:http://gjks.org/

    もちろんかなり専門的なので、ある程度の現代アートや哲学の基礎を知っておかないと脳みそが沸騰する。自分も必死になって頭を冷やしつつ、耳をダンボにして食らいつく。

    しかし辻氏の丁寧な説明と、他の参加者の自由闊達な発言もあって、いつも楽しく参加させてもらっている。

    このアートワールドとは、ダントーが、現代アートとは何か?ということをパラダイム論的に提唱した芸術論。

    またパラダイム論とはめっちゃ複雑なので自分もよく理解していないが、フランクお〜ザッパに言うと、バラバラに点在していると思われる事象を、ひとつの枠組み(パラダイム=価値基準)で囲って、考えてみる。それに対する反論はべつの枠組みを作って比較する、みたいな思考方法?!

    それでヨーロッパでは、芸術に対する見方は時代によって変わってきていて、まずプラトンのいう、芸術とはモノをそっくりに真似て描く、その技術であり、それで制作された作品をさすという模倣論から始まった、と言う。

    ちなみに、ここでいう芸術とは、日本でよく言うアートや芸術とは別もの。欧米で芸術と言ったら現代美術、つまりその時代の先端芸術や思想のことを指す。

    そのプラトンはソクラテスの言葉を借りていろいろ書き残した。その中に想起説(イデア論)があるが、何で人間は何も知識がなく生まれてくるのに物事や言葉をあっという間に習得し、理解するのか。

    それはまずイデアという本物の世界?があって人は忘れていたにすぎず、生きていくうちにそれらを思い出す、ようなことを言った。そしてプラトンは、芸術はイデアを得た人間が作り出したモノを模倣したにすぎない、と捉えていた。

    これをダントーは「芸術は模倣である」というパラダイムでくくる。

    ところが科学技術や思想哲学の進歩があり、ルネサンスやフランス革命、産業革命による個人の意味とその確立、自由と平等、写真の発明などで芸術の存在意味も変わっていった。

    たとえば印象派絵画のようにそれまでは、物事を映す鏡にすぎなかった芸術が、アーティスト個人が捉える、見えるような世界を描くことに変わっていったのだ。そこに芸術の価値があり、存在意義が生じた。

    なぜならヨーロッパ文明の考え方では、人間個人に一番価値があり、それが世界の基準になり、発展進化することも一番大事だと思われているからだ。

    と同時に、それを言動で訴えていくこと(価値の共有)も義務に近いのだ。でないと、あなたは存在していない、と見なされる。

    ある意味、当たり前のことだけど、生きてると、家賃やらゴハンの心配で、それを忘れてしまう。とくに日本民族には、歴史的にみて、そういう言語による裏付け作業や個人という概念を、つきつめて考える環境に住んで来なかったので、あまりピンとこないかもしれない。

    これは以前、ブログにも書いたが、欧米語と日本語の文法構造を見てもよくわかる。あっちはSVO文法だ。好きだよ、では通じない。私は!あなたが!好きです!じゃないとダメなのだ。常に「私」が、トップにいる世界観

    話しがすっ飛んだが、これを「芸術は表現である」というパラダイムでくくった。

    で、それらを併記して、現代アートの可能性、アートか否かを探ってみる。

    たとえば、
    芸術は模倣であって、表現である。=フォービズム、印象派など
    芸術は模倣でなく、表現である。=抽象画
    芸術は模倣であって、表現でない。=スーパーリアリズム、古典絵画
    芸術は模倣でなく、表現でない。=コンセプチュアルアート、純粋芸術
    といった具合だ。

    では、これからはどんな可能性があるのか?と問うたとき、ダントーはワンフレーズそこに増やす、と言った。

    つまり、

    芸術は模倣である。
    芸術は表現である。
    芸術は○○である。

    と言うように述語を増やす、すると新たに芸術が生まれる、らしいし、これがアートワールドだ、と言ったのだ。すごく面白いし、わかりやすい。

    しかしアーティストを目ざす人種にとっては、あまりよくない。だって評論家が権力者になり、彼の付け足すワンフレーズいかんで、芸術か否かにもなるからだ。いわばアーティスト不要論にも通じる。

    っていうかある意味、当たっているかもかもエブリバディ、、、涙。

    しかし前にも述べたが、これはあくまでも人間中心主義の欧米的思考回路なのだ。そのうえ、芸術は新しい切り口、パラダイムを表示することだから、ダントーの芸術観にワンフレーズを加えてみても、それは模倣論になってしまう。

