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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • ゴーマンかましてヨカない日本(前回に続く)
    先週の12月7日金曜日、かなり大きな地震(M7.3)が、311(この日も金曜だった)と震源にかなり近いところでおこった。その前後、M5前後の地震が、同地域周辺で金曜10回以上、土曜は15回くらい発生している。
    日本の地震地図 参照:http://www.japanquakemap.com/week?lang=jp

    今回の地震は、311の余震のひとつで、太平洋側プレートが上にはねるアウターライズ型と言うらしい。より大きな余震の可能性も残っているそうだから、まだまだ注意は必要だ。
    http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012120700984

    日本は本州列島の宮城県のかなた沖合で、まっぷたつに折れている。それは、ちょうど銚子岬あたりから日本海溝に吸い込まれていくような感じだ。そんな近くに東海、福島第一、第二、女川原発はある。

    大きな地震があると、いつも脳裏をよぎるが、復旧工事中の第4原子炉だ。初動が細かくガタガタガタガタと長く続きながら、揺れが大きくなっていくと、デカイ鴨!東北方面か?!と、おおよそ震源が推測できるようになった。いきなりグラグラっとくれば、千葉でドジョウが暴れたか!ってな具合ですぅ。

    その崩壊した福島第一原発だが、今年の5月、IWJの原発構内取材の映像で見た限りでは、どうみても大地震に耐えられるような状況ではなかった。あれから半年くらいたったので、復旧工事はすすんでいるのだろうが、なにせ、一回で作業員はわずかの時間しか工事にかかわることができない。とにかく、3000人という復旧作業員の方々に感謝するしかない。
    参考サイト:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/16990

    大陸は平均して年間2.5〜3センチくらいの距離を移動しているという。これは、偶然の一致なのか、月が地球から離れている距離も、人のツメの成長も、だいたい同じくらいの速度だ。

    話が少し脱線するけど、1インチは2.54センチで、ローマ時代に男の親指のツメの付け根の幅から生まれた単位だそうだ。インチは12分の1の意味から。ところで自分とくらべたら、ローマ人の指は、かなりデカイね。1フィートの12分の1というくらいだから、足の指?(1ヤード、91.44センチの36分の1)

    ということは、1000年で30m弱、1000万年もすれば、300Kmくらい太平洋側に移動するのだから、日本は、原発を抱えて海のモクズになっている計算だ。でも30mも移動したら、おそらく福島原発は波打ち際か、地盤が下がるようなら海中だ

    1000年で放射能は衰えない。だいたい放射能が無害化するのが10万年弱くらいらしいから、ムリな話。それこそ日本にある原発は海岸線にあるから、あと1000年で海水に混じり合う。その前に、放射線廃棄物などが処理できていないことには、少なくとも地球上に、放射能が一気に拡散するのだ。しかし人間の英知を持ってすれば、放射能の無害化に成功すると信じている。だから、いく人かの有識者が言うように、日本は今から廃炉技術の開発と、そのビジネスを経済復興の目玉にすればいい

    ところで先回の『日本語は敬語があって主語がない』(金谷武洋著 光文社新書)の続きを書きます。
    前回ブログ:http://superblue.kilo.jp/aohitokun/?eid=260



    この中に、「あげる、くれる」の語源的に考察したところも面白かった。英語だと、「あげる」も「くれる」も「to give」ひとつで済んでしまう

    つまり英語だと、He gives me a book. I give him a book. それが、日本語では、彼は私に本をあげる、私は彼に本をくれる、とは決して言わない。私は彼に本をあげる、彼は私に本をくれる、としか言わない。

    それは、なぜか?

    本書より引用(P61):
     英語の場合は、話者(つまり主語)が与える立場でも受け取る立場でも、「ある物が人物Aから人物Bへと移動する」という状況そのものは共通しています。それは、あたかも上空から話者が(自分を含めた)授受に関する状況を、「他人事のように」眺め下ろしているからに他なりません。〜中略〜

     これに対して日本語が、「give」という行為を二つの動詞で言い換える理由は二つあります。第一に、話者が「地上」に立っているから。第二に、「あげる、くれる」はもともと敬語だったからなのです。

     話者の視点は常に「地上の視点」にとどまると言うことです。かくして、下(話し手)から上(聞き手)への物や恩恵の移動であれば「あげる」を、その逆に、移動が上(聞き手)から下(話し手)へと向かうのであれば「くれる」を選ぶことになります。
     視点が地上にないと、この違いはみえてきません。/引用終わり。

    ここでも、お互い地上で視線が溶け合う日本語の特異さがうかがえる。そして、この「あげる」も「くれる」も元々は、日があがる、暮れるや、色の赤や黒にも関連してくる。つまり、「あげる」は上にあがるから、「くれる」は上から降りてくる。どちらも、相手をリスペクトしていて、相手が上に位置している状況が想像できる

    著者が思い至った説らしいが、たとえば、日本語の「黒」に対する反対語(色)は「白」ではなく、「赤」なのだ。光の明るい、暗いも、赤と黒につながるっている。ちなみに、日本の子どもは大陽を必ず赤く塗りつぶし、海外の子どもだと、オレンジだったり、黄色に塗ったりするそうだ。面白い。

    前回も述べたが、敬語は恐怖心が生んだ生活の知恵だ。そうすれば、お互い地上の視点で語り合う日本語民族のコミュニケーションがうまくいく。ゆえに今のような民主主義という人類みな自由や平等を目差すシステムには、うまく機能しないとも言えるのだ

    エライ人を目前に、誰も気楽に話せないことは、言葉の複雑さが邪魔しているからだ。人を支配したかったら、人に信用されたかったら、なんでもいいから「エライ」という肩書を得て、知らしめるのが一番。そんな日本人は他の言語よりも、言葉の形骸により束縛されている、とも言えるのではないだろうか。

    対して、とくに英語系SVO語族は、言葉が示した行動や内容そのものにより重きを置いている。だから肩書のような過去の実績は、あまり効果を発しないようだ。(ビジネスなどではCVとかは重要なのかもしれないが)

