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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • Sa Okayame 日本&セルビア現代美術展レビュー
    先月、開催された『Sa Oakayame 岡山からー2012』展のレビューです。

    9月18日、夜行バスで、息も絶え絶え岡山に早朝着。当日、展示作品で使用する水を、近くに流れる旭川から採取。展示終了後、蒸発、また雨となり旭川に戻るか、下水を通って、環流する。



    【あおひと君お水取りの儀】


    日時:2012年9月18日(火)
    場所:岡山市内
    撮影:中島博美、世利 之、ホルモン関根


    会場は、前川国男設計による岡山県天神山プラザ。三大庭園のひとつ、岡山後楽園、烏城といわれる岡山城などが点在するカルチャーゾーンにある。当日はあいにくの雨。前日、巨大台風が、沖縄を通っていった。

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    あおひと君は大のコーヒー好き。地球では、ブルーマウンテンが好物。ちなみに、あおひと星のコーヒーは青い。(というか、あおひと星の色は青しかない。)

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    旭川に到着。カラス城とも言われる岡山城をバックに記念撮影。左側の森が後楽園。

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    お水取りの儀を、おおごそかに執り行う。まずは川の神に感謝と祈りを捧げる。いまのところ警察から職質を受けたことはない。もしあおひと星人がバレたら星外追放だ。ちなみに過去、東京神田川、神奈川県相模川で敢行。

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    ラブ&ピース!

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    参考:神田川
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    相模川
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    【青い水 ー 岡山天神山文化プラザ】

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    直径 約300cm 高さ 約16cm 
    使用素材:バイオマスプラカップ、水彩紙、輪ゴム、エコインク、旭川の水。

    現在、世界に206カ国(国連加盟193カ国、非加盟国または自治領13地域)あり、そのうち原子力発電所を保有する国は32カ国、473基のうち366基が稼働中といわれている。

    それに相応する青い水を入れた473個のプラカップを核マーク状にインスタレーション。それに輪ゴムで丸めた水彩紙を、稼働中をしめす366個に投入する。

    カップの水は、近隣を流れる旭川の水を使用。また輪ゴムを各大陸ごとに色分けしている。

    青:アジア(9カ国65基)紫:アフリカ(1カ国2基)緑:ヨーロッパ(17カ国173基)
    赤:北米(3カ国122基)黄色:南米(2カ国4基)

    なお随時、停止点検などは行われるため、原子炉の数は正確ではありません。あくまでも象徴としての数として理解してください。また、廃炉作業、建設・計画中および教育・公的機関の実験炉などは除く。(2012年8月現在)※ウィキペディア、外務省ホームページなどを参考

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    会場の天神山文化プラザ。

    【意味のあるモノにはすでに意味はない ー 現代ハイツ】

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     現在、世界に206カ国(国連加盟193カ国、非加盟国または自治領13地域)あり、そのうち原子力発電所を保有する国は32カ国、473基のうち366基が稼働中といわれている。それに相応する473個のピンを核マークを形作るように刺す。そのうちの稼働中を象徴するピン366個に、各大陸ごとに色分けした輪ゴム206本をかける。

    青:アジア52カ国(原発保有国9カ国、稼働原発炉65基) 紫:アフリカ56カ国(1カ国2基)

    緑:ヨーロッパ47カ国(17カ国173基) 赤:北米23カ国(3カ国122基) 

    黄色:南米12カ国(2カ国4基) 白:オセアニア16カ国(0)

    直径 約70cm 高さ 約2cm  使用素材:輪ゴム、ピン

    なお随時、停止点検などは行われるため、原子炉の数は正確ではありません。あくまでも象徴としての数として理解してください。また、廃炉作業、建設・計画中および教育・公的機関の実験炉などは除く。(2012年8月現在)※ウィキペディア、外務省ホームページなどを参考。


    Information
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    『Sa Oakayame 岡山からー2012』展