    それに日本には違った世界観がある。自然中心主義なのか、刹那論なのかはわからない。西田幾太郎は、それを絶対矛盾的自己同一と言ったが、その欧米の人間中心合理主義と、日本人の世界観をうまく合流させるのか、弁証法的に止揚させるのかはわからないが、欧米に劣らない芸術を見つけることができるかもしれない。

    芸術は模倣である。
    芸術は表現である。

    芸術は日本である?!
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    改革ニッポン
    謹賀新年。

    今年もよろしくお願いいたします。

    今年もウダウダ当たり前のことをいかにも大発見のように書き連ねていきたいと思っています。

    今日は、墓参りに行った。

    盆暮れの墓参は、なるべく欠かさないようにしている。

    お参りも終え、バーミアンで遅めのランチをとる。

    バーミアン・ランチも墓参りとセットで恒例になっている。

    席に着こうとするとテーブルに新聞がおいてある。先客がいるのか、と思い他の席をみるとやはり同じように新聞がおいてある。

    Y新聞だった。読みトク!キャンペーンだそうだ。ダジャレのレベルは自分と競うぐらい低い。

    自由にお持ち帰りください、と書いてあったが他の席にはそのままで、持ち帰る人はいないし、他の客も読んですらいない。

    売れないよな〜とうとう、大新聞社もここまでやるようになったか。

    本や雑誌も売れないと今日のヤフーニュースでもあった。
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130105-00000302-bjournal-bus_all

    ということで注文を頼んで、新聞をめくる。なんかねぇ、そんな大上段に言われてもねぇ、、、すぐ閉じた。

    ところでいま、紺谷典子さんの平成経済20年史を読んでいる。これは2008年に書かれた本で、リーマンショックや政権交代も大震災も前に書かれた日本の経済話だ。(紺谷典子著「平成経済20年史」幻冬舎新書 2008年)



    本書P25より引用

    「財政赤字はパンクだ」「年金も医療保険もパンクだ」と政府は国民を脅かしてきた。「これ以上、後世に負担を残してはならない」「国民負担の増加も、社会保障の削減も仕方ない」と言い続けた。
     だから国民はがまんした。言われるとおりに、保険料の引き上げにも、増税にも応じてきた。それなのになぜ、財政赤字はとまらないのか。社会保障の削減が果てしなく続くのか。計算が合わない、どこか変だ。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり

    おそらく何年たっても同じ文言が繰り返されるのだろう。本書の中では大蔵省、現財務省と結託したマスコミのファシズムを声高に指摘する。

    自己責任、責任説明、政治責任とは何度も聞くが、一度たりとも、行政責任と非難する声は聞かれない。

    紺谷さんも一時期、マスコミで引っ張りだこだったが、結局、大勢に意の沿わない発言で姿を消す。

    岩上安身、森田実、植草一秀、郷原信郎、上杉隆、リチャード・クーみなそうだ。ある時を境にマスメディアから消える。でもググるとみんな元気溌剌で、シンポジウムやったり本書いたりしている。

    紺谷さんもアジア記者クラブのレクチャーでマスコミと御用学者の酷さに怒っていた。ほとうにヒドイ!サイテーって絶叫していた。
    http://iwj.co.jp/wj/member/archives/1886

    本書P27より引用

    平成の20年は改革の20年だ。細川改革、橋本改革、小泉改革と、まさに改革のオンパレード。ずいぶんいろいろな改革を進めたのに、生活は一向に改善しない。(中略)改革は逆に、日本経済の低迷と、国民生活の不安の原因になったとしか思えない。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり

    それから民主党の税と社会保障の一体改革、今度は「危機突破内閣」だそうだ。次は突破改革かな。

    なんかよくわけわかんないけど。とっっっっか〜ん進め〜突破者!

    去年の総選挙をみてもわかるが、基本的に日本人は変化を好まないのだろう。むしろ現状を楽しむ創造力とタフさがあるように思える。

    よく言われる存在権も人権も意識は薄く、あるまま、いるがまま、やられるまま、、、でもそれでもいい。みんなが幸せならば。

    そんなふうに自己責任を無意識に操って、それよりも和を尊び、生そのものに感謝できる強い民族だと思う。

    日本の神話でも、小競り合い程度で大きな殺戮物語は出てこない。なんかおだやかな国作り物語で微笑ましい。

    しかし尖閣、竹島問題からか、急に右傾化が目立ちはじめている。戦争も辞さない、なんて酔った席で聞くこともあるくらいだ。

    日本なんか復旧中の福島原発に一発落とせば終わりだ。それか敦賀あたりの古い原発にミサイル打ち込めば地球規模で終わる。てか、電源供給絶ってしまえばいい。

    こんな強力な抑止力をもった国、他にないぞ。

    安倍政権は確かに右傾化していると言われるが、右翼は国=国民を護持する勢力・思想だ。だったら原発、TPP、増税はすぐに廃止だろ。違うのかな?!