    また、先回のブログで、力士の四股名にみる自然崇拝について紹介したが、俳句も例にあげて言及している。

    「古池や 蛙飛び込む 水の音」は何を詠ったのか(P148)。これは言わずとしれた、芭蕉の有名な一句。著者はこの句の中に、古池が大自然の象徴、そして蛙に例えられた動物や人間たち。そこにふたつの大局的な要素の対比から、日本古来の自然崇拝を解き明かす。

    つまり、水の音がすることで、古池の存在が、急に眼前にうかびあがる。水音が唯一の動物(人間)と自然をつなぐ大事件なのだ。それほど自然は、動かし難く強大な畏敬すべき存在だ。そんな世界観を5・7・5の短い言葉に集約させるのが俳句の素晴らしさ、と解説する。また俳句の季語のなかにも、芭蕉という名前にも、かならず草木自然崇拝が見てとれる、とも。

    一般的な姓名だってトップ20を見ると、佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、山本、渡辺、中村、小林、加藤、吉田、山田、佐々木、山口、松本、井上、木村、林、斉藤、清水だそうだ。草木自然(田は人工的だけど)に関連しないのは、高橋、渡辺、中村くらいか。
    同姓同名探しと名前ランキング:http://namaeranking.com/?search=ランキング&tdfk=全国&namae=名字

    そんな俳句は、この大局的な自然と人(行為)のふたつの要素をいかに対比させるか、その妙技にかかっているのだ。たしかに感動したり、面白い創作物には、意外性は欠かせない。それはつまり、あり得ない、思いつかない対比の提示なのだ。現代アートなんて、そればっかりかもしれない。

    日本人は、自然崇拝アニミズム民族だ。日々、大地は動いているし、今回の笹子トンネルの落盤事故も悲惨な結果を招いてしまったが、富士山に近いのがすこし不気味だ。たしかに人間の頭脳は素晴らしいが、大自然が「上」にあることを忘れてしまってはいけない。

    英語系SVO言語は、水平思考だ。上下にものを捉えない。それは現代において社会システム的には、本音を気兼ねなく言えるし、議論を構築できるから、ベターなのかもしれない。しかし、大自然に対しては意味がない。ゴーマンかましてヨカですか、とは絶対ヨカないと地震のたびに思います。

    そういえば、日本女子マラソンの先駆者は、ゴーマン美智子さんだった。しかし彼女は決してゴーマンじゃないですよ。でも、アメリカにゴーマンかましていたチャベス大統領が残念ながら、悪性ガンで副大統領に後継指名しキューバへ向かった。近隣諸国にゴーマンかましていた北朝鮮の人工衛星ミサイルも、故障で発射は延期になった。さてさて、日本のゴーマン・サックセス・グループは、どうなるのですかねぇ。

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    紅葉の代々木公園。日本の美。
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    神の視点、地上の視点
    (前回から続く)

    その言葉は『日本語は敬語があって主語がない』(金谷武洋著 光文社新書)の中の、文字がつらなる青い山脈に、まさにダイヤモンドの原石のごとく、ひかり輝いていていました!



    それが先回のブログ最後で書いた、「神の視点」「地上の視点」。つまり、金谷氏は、英語系言語が神の視点、日本語は地上の視点で、話者と聞き手が存在していると述べている。

    I LOVE YOU

    アイ・ラヴ・ユー。この意味は?と問われたら、「私はあなたを愛しています」だろぅ、学校で習った。

    しかし、我々日本人(日本語が母国語の人)が、実生活で、そんな日本語は使わない(自分は実生活で使うような場面がない)。愛してるよ!とか好き!、で十分、通じる。

    「僕は愛しています」、「あなたを愛しています」と主語や目的格を加えても、それは通じるが、なんかニュアンスが変わってきてしまう。さらに、「愛している、僕は、きみを」でも「好き、あなたのことを、私は」と言ったって同じ意味に変わりない。

    それが英語表現になると、Iの主語、youの目的語を省いたら成り立たない。Loveだけでは、日本語の好きだよ、とはまったく違う意味になる。好き!愛してる!って言いながら、JKが彼の胸に抱きついても通じるが、Love! Like!っていって彼の胸に飛び込んでいっても、彼は???キョトンとしてしまうだろう。

    彼女は世界平和を訴えたいのか、NYが好きなのかもしれない、と彼は、彼女のそのLoveに混乱してしまうだろう。そこではI LOVE YOUと言わないと、彼は、素直に喜んでくれないのだ。

    このように英語は、主語を外すと意味が通じなくなる。日本語は主語がなくても通じる。金谷氏は、このような言葉の構造が、日本人と米英人など英語を母国語とする人々の、思考、思想、感性、行動にとても影響を与えている、またその文化的、歴史的背景が反映されていると言うのだ。

    もちろん、英語系SVO民族たちは、初めに言葉ありきの、キリスト教、その母体となったユダヤ教。モハメッドが、アッラー神の通訳だったモスリムなど一神教的歴史背景も、ルネサンスやデカルトなどの哲学に見る、人間中心主義思想も多いに影響を与えてはいるのだろうが、長くなるのでここでは省きます。

    本書より引用(P16)【日本語の場合は、この「対話の場」に<話し手>と<聞き手>が一体となって溶け込むと言うことです。
     英語をその典型とする近代西洋語はこれと実に対照的です。<話し手>は、「対話の場」から我が身を引き離して、上空から<話し手>と<聞き手>の両者を見下ろすような視線を持つように私には思えます。】また(P17)【極端に言えば、西洋の<話し手>は<聞き手>と切れているのに対して、日本語では両者がつながり、同じ方向を向いて視線を溶け合わすと言えるでしょう。】

    自分は、これを読んだとき、目からコンタクト、じゃないウロコが落ちた。そっか〜だから日本人は議論ができないのだ、仲間意識が強く、差別意識も強いのだ、と、疑問がすすすっと解けていった。