    9月18日(水)〜23日(日)
    岡山県天神山文化プラザ
    岡山市北区天神町8-54
    http://www.tenplaza.info/

    <東京展> 出品作家の小品展
    9月20日〜10月2日 15:00〜22:00
    現代ハイツ ギャラリーDEN
    世田谷区北沢1-45-36
    http://gendaiheights.sakura.ne.jp/

    【出品作家】
    ホルモン関根、伊藤千宏、耀樹孝鷺鶯、後藤智、中島博美、森敏明、O-JUN、KIMIKO ITO、世利之、小峰倫明、板津版画工房、伊丹脩

    (セルビア参加作家)
    Ana Nedeljkovic、Luka Klikovac 、Gordana Baskot 、Nebojsa Babic 、TKV 、Multiflex、Bozana Marincek 、Branimir Karanovic 、Vladimir Markovic 、Aleksandar Kujucev

    主催:NPOユーゴ・アートプロジェクト

    後援・協力:在日セルビア大使館、財団法人日本セルビア協会、岡山大学(鐸木道剛)、国立ベオグラード芸術大学、奈義町現代美術館(岸本和明)、Stevan Vukovic、Gallery O3one 、Gallery OKO

    助成:芸術文化振興基金、朝日新聞文化財団、野村財団
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    陰謀説はなかった!日本語の二重構造に見る日本の本質と現代美術
    ずいぶん前に、こんなサイトがあった。
    【「国民をコントロールする方法」という格言に大きな反響】
    http://labaq.com/archives/51257102.html

    「通常、民衆は戦争を望まないが、人々を指導者の言いなりにするのは簡単です。国が攻撃にさらされてると国民を煽りなさい。平和主義者のことを、国に危機をもたらし、愛国心がないと公然と非難しなさい。どの国でも同じように効果があります」

    元ネタはナチス最高幹部 ヘルマン・ゲーリングがニュールンベルグ裁判で言った言葉だそうだ。なんか、今の尖閣問題にもバッチリ当てはまる。

    先回のブログでアイデンティティについて書いた。今回もその続きを展開したい。

    「折口信夫に言わせると、現代の詩は何かに影響されているか、といえば、それはフランスの詩でもない、ドイツの詩でもない翻訳の詩の影響を受けていて、実に不思議なものを創っている。」(ことばと芸術より。加藤周一対談集 「演劇の理想像」小林秀雄1951/かもがわ出版)

    これって現代アートも一緒じゃん。棟方志功や岸田劉生など、雑誌「白樺」でゴッホなど後期印象派の影響を受けた、著名な画家がたくさんいたが、実物の絵を見て影響された画家は、果たして何人いるのか?

    やっぱり不思議だ。実物を見なくても影響し、共感できるのだ。逆に言うと現代美術(当時の先端アートという意味)の浸透力のすごさの証とも言えるのだが、、、。(ちなみにアンドレ・マルローは、写真集などは独立した作品として、「空想美術館」と呼んでいた。)

    ところで、現代美術のアイデンティティとは何か?

    自分は、強いて言えば、難解さ!でなくて(笑)、『感性の拡張』、または、『視覚表現の探求』が、現代美術を、現代美術たらしめるキーワードだと思っている。その感性の拡張や視覚表現の探求が、作品全体を支える骨格にあたる。またその作品とは、探求の足跡であり、アーティストが見つけたお宝の隠し地図とも言える。

    日本でも、現代美術のジャンラはある程度、認知されてきたとは思うが、やっぱり折口信夫が言ったように、翻訳モノなのだ。草間彌生、棟方志功や具体グループ、村上隆など、逆輸入され注目されるのを見ても、それは明らかだ。

    たとえば草間彌生や具体グループの作品に、美を感じ、その超越した技工に驚き、伝統のすばらしさを感じる人は、どれだけいるのだろうか? ほとんど人は、白人の鼻の高い外国のエライ人がいい!と言うから、海外で有名だから、という既成事実が、評価の内実ではないだろうか。