    とにかく2013年も始まった。いい年を願うしかない。何人かの友人の新春の便りには、大きくなったよ〜!と愛する子どものことを喜んで報告してくれている。

    そんな子どもたちのためにも2013年もLOVE & PEACE!
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    謹賀新年だけど、宇宙は2つある—その2
    2013Nyc.jpg

    はい2012年があと数時間で終了します!

    2013年、皆様のご多幸お祈り申し上げます。

    ガラスのコップに約5分の1ほど水を入れる。

    だいたい18mlくらい。

    そのなかの水の分子の数が6×10の23乗個で、全宇宙にある星の数と同じくらいだそうだ。

    もし水の分子の大きさを砂粒くらいにすると、両手に一杯すくうと800万個くらいでサッカースタジムを埋めるくらいで全宇宙の星の数に匹敵するのだそうだ。

    なんて水の分子って小さいのだろう。

    1秒間に水素とヘリウムの分子が10億回、人間にぶつかっている。それが1気圧だという。
    (以上、放送大学授業より)


    パソコンで言えば1ギガヘルツ。っていうかパソコンもスゴイ。今やその3倍ものスピードだ。つまり3気圧。

    訳もなくスッゴイよねぇ〜。無意味なスゴさってよい! 神の仕業みたいだ。

    では先回から続きでウダウダともうひとつの宇宙について。また長くなりそう、、、汗スマソ

    もうひとつの宇宙は認識論的宇宙だ。

    前回では、ビッグバンで創世された137億年歳の宇宙の銀河系の太陽系の地球に、人間が進化論的に存在していて、その60億以上いる人間のなかに自分という自覚がある。

    そんでもっとその自覚は、自分自身一個しかこの宇宙に存在しないで、寿命とともに消失してしまう。

    それで自覚のなかでしか宇宙は存在しない

    つまり自分が認識したから初めて宇宙は存在する。

    カントという大哲学者は、「人間は感性と悟性を生まれながらに持っていて、感性は触感的に受け身に感じるもの、認識は、悟性によって自らが思考して得る情報。その感性と悟性の両方の作業で、物事はこの世に現れる。そしてこれを現象とよび、世界は構成されている」と説いた。

    専門家じゃないのであくまでも自分勝手な解釈ということをご了承ください。

    つまり自我が、認識することによって、初めてそれがイメージとなって、自分の世界の地平に出現する。だから認識がなければこの世は、無い、存在しない。

    つまり、その認識する手段はいまのところ、思考=言葉による方法しかないからだ。

    たとえば、メッチャ好みの美魔女を白金台で見たとしても、見ただけ、つまり感性だけではだめで、そこに悟性という、いい女!タイプだぜぇ!という自己の積極的に思考がともなわないと、美魔女として自分の世界には存在できない。(そこで判断する能力がまた問題になるけどあまり大勢に影響しないので割愛します)

    それでフッサール、ハイデカーなどが言う現象学哲学は、その現象に志向性という考え方を取り入れて、呼び寄せの法則の原型みたいな哲学世界を築いた

    つまり、人間は自分の欲する方向で物事を認識している。ってことで、どんどん欲していれば、その願望そのものが現れる。やった!願望は自家薬籠中のモノ、夢は叶う。(これは、あくまでも自分の志向性の理解です)

    夢が叶わないと思っている人。自分が不幸だ、ウンがない、貧乏だぁ〜と悲観している人は、それは自分がそうなることを求めているからだ、と自己啓発セミナーでは常套句&責任逃れの安全弁。

    ということで、世の中すべては自我が作り上げたイリュージョンというのが、もうひとつの宇宙だ。

    しかし311のような大地震はイリュージョンか、と問われると、実際、被災者が大勢いて、町は壊滅している。このことは幻想だとは誰も言えまい。この現実は共有された事実だ。