    本書に戻ると(P21)【好いている「僕」を主語に、好かれている「君」を直接目的語におく西洋語は「あたかも、愛を自分がコントロールできる感情でもあるかのように」SVO(主語・述語・目的語)で言語化します。
    (中略)考えてみると「好きだ」は、意図的な行為ではありません。これは「する行為」ではなく、「そうである状況」と日本人は考えるのです。
    (中略)結婚式の招待状にも、この度結婚することに「なりました」と書きます。もしこれが「結婚することにしました」と書かれていたら、読んだ人は行間に「決意」を感じて、「おいおい、何かあったのか」と思うことでしょう。】(括弧内は加筆)

    本著では、一体化する、視線が溶け合う、<話し手>と<聞き手>のいくつかの例を、あげている。(P25)たとえば、「手前」という自分の意味の人称代名詞を、相手に向かって、てめぇ〜ぶっとばすぞ!と言っても通じる。でも、眉間にシワよせて、自分をぶっとばすっ!、という意味でも間違いじゃない。えっ!なんで自分をなぐるの?!って思うと、チンピラにカラまれても笑っちゃう。あおひと君は、「てめぇ」で自分のペニ笛、吹くけどね!

    同様に「己(おのれ)」が俺、おんどれ、になって、おんどりゃ〜!ってなった。ドス振り回してカチ込みする高倉健は、「私は〜っ!」て、怒鳴り込んでいる。というように、自動的に自分が、あなたの意味にすり替わっていても、違和感はない。つまり話し手も聞き手もその場で溶け合っているのだ。この地上で溶け合った、あなたと私は、もう心身一体だ。

    もう一つ、興味深い実例をあげている。(P28)川端康成の小説「雪国」の有名な冒頭のフレーズの英訳とオリジナルを比較する。すると「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」がサイデンステッカーの翻訳では、
    The train come out of the long tunnel into the snow country. となると言う。

    ここで日本人だったら、主人公は、汽車に乗っている乗客のひとりで、トンネルから汽車が出て行く時間的経過と、その主人公が抱いているいろんな感情なども、その言葉の中から読み取るのではないだろうか?

    しかし、それが英語に翻訳されると、主人公は汽車(Train)になっているのだ。英語では、汽車がトンネルから出てくるその情景を描写しているにすぎない。つまり上からの視線である。著書曰く「話者が世界を支配するかのように見下ろすSVO言語」になってしまった現代英語のせいだ、と言う。

    ネイティブスピーカーに、この場面を絵に描かせると100%、俯瞰した雪山のトンネルから汽車がでてくるシーンを描くのだそうだ。しかし、日本人だったら汽車の中にいる自分から見る情景を描くと思う。向かいの座席や車内、マドから見える白く明るくなった前方の光とか、思い浮かべるはずだ。

    こういった日本語の特性が理解できると、ありきたりな日々使っている慣用句にも感動させられる。

    「おはようございます」は、「お+早く+ございます」から転じたフレーズだという。(P43)これは対話の場に会話者の二人が、「早い」という状況にともに感じ入っている。まさに「共感」そのものを表している、という。かたや英語の「Good Morning」は、I wish you a good morningの略だそうで、ドイツ語のGuten Morgenの(en)目的格使用が傍証になる、と解説する。つまり神からの目線、「私はあなたに、いい朝を望む」と言うことだ。

    われわれ日本人だったら、そんなふうに言われたら、たとえば出勤途中の朝の駅前で、嫌いな議員さんから「私はあなたに、よき朝を望んでいます!」なんて言われても、「こんな朝っぱらからあんたに望まれたくないよ!こんな国になったのも、あんたたちのせいだ!」となっちゃって、その一日はストレス全開デーになってしまう。

    でも、日常では、英語系人たちに、グッドモーニング!と言われても、腹が立たないのは、自動的に、日本語のおはよう、という意味にすり替わっているからだ。それはともに分かち合ういいことかもしれないが、しらぬまに彼らと共感している自分もいる、と言うことになる。あくまでも、英語系の人々の潜在意識では、「私はあなたに、いい朝を望む」と、神の視線の住民なのだ。そこがわかってくると、なんか白人への劣等感や、英語恐怖症も少しは薄れるのではないだろうか。

    議論が苦手な人は、こういう日本語の特性である、相手も自分も、溶けあっちゃう共感の場で、議論しようとするから、相手を否定できなくなって、つまり、それが自分を否定することにもつながって、論旨がバラバラになっちゃうのだ。また感情にも移入しやすい状況だから余計に気持ちが高ぶってしまう。

    それが、英語系SVO言語だと神から視線なので、まるで言葉のアバターが、はるか下にある土俵のうえで、相手の議論アバターと戦っているようなものなのだ。議論をゲーム感覚で味わえる。ゆえにいくらカンカンガクガク、いくら白熱した議論を交わしても、終わった途端、討論相手と気兼ねなく一杯、飲みに行けるのだ。日本人だったら、ちょっとした指摘でも悔しくて、感情が高ぶってしまい、当分のあいだ、相手と落ち着いて仲良く話せないことだろう。

    また、言葉で感情移入がしやすい利点は、同族意識を育てるのが、とても早いし得意なツールということでもある。言語上、NOと言いにくいのだ。このところ、官邸前デモも盛り上がっていて、共感するのはいいが、一緒にいてシュプレヒコールを叫んでいれば、身も心も同体だ、と錯覚し、個人的境界が消えてしまう。

    そこで違った意見を発したり、違う行動を取ったりすると、一気に感情が裏返る。つまり、地上の目線が溶け合った参加者全員への否定につながり、嫌われる。また、マイクを突きつけ、次はあなたも演説しなさい、と強要して、拒むと同志じゃない!と決めつける。

    ゆえに、学校でのイジメも、村意識も、外交下手も、仲間はずれも、本書の言う地上の目線で、引き起こされる数々の弊害だ。政治家や少なくとも外務省、外交政治は英語でしないと損をする。交渉相手は、神から目線で冷静に、楽しみながら、はげしい言葉を投げかける。地上で交渉する日本人は、ずっと降りかかってくる言葉の剣を、払いよけながら交渉しなければならないのだから、戦う前から勝敗はついているのも同然だ。