    もちろん、それがキッカケとなり、本物に触れるうち、ほんとうに感動し、好きになる人も多いから、決して悪いこととは言わない。

    しかし、かれら作品の本質や評価は、その思想部分だ。かぼちゃやドットを描くその草間彌生の思想や精神性が作品なのであって、美術館やギャラリーで見るカボチャのでかいオブジェや、ドットの連なりは、その記録や刻印にすぎない。ゆえに、美術館とは作品の共同墓地だ、という例えもある。

    鑑賞者は、その刻印(作品)から言葉では置き換えられないエネルギー(アーティストの精神)が、人種や文化、言葉の壁をすり抜けて伝わってくる。だから、ワールドワイドに共通した評価を持つことができる。欧米では、芸術というと、ファインアートであって現代美術のことを指す専門用語にちかい。だから小説を芸術とは言わないし、音楽は音楽だし、伝統工芸品を、ファインアートとは言わない。(ちなみに建築はファインアートだ。技術的な部分はインジェネリアだ)

    ところが、日本ではいまだ、洋画、日本画、写真、工芸、漆芸、金工、陶芸、生け花、パッチワーク、人形、イラスト、マンガ、書道なんかもろもろ十把一絡げに『芸術』、『アート』でくくってしまう。それぞれの表現には、それぞれの役割やアイデンティティがある。でも、そこを無視して、クールジャパン! ひたすらキレイ、すごいテクニック、メチャかわいい=アートだ! だから現代アートも同じだ、ではない。

    鑑賞者や見る側はそれでも構わない。が、これでは現代アートについて知らない人々にとって不親切きわまりないし、現代アートの本当の素晴らしさを体験できない損失は、計り知れない。

    つまり、その作家が提示する精神や思想で、知が覚醒し、共感、共振し、鑑賞者自らの感性や能力が高まり広がる。そんなふうに人が、より知的に幸せになれることが、現代アートの醍醐味であり、大きな感動を呼び、他にないエンターテインメントにもなり、高額な価格で取引される理由であり、現代美術の存在価値なのだ。

    では、日本では、なぜ、現代アートは、いまだわけのわからない、あいまいな評価のままなのか? 逆輸入ばかりで、自国での独自の発展(市場)がないのか? なぜ表面的で技巧的な部分のみに着眼し評価して、その思想や精神性が重視されないのか?

    日本は、平安初期くらいから、国家体制や貴族社会、文化、言語、都市計画などすべて中国を模範として形成されてきた。中国は、かつての師であり、1500年くらい、つきあってきた国なのだ。それがいまとなっては跡形もないが、この言葉の問題は、奥が深い。



    先回書いたように、加藤周一氏は、日本人のアイデンティティは日本語にあるのではないか、と言った。それに関し、とても示唆に富む議論が、大野晋氏と繰りひろげられていたので、重要部分を書き出してみる。(同書「日本語の二重構造」P294より)

    加藤「ながい間、日本人は、その感情生活を日本語で書いて、知的生活をシナ語、あるいは漢文で表現してきた

    大野「最初ヨーロッパを取り入れるときに日本は、直接にヨーロッパ語を持ち込まないで、従来の外向であったところの漢字、漢文の技術を使ってヨーロッパ語を漢字にいちおう置き換えて、日本の中に取り入れた。だから100年でヨーロッパに、まがいなりに追いつこうとやってこれた。」

    つまり彼らが言うところの、日本の文化や知的活動とは、外向=輸入概念と、内向=日本流の二重構造になっている、と言うのだ。日本の先住民は、独自の言語をもっていなかった。あっても文明までにはならず、中国のようには発展しなかった。

    ところが、隣の中国は驚くべき国家になっていて、盛んに物品に限らず宗教や思想も流入してくる。当時、それらを言い換える言語や宗教など知的生活の基盤が、中国より劣っていた日本は、それを吸収、活用、補うため、漢字を借用し理解しようと努めたのだ。

    おそらくその際、漢字の表意文字という性格も、吸収理解する為になったのだろう。表意文字は発音できなくとも理解できる。またいろいろな意味の組み合わせで独自に解釈でき、知的活動を刺激する。