    しかし認識論的に言うと、共有しているという意識は自分しかわからない。相手も自分の意識のなかの幻想になる。

    だから、パラレルワールドも多次元理論もなんだってあり得る。幽霊だってUFOだって、その人にとって認識されれば真実だ。

    でも、トータルリコールじゃないが、それすら感性のイリュージョンなのかもしれない。

    肉体もすべて幻想なのだ。痛みも苦しみも喜びも

    またいい方を変えると、真実って?本当にあるって何か?という意味の定義の問題でもよい。

    真実とは、幻想の世界における真実だとしたら、ほんとうの真実ではない。

    とまあ、実世界だろうがイリュージョンだろうが、宇宙がふたつあろうが、1000個あろうが、どうでもいいことだけど、消費税増税とか原発再稼働とか福島第一の復旧工事とか、そっちの方が大事。

    でも現象学的にいうと、消費増税も原発もある人々の欲がもたらした現象ともいえる。

    それを手に入れることを願った官僚やアメリカや政治家の「延長された表現型」だ。

    前の話に戻るが、悟性(理解)はその感性で得たモノを自発的積極的に、それが何かと思考する。とカントは言った。

    それで自分は、その積極的に何かを考えようとすること自体を、力=エネルギー=欲だ、と思っている。

    素粒子も、恣意的にその欲(エネルギー)でつながりあって原子をつくり、原子は欲であつまって分子を作る。分子は、、、、って欲がものを引きつけ合って宇宙全体を形成する。

    多分、この銀河系を含む大宇宙は一個の素粒子で、って永遠にループする。

    それが宇宙。なんか聞いたことのあるストーリーだ。手塚治のマンガにあったかもしれない。

    それでその欲(エネルギー)とは何か?!

    それは波長に置き換えられる。

    似た波長同士が干渉しあって同調して増幅して増殖していく

    水の分子も窒素原子と酸素原子2個のそれぞれの波長が引き寄せ合った。

    それが呼び寄せの法則であって類は友を呼ぶ、似たもの同士、いわゆる「」のことなのだ。

    それで、延長された表現型とは、リチャード・ドーキンスが唱えた定義で、DNAというある生き物?が生き延びたい「欲」ため、その住処でもある肉体をどんどん適応、変形させていった。



    「ヒューマン・ビークル」を唱えてビックル一気のみしたリチャード・ドーキンスの名著。

    ドーキンスが言うには、人間の肉体とはDNAにとって表現型という欲のかたまりなのだ。ある意味アート作品。

    たとえば草原を移動しやすいように直立し(説はいろいろあるが)、モノをつかみやすいように五本の指にした。立体的にモノが見えるように目を2つにし、水平に位置した。

    そして肉体を離れたところでも、DNAが生き延びるためますます欲のかたまりを増設していった。

    駆け足より早く移動したいから車を発明し、空も飛びたいから飛行機を発明した、と言うように。彼はそれらを延長された表現型と言った。

    そういうことから言えば社会も哲学も着エロも原発も国会も、延長された表現型である。

    この人間世界はDNAの欲で増殖し続けてできた結果(表象)なのだ。

    だから欲はみんなで強く訴えなくてはダメ

    1人の欲より10人の欲より1000人、1万人、10万人、100万人、1,000万人、1億人のみんなの欲の方が延長される。

    脱原発、消費増税凍結、反TPPって欲深く願望すればきっと延長される。

    こう思うと世の中、人間は簡単なシステムで成り立っている。

    たとえば、誰もが持っている願望は若い頃に戻りたい、高校時代に戻りたい、バリバリ遊んだ頃にもどりたい、っていう望みも、あと数百年もたつと現実化しているのだろう。

    バック テゥ ザ フーチャーは不可能だろうけど、もし自分の記憶をバックアップしておいて生まれてくる子供の意識に移し替えたらどうなるのだろうか?

    自分の自我が生き延びて、自分の子どもの人生を使ってやり直せるのだ。これって倫理的に非常に人間の本質にかかわり危険で混乱するけど、DNAが自我の主人だとしたら、成り立つ考え方だ。

    ちなみに日本では、仏教や儒教思想が根強く、我欲は悪と見られている。

    だからなるべく我欲は、人を助ける、自己犠牲というカモフラージュで押さえつけているのが日本人の民族性だ。

    もちろん和を尊ぶことは素晴らしい文化だけど、いまはそれをうまく利用されて、グリーダー権力者たちを増長させている要因にもなってはいないだろうか。

    とにかく欲が宇宙を作っていると思う。

    来年も我欲をもっともっと出すぞ!