    でも、そういうことがわかると、まだ対処しやすい。演説のうまい人、会話上手なモテ男たちを観察していると、相手の立場に立って発話している、と言うことなのだ。話しのうまい人たちは、まるで聞いている本人が、自分の意思かのように錯覚さえ覚えさせる。だから、オレオレサギも、対米追随国家もすぐできた。

    日本語は洗脳しやすいのだ。そのときの言葉の勢いや情感で、騙されやすいのだ。冷静に言葉の意味をいちいち検証はしないし、そういうことが、簡単にできる文法構造ではない。だって、最後に、思う、とか、そうだろ、とか違うか?とか、共感を後押しするような動詞がくるから、目的も主語の検証もなおざりになって、そうだそうだ、ってなってしまいがち。

    まず、少しでも相手が信用できると思うと、共感、共視しようとする。そして、共感が深まれば深まるほど、抜けられなくなるし、否定できなくなる。なにせ、相手を否定すること=自己否定だからね。もちろん、はっきりモノをいえる人たちも多いけど、少ないと思う。

    また、そういう人たちの否定や反論も、もとをただせば、自分の共感領域への引き込み、つまりエゴの押しつけだったりする。という、とらえ方になる。お互い地上にいるのだから。ネットでもよく炎上するのが、そういったちょっとした言葉の使い方で生じる誤解だ。とにかく、お互い溶けあっているから、動詞でする指図や、命令口調は御法度なのだ。

    その結果、日本語にはそういう性格や行為を表す単語の多いこと。厚かましい、恥知らず、厚顔無恥、でしゃばり、図々しい、傲慢、無礼、僭越、不遜、面の皮が厚い、生意気、しゃくに障る、など、いろんな言葉が生まれてきた。

    ここでは敬語について詳しくは、本書を読んでもらうことにして、簡単にいうと、敬語は恐怖心から生まれた。お互い地上にいるから、言葉による軋轢も生まれやすい。ゆえに先に挙げたような、悪感情に対する単語もたくさん作り出された。かたや、それを回避するため、敬語という相手をたてる用法も発明された、と解説している。

    英語系言語は、お互い上から眺めているから、敬語も必要ない。(補足だが、フランス語やドイツ語などまだ、複数で丁寧、敬語的な使い方も残っている)とくにアメリカ・ビジネスじゃあ、まったく反対側の倫理感。とにかくアグレッシブであれ、だ。

    その反面、日本語のいい点が、俳句などにもある繊細な詩の宇宙感だ。本著では俳句の世界もとりあげ、わびさびに代表される日本文化の繊細さ、また自然中心主義的芸術感にも触れている。あと敬語についても多くのページをさいているが、もうひとつ面白い実例を挙げていた。

    それは力士の四股名(シコ名)だ。いま、白鵬と日馬富士が横綱で、鶴竜(モンゴル)、稀勢の里、琴奨菊、琴欧州(ブルガリア)、把瑠都(エストニア)が大関だ。このうち日本人力士は、稀勢の里、琴奨菊二人だけ。あとは外人。日本人力士にもガンバって欲しい。それで言いたいのは、外人力士の四股名には架空も含め動物名を使っていること。そして日本の力士には植物や自然の山とか海などが多いというのだ。

    確かに番付表を見ると、外人力士では、把瑠都、阿覧(名前は欧虎)栃ノ心くらいで、あとの四股名には動物名の鶴や龍、鵬、狼、鷲などが使われている。最近は日本人力士にも龍を使った四股名(常幸龍、千代大龍、妙義龍)もいるし、碧山(ブルガリア)、時天空(モンゴル)などもいるから、これも時代の趨勢だろう。ところで、大鵬という大横綱がいたが、ウクライナ人のハーフだったそうだ。

    それで、日本人には植物や自然崇拝(アミニズム)があって四股名に例えられるように、植物や山や海など自然を、力の象徴とした。若乃花、貴乃花、琴櫻、北の湖、北勝海、双葉山などなど。動物は本来、日本では強いものではなかったのだ。それが今や横綱は、曙(64代/ハワイ)から始まったが、武蔵丸(67代・ハワイ)、朝青龍(68代/モンゴル)、白鵬(69代/モンゴル)、日馬富士(70代/モンゴル)と動物名が入ったままだ。

    ちなみに何度もいうが、古事記などの神話によると、あおひと草から人は生まれたとある。だからあおひと君だけど、それにも明らかなように、古代日本は自然、草木などを崇拝し、そこに力の源を考える信仰だった。桃の節句も花見もお月見も、ご神木も、延長すれば伊勢神宮の式年遷宮も、草木、自然崇拝のタマモノであり、象徴なのだ。

    日本は美しい四季と南北に位置する風光明媚で自然環境がとても豊かな、また日本語に見るような人の心を大事にする言語を使う、誇れる国だ。そんな日本が、アメリカやヨーロッパと一緒にいまから並んで、同じ土俵で競い合って、どうなる? 