    たとえば、自由を「由自」と書いても、権威を「威権」と書いてもなんとなくニュアンスが浮かぶし、勝手な意味のコジツケも可能で、新語も簡単につくれるから便利で親しみやすい。でも、FreedomをDomfreeと書いたり、AuthorityをThorityautで、漢字のようには自由ならない。

    しかし、それも人口の一割にも満たない貴族や武士たちの知識に限られていた。江戸時代まで、侍のたしなみは、論語や朱子学の教養、中国人にも理解できる漢詩を書く、ことを考えても、よくわかる。それが開国になり、文明開化だ。中国に限らず、欧米から外来文化がどんどん押し寄せてきて、日本人の生活も急変。それまでエリートに限られていた知的生活が、一般大衆化され、一気に巷に広まっていく。

    ゆえに知的活動とか文化は、大衆化されたにも関わらず、特権階級的な幻想から脱せられず、翻訳的貴族趣味の呪縛から抜けられず、輸入概念のまま(=国産は認めない)、今に至っているのではないか。

    加藤「〜(明治時代になって)徳川時代に漢文ー和文の使い分けが鋭く意識されていたようには、翻訳語文化ー伝統語文化の区別が、意識されなくなったと思います。たとえば、自由、民権、人権といい、民主主義という時に、それは漢字であるために、本来の日本語であるような気がするけれども、実はそうじゃない。そういう新造漢字のために情勢が複雑になったということがあって、しかもそれが大衆化した。〜」

    芸術、哲学、科学という言葉は日本人最初のフリーメイソンリーとしても有名な西周氏が、翻訳したことは周知のとおり。でも、それらは日本語ではない、と加藤氏は指摘する。

    加藤「〜完全に消化されたんじゃなくて、置き換えの性質を今なお持っているということの一つの証拠は抒情詩だと思う。日常生活の中で、人権、自由、権利、義務という言葉は翻訳概念的性質があり、それは本来の日本語の中で育ってきた概念に比べるとほんとうに肉体化していない面があるようです。」

    肉体化していない!まさにその通り。

    それが理由に、世界や日本がどうなろうと、社会がどう変化しようと、いつまでも、世相や社会にコミットしない作品が量産される。だから現状を否定して(むしろ否定する根拠がない)あらたな世界観が、作品が、日本独自には生まれてこないし、それを受け継ぎ進化させる欲求、むしろそのイメージすらわかないのだろう。

    知の地平に対しては、否定して構築する、アウフヘーベン(止揚)するという方法論がない。それは、学問や知的活動を、系統的に思考することを困難にさせるし、その放棄にもつながる。まさに、年号とヘッドラインを一致させるだけの、戦後のババヌキ歴史教育みたい。(むしろ、日本の表現業界には政治や社会性を排除する傾向すらある。つまりアートとは、月見ダンゴと一緒で、偉大な自然への貢ぎ物なのだ)

    たとえば、日本画の大家、小倉遊亀のウォークマンをした和服女性の斬新な肖像画がある。この絵だけをみれば、まさに現代アートと思うが、そうとは言わない。あくまでも日本画だ。だいたい日本画の名称も明治になって西洋画が輸入されたのに対して区別するために与えられたにすぎない。そういう意味では、この呼称は、伝統的だから、日本古来の技術だから、といい名付けられたのではないのだ。おかしくない?!