    アーティストって欲の抽出家だからね。純度の高い欲プリーズ!
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    宇宙は2つある—その1
    2012年も終わる。

    今年もなんとか人間として、存在することができた!

    皆様、本当にありがとうございます。

    そして青い宇宙に感謝です!

    ということで、今年の総括で締めくくりたいと思います。

    だけど〜ごくごく当たり前のことを、さも大げさに解説してダラダラと長くなりそう、、、汗スマソ

    宇宙は二つあると思ってます。

    ひとつは認識論でいうような自分の意識のなかにある宇宙。

    もうひとつはそんな自分とはまったく関係なく存在している大自然の宇宙。

    どちらが本当かは、自分しかわからないし納得することもできない。

    だから宇宙は自分の中にある、と言う方が正しいのかもしれない。

    でもどっちが、正しいか真実かなんて意味がない。

    とりあえずこの宇宙が137億年前のビッグバンから始まったとしたら、宇宙的タイムラインでは今現在が、最終点、つまり行列のケツになる。

    すごいね、自分たちは生命の起源を飛び越えて宇宙の歴史の末端にいる。

    すべての存在は、時という言葉で例えられるように「物質の存在とその動きの連続」で存続している、というゆるぎない真理のもとに成り立つ。

    それはいいかえるとビッグバンで素粒子が生まれ(なぜ無から素粒子がうまれたかは謎)、それが引き合って集まりながら、宇宙はずっと膨張しているからだ、とも思う。

    類は友を呼ぶ、っていうことも原子同士が結び合って分子になって物質になってというレベルでの同じ現象だと思っている。何回も言うけどその引き合う力が愛。

    以前、宇宙収縮説が言われたが、やっぱり今の見地では、膨張しているのだそうだ。たぶん、収縮しはじめたらその影響は地球にも生命の原理にも人間の生き方にも影響がでると思う。

    とりあえず膨張していて、この説が正しいとすると(いま科学ではいろんな説があるそうだが)、

    人間っていうのもこれから宇宙のなかで、未来に向かって生存し続けることになる。

    もちろん人類が途絶えることもあるけど。

    でも、自分って一世代で終わってしまう。自分だけが終わるのだ。なんか変?!

    宇宙は続いているのに、それを知っている自分自身は自分だけで終わっちゃう。

    ただしそれは意識、自分を自分たらしめている自我だけのこと。

    意識はもしかすると他のスタイルにかわって、存続するのかもしれない。

    たとえばリチャード・ドーキンスが言うように、人間は遺伝子の乗り物(ヒューマン・ビークル)でDNAが、親から子どもへと子々孫々受け継がれている。

    また思想やアート作品のようにミームという文化的遺伝子が、受け継がれて人の記憶のなかで増殖していく。

    だから、子どもを守ろう!アートはスゴイ!ってことだけど、それだけでは終わらない。

    生命は子孫を残すために身をまもる手段を考え出し、もっとも効率的で省エネ思想で肉体を順応させながら進化をし、また子孫を残すというセントラルドグマへの疑いを抱かせないため、あらゆる手段や方策を築いてきたと言える。

    でもなぜ?!なぜ、人間も含め生物は進化しながら存続しなくてはならないのか?!

    そう、人類だけが子孫を残すこと、つまり生きること、存続することへの疑念を抱く手段を体得してしまった。

    つまり長い記憶力とそれを利用する知恵(言葉と思考)だ。

    そんでもって、人類だけがいろいろ面白いことになっていると思うのだ。

    って当たり前だのクラシナ・カナだけど、、、、

    でもこの考え方は自然主義的な見方だ、それにあまりに刹那的。

    認識論でいうと多次元があったり呼び寄せの法則ができたりパラレルワールドもあったりして、違った宇宙が存在したり超人になれたりもする。これについては次回に展開してみたい。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    トモダチ作戦参加米兵8人東電に被ばくしたと94億円賠償請求したそうだ。
    さすが訴訟国家アメリカ。TPPに参加したらどうなることやら。
    国際的になるっていっても宗教、言語、慣習など文化の違いがありすぎ。
    基本的にアメリカもヨーロッパもカナダもシンガポールもオーストラリアもニュージーランドも文化基盤は一緒、同族。
    経済だけが国の歴史や文化と切り離して運営できるわけない。
    だいたいGDPは11カ国の90%が日本とアメリカだって言う。TPPは中国韓国とか入っていない。だったら日米FTAで議論するべき。
    http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/27/kiji/K20121227004862180.html
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