    それよりもジャパンガイドじゃないが、このすでに存在している自然の宝庫と、日本人のフレンドリーでオスピタリティな精神文化を誇れる民族、国家をめざしてもらいたい。それが一番の抑止力になるとも信じている。そういう未来の日本像を期待するのだが、さて、どうなることやら。
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    暴走する米国防総省と議論が出来ない日本人
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    先週、土曜は6月に個展をやったコエグジスト・トーキョーで、「辻憲行×丹羽陽太郎ギャラリートーク オルターモダンの条件」に行く。http://www.coexist-tokyo.com

    トークのあとは、森近徹氏のサックスソロ。どちらも丹羽陽太郎氏のインスタレーション作品にうまく絡んで、とても面白かった。

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    写真上:辻憲行トークショウhttp://gjks.org/
    下:森近徹ソプラノサックスソロhttp://Istanbulutoko.jugem.jp/

    日曜は、アップリンクでの米軍の実態を暴いた、とてもショッキングなドキュメンタリー映画
    誰も知らない基地のこと(Standing Army)
    &ジャーナリスト岩上安身氏トークショウに行く。
    http://kichimondai.com/theater/

    映画って何年ぶり?に見た。この映画は、いまの日本の政界財界マスコミなどの不自然な動きを裏付ける、重要なカギを提示してくれている。

    アメリカはいま、国防総省に乗っ取られつつあり、その触手が日本にも、はげしく絡みつつあるのだ。上映後の岩上氏のとてもわかりやすいトークで、それがあぶり出された。

    世界の国防費の半分の6500億ドル、2位中国のなんと5倍。米軍154万人で25万人が海外に。世界にあるアメリカの基地は誰もその数を知らないというが、公表では40カ国、666基地。1位ドイツで232カ所、2位日本109カ所(うち74%が沖縄にある)という。

    知っての通り、思いやり予算を、払っているのは日本だけ。それも年間約6500億円。ドイツも韓国も基本的に払っていない。もちろん、はっきりした数字は隠したがるのでわからないが、とにかく日本はダントツ1位!

    なぜなら、日本ほど順じゅんな国はないのだそうだ。払えっていえば払う、やれっていえばやる(対米追随国家)。それを、アメリカ海兵隊出身でCIAにも務め米軍側人間で、ある時、180度考えが変わり、反米軍的になったチャルマース・ジョンソンという国際政治学者が述べている。

    また彼は「私は憶病な鳩山由紀夫首相よりも、傲慢な米政府を非難する。基地を維持することに取り憑かれ、受け入れ国のことを顧みない」、「普天間の返還とともに、米国は沖縄の人々に対して65年間もの辛抱に感謝すべきだ」とも発言した(ウィキペディアより)。彼は、今回の映画にも登場している。残念ながら2010年に亡くなった。

    岩上氏いわく、昨年アメリカ議会では国防権限法(NDAA)という愛国者法以上の強権法が成立。これは、国防総省長官がOKすれば、誰でも逮捕でき裁判も弁護士もなにも許可されない、という北朝鮮の拉致を合法化したような法律で、つまりアメリカは国防総省の権限がとても強くなっていて暴走しはじめている、と指摘する。

    それで今やアメリカに7人にひとりはフードチケット(低所得者の保護サービス)をもらい、世界の囚人約1000万人の4分の1にあたる240万人(米国民の100人にひとり)が収監されて、低賃金労働者として働かされているのだという。彼らは私設刑務所で収監料を払い、低賃金を稼ぐが、ある囚人は借金を背負って釈放されることも、おこるのだ。もう世も末の状態。

    米軍が、一日に消費する石油はスエーデンの一年分にあたるとか、とにかく毎日、維持費に莫大な金がかかり、それが軍産複合体にもながれ、サメが泳ぎを止めたら窒息死するように、常に資金を補給していかなくてはならない。

    だから、日本に眠る1000兆円の金を狙い、市場開放、軍需品を買わせ、たとえばオスプレイや、今度はパトリオットミサイルだ。とっても尖閣問題も、竹島も北朝鮮のミサイルも、わかりやすい。

    アーミテージ、ジョセフ・ナイ、ジェラルド・カーチスなど代表的なジャパン・ハンドラーたちが暗躍し(いまや公然と行動するようになっているが)結果、憲法改正や国防軍、TPP、ACTA、原発推進につながり、マスコミが全面バックアップし、それに抗うものは不審死、ねつ造されたスキャンダルによる失脚、ビビって初志を引っ込める政治家たちなど、例をあげれば、枚挙にいとまがない。

    など以上のようなことは、孫崎亨氏の書籍や、岩上安身主宰IWJで録画をみられたり、会員になるとメルマガで、他では得られない、いろんな時事ネタも配信してくれる。
    詳細は:http://iwj.co.jp

    明日、その勢力図の色分けを決める重要な総選挙が、公示されるが。。。

    もし、対米追随がイヤな政治家は外交で、もの申すしかない。反論するしかない。その前に、あっちに迎合する官僚をなんとか説得するしかない。偉そうなこと言ってても自分は、高みの見物、犬の遠吠え、対岸の火事なのだが。

    ところで、なんでも言うことの聞く政治家に限らず、自分を省みると、つねづね思うのがー

    ■なぜ、日本人は議論がうまく続けられず、すぐに感情的になってしまうのか。(結果、議論に負ける、損をする)

    ■激しい口論をすると、その場で終わらず、悪感情を引きずる。(友情やクライアントを失う)

    ■結果、議論や言葉の説得よりも、その場の空気、和の維持に重きがおかれ、それを乱すものは、はじかれる。(イジメや個人的人権の軽視。差別の原因)


    ちなみに、ここに書かれていることは、あくまでも自分の私的見解です。一般論じゃないです。防備録です。

    とにかく、これだけ国際的に開かれ、いろいろな人種が行き来して、生きていかなければならないのだから、議論の本来の目的、つまり自分の掲げた主張を、いかに相手に納得させ、悪いところはその場で認めブラッシュアップして主張を高め、伝え、説得するということは、不可避なのだ。

    外国人にまず、アウンの呼吸を、言葉で説明して、納得してもらえなければ、アウンの呼吸は通じない。

    たとえば、反目する勢力が対峙した議論、討論をみていると、その文言や内容ではなく、なぜか意地の張り合い、言い争いで、本末転倒、枝葉末節、挙げ句の果てに、それを発する人間批判になり、テーマの結論を導き出すところまで、なかなか行き着けない。いい例が、テレビなどの討論番組や、国会で繰りひろげられている政策討論だ。

    その理由がわかれば、政治家も、今より少しは交渉上手になれると思うし、政策議論だって、一任逃亡やら、骨抜き議決だって、なくなるんじゃないだろうか。もちろん、以上にあげた点を、そつなく上手にやりこなす人もたくさんいる。でも、みんなが出来ないと、条件がそろわないと結局、既得権益、その場のパワーバランスで帰結する。

    自分がなぜ、このようなことに思い至ったか、といえば、自分のプライドの高さに迷惑しているからなのだ。いつも相手が発する言葉で、心が乱される、もしくは自分を閉ざしてしまう。

    もっと冷静になって、相手の忠告や言葉を受け入れられれば、もっと楽しく生きられるのに、と、ほんと後悔することが多々あるだからだ。(つまり素直じゃない、頑固ってことだけど。まあ、それはアートに関していえば、必要な武器なんだけどね)

    ところが最近その理由、つまり議論がうまく出来ないこと、すぐ感情的になること、後味の悪さや後に引きずる感情、嫉妬しやすく、仲間はずれなどが生まれやすい意識。

    よく言えば、日本人の美意識、和を尊ぶ性格。悪くいえば、陰湿で表裏のある二面的な性格。

    それら日本人特有といってもいい性行が、あるひとつのところから生じていることを見つけ出したのだ。そのわけを明白にさせてくれた科学的な推論にぶち当たったのだ。

    その目からウロコのキーワードが、「地上の視点」「神の視点」だ。

    長くなったので、続きは次回に。
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    ネット公選注意報 発令!
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    とても美しい日本の四季。これこそ誇れる日本!代々木公園にて

    パレスティナがオブザーバー機構からオブザーバー国家に格上げ。なんとその国連総会の議決で、日本は賛成票を投じる。

    対してアメリカ、イスラエル、カナダなど9カ国が反対。英国、ドイツは棄権というから、日本もやれば出来るのだ。といっても、今回の格上げは実質、国家としての効力はそれほどない、とする声も聞こえてくる。とにかく一歩平和に近づいた、とよきに信じよう。
    参考サイト:http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/palestine/?1354232553

    体がボロボロ、睡眠障害、大ジンマシン、鼻アレルギー、そして日曜は、ひさびさにギックリ腰。それに精神面でも、12万円入り財布拾得事件から時もたたずに、あるクライアントさんからギャラの過払い発生!

    通帳見たら思わぬ金額、やったぜ、ベイビィ! だ〜が〜、、、、残高の、あの予期せぬ数字の残像は、まだまだマブタに焼き付いてはいるものの、恨みませんよ、怒りませんよ!クライアント様さま、サマンサ田端。

    当然、すぐに返金。こういうものは、早ければ早いほどいい。じゃなきゃ、どんどん私物化、悪魔が舞い降り、ガッツリ心をひとり占め〜♪

    そんでもって先日、睡眠障害と息苦しさ、鼻アレルギーの原因と治療を考えて、ネットで実績と評判のよい呼吸器系病院を調べ、勇気を出して、行ってみた。

    まずはレントゲン(今はデジタルなんですねぇ、大型液晶モニターで見れられて、すごく鮮明で驚いた)。すると、肺はキレイなもんで、和田アキ子で有名になった喫煙者特有のタバコ肺(COPD)でも、ヤニで真っ黒でも、もちろん肺ガンもなさそう、とのこと。

    あっれッ〜?!おっかしいなぁ。30年間一日1箱以上は欠かせないベィビースネーク・スモーカー(やや重い常習喫煙者)を自慢している身なんだが(今はネガワーク中なんで、半分に減ってはいるけど)。

    それに血中酸素濃度は98%と優秀、肺機能は問題ないらしい。やっぱり、あおひと君パフォーマンスのおかげだ! ビニールテープ自縛パフォーマンスは、肺をかなり強く絞るからねぇ、それでヤニとか、ガン細胞が排出されるのだろう、な、わけないか。

    とにかくひと安心、でも気をつけるにこしたことはない。あとはアレルギーの有無の検査結果待ち。で、いっぱい検査して紹介状もないもんだから、保険診療にかかわらず、診療代がとっても高かった。これでは、国民皆保険制度なきゃ、やってられないな。やっぱり反TPPだ。

    それとなく診察中に担当医さんに、政治傾向を探ってみる自分。都立病院だったので、都知事が変わったら、やっぱり病院にも影響があるのかなぁ?とかTPP加盟したら、患者さん、たいへんになっちゃうなぁ、とか、独り言のようにポツり、ポツり、ポツりぬすきん。

    しかし、そんなタワゴトもつかの間、今回の知事選と総選挙において、選管や規制当局が、ネット上での選挙違反摘発に力を入れている、とあるところから忠告がはいる。

    有名な鹿児島県議会のシブシ事件もまだ記憶に新しいし、官の側に、汚名挽回、雪辱を果たす、という気持ちもない、とはいいきれない。まだフタを開けないと、何とも言い難いが、今回の総選挙は、予想に反して、とんでもない結果を招くかもしれない(総選挙公示日は12月4日)。

    だから、なんとか前例を作り、ネット公選法を阻止したい立場の方々は多いはずだ。当然、かの有名なO代表事件も影響していることは、言わずもがな。

    それに規制側としては、机にモニターならべて金融ディーラーみたいに捜査できるし、外は寒いし、それほどの技術者も必要としないから経費もかからなくていい。それに、まじめな密告、ふざけ半分のチクリ、腹いせニセメールも相当あるだろう。

    でも一番危ないのは、立候補者本人とその回りのスタッフ、ボランティアだ。ツイッターで何の気なしに、ささやいたワンフレで、ブタ箱行きなんてことも。それこそ検挙数の多寡と、結果いかんでは、最高裁判断でやり直しということだってあり得る、という噂も耳にする。

    ネット上の話だが、(もちろんチラシ、ビラ、無線、のろしなどもダメ)ツイッター、sns、ホームページ(ブログ含)、メールなどで、特定の政党、または候補者を、支持するような内容と見なされたら、ブタ箱。

    ここでツイッターでは、応援はOKだ、という意見も多かった。しかし、下記のやり取りを読む限り、応援か選挙運動か、の線引きがはっきりしないのだ。これではまたまた、シブシ事件のような冤罪が起きても、不思議ではない。

    チト長くなるが「総務省自治行政局選挙部選挙課に問い合わせ。以下そのやり取りをツイート」スレから引用する。
    ‏iwakami_staffより https://twitter.com/iwakami_staff

    ーーーーーーーーーーーーーーー
    11月29日 iwakami_staff
    4.問「具体的にはどういった内容が駄目なのか?」→担当「『今日、○○候補者を見た』とか、『こういった政策がある』という表現ならば問題ないと思いますが、その文章が何を目的にしているのかによります」(続く)

    5.(続き)担当「その目的が、特定の候補者に投票させようと疑われるものは、公職選挙法の『選挙運動のため』に該当するので、違反となります

    6.問「一般の人が、候補者の政策や人となりを議論するのも駄目なのか?勝手連も駄目ということか?」→担当「公職選挙法では、候補者やその陣営だけでなく、第3者が葉書やビラ以外を頒布しても違法となります」(続く)
    <中略>

    8.(続き)担当「論じ合うことは問題ないが、『選挙運動のため』と疑われる葉書やビラ以外の『文書図画』の頒布(インターネット上の発言も含む)は、選挙法に抵触する可能性がある

    9.問「『選挙運動のため』という表現の認識は、人それぞれ違うし、誰が判断するのか?」→担当「最終の判断は、取り締まり機関が判断する
    ーーーーーーーーーーーーーーーーー

    つまり、その判断基準は規制当局の采配にかかっている、という具合。なんか、つい最近も、似たような判断で、延々と裁判していたことがあったっけ。

    とにかく、表現にかかわる人間にとっては、とても危ない時代になったと、思うべき。

    ここでまた一つ、疑問が。ブログなどの更新を、サイト全体の更新と見なされたら、過去のログも含まれてしまう!う〜ん、とくに立候補者は承知しているのだろうが、植草さんとか、八木啓代さんなど、煙たがれている人たちのサイト、情報発信は要注意だろう。

    滋賀県嘉田知事が新党を立ち上げた。今まで野党がバラバラで、マスメディアに、黙殺されていた第4勢力?も、これでは第3勢力として認めざるをえないだろう。正直、国民の生活が一番も、よかったが長かったし、比例での記入例で「生活党」はダメ、とイチャモンつけられていたからよかったのかもしれない。

    それに反して、マスコミは、肩すかしをくらったようなもの。小沢代表の首も、無罪も重なり、かつ、ひな壇からも降りてしまって、捕りようがなくなってしまった。

    しかし、懲りない面々、次なる手は、傀儡だとか、いろいろ言い始めている。意地になった子どものケンカを見ているようで、やっている方は真剣だから、はた目からは面白くていいけど。

    それより福島原発関連、ガレキの問題、被災地復興、国際情勢など大事で公共的なネタはたくさんあるのにあいかわらず、ってことに、今や一般ピープルが共通して憤っているのだが、威(井)の中の蛙、大衆(大海)を知らず。

    ところで、個人的見解と断っておくが、なぜ、日本人は議論がうまくできず、すぐに感情的になってしまうのか。議論の目的、つまり自分の掲げた主張を、いかに相手に納得させ、悪いところはその場で認め修正し、ブラッシュアップして主張を高めるという、議論の本来の役割を、使いこなすことができないのだろうか?

    次回に続く。

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    とある公園の注意書き。子ども専用?なんのための公園?そのうち、携帯禁止、おしゃべり禁止、歩行禁止、立ち入り禁止ってなるのだろうか?
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    国立霞ヶ丘競技場改築にかかる住民説明会リポート
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    写真:なにやってんだか?!(11月15日パフォーマンス。撮影:世利之)

    27日は午前中、壁画を描いた瑞聖寺に、来年のZAPギャラリーでの個展の打合せ、そのあと写真家の世利之さんに壁画の完成写真を撮ってもらう。プラス日曜に、久々にやってきたギックリ腰を我慢しながらポーズジングするあおひと君デルモ撮影も敢行。

    夜は、国立競技場の建替え住民説明会に行く。神宮前二丁目の安アパートに住んでいるだけだが、ポストに案内が入っていたので興味本意で参加してみる。

    ちなみに立替案国際コンペは、イラク生まれの女性建築家ザハ・ハディッド(1950年生まれ)が射止めた。ロンドンの建築の名門AAスクールで学び、30歳で独立、その後ハーバード大やイリノイ大で教えた経験もあるが、十数年間は実現した設計はなかったと言う。人種の問題かは、わからないが、やり直しで連勝しながらも、それでもスポンサーが降りたプロジェクトなどを経験、不運な作家でもある。

    しかし彼女は、シンガポールの都市計画、ロンドン五輪水泳会場のアクアティクスセンター、そして世界三大建築賞のひとつ、プリツカー賞を女性で初めて受賞するなど、いまや世界を代表するアーキテクトのひとりに(ウキィペディアより)。

    まあ、彼女のデザイン案はさておき、説明会はとても為になった。この国立霞ヶ丘競技場の立替案、現在の4万人規模から8万人に収容人数を増やし、総事業費1300億円の血税を投入。ある意味国家的プロジェクト。それを日本スポーツ振興センターという文科省の外郭団体が運営管理する。
    国際コンペ詳細:ウォールストリートジャーナル日本版 http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/15125/
    これをみるかぎり、フランスのドメル・ゴットメ・タネ案なんか、緑で覆っててベタだけど好感持てる。

    で、説明会を聞いていると、受賞デザインはともかく、その前からの事業計画があまりにもずさんなことに、気づかされる。(以下、配布資料より。部分的修正あり)

    <立替理由>
    1958年完成の建築物で、老朽化と耐震強度の不足。
    東京オリンピックのメイン会場で、戦後復興と国際社会復帰のシンボル的存在の立地とその継承。
    スポーツも文化のひとつとして、世界に誇れる文化的建築物を目差す。(質疑応答から)

    <新国立競技場の基本コンセプト>
    大規模な国際競技大会の開催が実現できるスタジアム
    観客の誰もが安心して楽しめるスタジアム
    年間を通してにぎわいのあるスタジアム
    人と環境にやさしいスタジアム

     最先端の環境技術を備え、緑あふれる周辺環境と調和するスタジアム
     震災などの災害時発生時にも安全で、避難・救援などの拠点となるスタジアム
     スタジアム内外及び周辺駅からのバリアフリーに配慮されたスタジアム

    つまり、プロジェクト自体はなんの問題もなさそうだが、まず・・・
    8万人収容というものの、完成後の事業経営計画(ソフトの考慮考察)がない。事業収支も考えていない(つまりこれから基本設計、実施設計に移って完成17年後なので自分達はもうリタイアしてます、くらいの熱意のなさ)。資料には事業費用も主催者名も書いてない。やっと住民の質問で答えたほど。

    それで現在の実質稼働率130日程度。いくら箱を変えてもソフトの充実・改善がなければ、年間を通してにぎわいなんて不可能。しかしそんな提案はどこにも書いてない、って検討してないってば、オヤジ!

    それで、スポーツは文化のひとつといい、東京オリンピックのメイン会場を全面に押し出しながら、嵐とかスマップなどのコンサート使用も期待する(そのころまで嵐やスマップみたいなアイドルがいて、客を呼べると思っているところもスゴイ)。

    そしてラグビーファンには申し訳ないが、2019年ラグビーワールドカップを当て込む(これはもしかすると大化けするのかもね)。ましてや、2020年、東京オリンピック招致が大前提。(確信がなぜあるのか?)

    一番の問題は、8万人の観客の導線だ。既存の公共交通(同じ路線のJR信濃町駅と千駄ヶ谷駅、大江戸線、外苑前駅)を前提とするが、現状、神宮球場の巨人戦4万人でアップアップ。にもかかわらず駐車場は900台しか確保しない。したら道路拡張も必然か(搬送能力5000人弱)。

    たとえばラーメン屋のホープ軒の目の前に、どーんとペデストリアンデッキが遙か頭上に軒を掲げるのだ。笑っちゃうよねぇ。もちろん、17年後だから、この界隈もずいぶん変わってしまっているのだろうけど、なんか土地がある、予算はとれた、有名人アーキテクトは呼べる、オリンピックも呼べそう、じゃあデカイの作ろう。くらいの発想しか見えてこない。(てか、オリンピック選考委員たちを、こんな貧弱な計画で納得させられると信じているからアッパレ!ってもろもろの招致費用は都税ですが?!)

    都市計画や建築は、欧米じゃ思想であり、哲学、心理学、芸術、歴史、人間工学すべてを包括したファインアートだ。日本じゃ、いまだインジェネリア(技術・工学)でしか捉えていない。

    それでも無理矢理、この事業を考察。
    歴史的に見ると、戦後復興の象徴、東京オリンピックのメイン会場。これはいい。
    哲学的見解は、ザハ・ハディッドは、ポストモダン建築の第一人者。ゆえにポストモダン的評価の高いTOKYOシティの表層表現。ぶっちゃけ無節操美学の問い直し的構造物の考察?
    心理学的には、誇れるかつての栄光「日本を取り戻す!」?
    人間工学は、敷地内バリア・フリー。

    だから全然、環境に優しくないし、誰もが駅構内で危険を味わうスタジアム。すべて敷地内だけでコンセプトが帰結する、駅前スタジアムなのだ。千駄ヶ谷や信濃町駅構内まで総括的考えていないし、それでよしとする、典型的な箱物行政、縦割り官僚主導型巨大工事。(JRだって総武線の伏線化やふたつの駅舎の立替工事なんてできないだろう。したらまた税金で助成?消費税いくらあげても足りないって、15年後くらいには、20%にして公共事業投資が前提なのか)

    決して、立替えがわるい、税金投入がわるいと言ってない。大きな競技場やスポーツ振興はもっとやるべきだ、と思っている。しかし、あまりにも8万人収容1300億円投入の世界に誇れるスタジアム(地上70メートル、開閉ドーム)計画にしては、アイデアと計画検討が貧弱すぎる。

    事業計画の最初の段階から、有識者たち、哲学、心理、歴史、人間工学、交通、経営、未来、IT系、芸術家、建築家などを交えたコンセプト検討委員会なるもの立ち上げて、そこに近隣にかかわらず一般市民も入れて、議論を重ねる様なことをすれば、こんな段階になって、住民の苦情の嵐にはならないし、世界に誇れるスタジアムができると思うのだ。ヨーロッパでは、こういう事前アプローチはよくある話じゃないか。

    住民からの意見で多かったのは、街の活性化などはもういらない、被災地の復興に金をまわせ、こんな都心の密集地域じゃなくて、経済的に困っているところで実現させろ、など、ごもっともな、ご意見殺到。もちろん、賛成する人もいたが、騒音、周辺環境への影響は、たいへん危惧していた。

    それに住民説明会なのに関連する東京都も新宿区、港区、渋谷区も文科省の担当者も誰ひとり出席していない。だから質問したって答えられない。案の定、管轄外なので差し控えさせてもらいます、の連チャン。いやはや諫早湾干拓こーじ。

    ほんと日本は興味深い。IWJも外国人向けにジャパンガイド的サイトも作ったらモロ受けそう。

    面白いと言えばまたまた、政局も大転換。滋賀県嘉田知事が日本未来の党を立ち上げ、第三極として群雄割拠な戦場を収斂し、巻き返す。これから当分、罵倒合戦、ネガキャンバトルで見るものを飽きさせないことだろう。

    ところで今回の住民説明会でも、けっこう住民の意識の高さがうかがわれた。もちろん、こういった集会にわざわざ出席するのは、そういうベクトルの持ち主ばかりになるのだから、当然といっちゃぁ当然でも、こんな狭小地域で300人くらい集まっていたのだから、主催者側も驚いたんじゃないだろうか。なんか自公民、維新思ったより苦戦しそう。。。
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