    井上ひさし氏は「前の歴史を否定しないと新しい考えは生まれてこないわけですが、日本では前のことは忘れさえすればいい」と言う。(同書、井上ひさし氏対談「日本語の現状を語る」より)

    そう、忘れちゃうんだ、日本人は。それは変化に富み自然災害の多かった日本人の自然に対するとらえ方に起因するとは思うが、思想的文化的な面にも、同じ意識で相対する。

    加藤「ほんとうに明治以降の日本の抒情詩の伝統、われわれがそれを読んで、ほんとうに感動する美しい日本の詩だと思うものの中に、権力といい、人民というような言葉は出てこないでしょう。」(金子みずずが好例だ。権力や自由なんてコトバを使わず、その本質を表している)

    大野「だいたいゴッドを神と訳したから、八百万の神と、いわゆるゴッドの区別がつかなくなって、神という字で書いちゃうですね。」

    加藤「それがいまなお翻訳語の意味のズレ、または不消化ということの証拠の一つだと思うのです。〜中略〜 だからふたつの層があって、表向は輸入概念で、内向は日本語だという仕掛けは江戸時代と同じである。しかし、江戸時代と違うところは、そういう構造が大衆化していること、〜中略〜 (欧米文化・知的活動は)漢字に訳されていて、アルファベットを見るわけじゃないから、輸入の概念起源がボカされていると思うのです。」

    うんうん! だんだん霧が晴れてきた! 光が差してきた! 

    なぜ、日本で自発的な新興の文化が根付かないのか。浮世絵やマンガが、いい例だが、自国じゃ、一段も二段も低く見なすのに、いったん海外(それも欧米のみ。バングラディッシュやキリギスじゃダメ)で評価されると、舌の根も乾かぬうちに、逆輸入でもてはやす。そういった自国文化を認めようとしない国民性と社会環境。

    だから明治時代、さかんにパリに留学した先陣たちにならってよく言われたのが、ニューヨークやパリ、ロンドンのどこでもいいから、発表する。つまり箔をつける。日本にいる連中には、わからないからキレイな写真をとっておけばいい。それで帰ってきて銀座で発表すれば、日本の中でウゴウゴしている権威メタボが、画壇に引き上げてくれる、と。(自分が若い頃の話です。)

    プラハとかブダペストとかベオグラードとかイスタンブールとかスウェーデンの美術館で発表したところで、相手にされないのが日本の美術界なのだ。NYかパリ、ロンドンじゃないとダメなのだ。(スイマセン!自分のグチです)

    国学者の本居宣長が、中国翻訳の日本書紀ではなくて口承、口伝部分が多い大和古来の古事記をもとに天皇を研究したことも、自発的文化や歴史の断片が口承によって、受け継がれているという見識があったためだ。日本書紀だと、中国モノだから翻訳され、真実があいまいになっている、と気づいていたという。

    つまり、日本人の精神性や心の一部に、すでに中国が実効支配している脳領域があるのだ。知的なモノや文化的・制度的なモノにかんして、日本人は、翻訳ブツもしくは外来物フィルターを通ったものでしか、受容体(レセプター)が機能しなくなってしまった。

    加藤氏や大野氏の述べる翻訳語(輸入概念=パブリック)と伝統語(日本流=プライヴェート)の基準で、日本人は何でも、無意識に上下関係を構築し、差別化してしまう。

    自分たちより優位にある国のものしか認めない感覚、また権威あるモノしか受け入れられない感受性。それが韓国などアジア諸国への偏見や差別へも、つながっていると思うし、自国文化の軽視となって現れている。

    その上、権威主義や学歴主義、マスコミの過大な影響力などを補強、増大させ、その感覚が子々孫々、受け継がれてきた。つまり国産品でも、輸入物証明書(インボイス)をとらなければならないのだ。めんどくさい!(独立系ネットジャーナリズムが、マスメディア的な影響力をすぐに発揮できないのも、このあたりに起因しそうだ)

    セロトニン阻害物質のように、日本人のミーム(文化的遺伝子)に、知的生産物阻害物質みたいに働いているホルモンがあった。それが漢字ホルモンというかは、知らないが、(微妙なコトバ)とても納得できる自分がいる(笑)

    話がずいぶん飛躍したけど、考える、思考することは、コトバによるシミュレーションだ。芸術は、コトバでシミュレートできない、コトバで、表現されるまえの状態だ。それはあたかも、新たな星の生成時のようにエネルギーが、満ち満ちた状態なのかもしれない。芸術が、コトバになる前のものだとしたら、漢字翻訳なんてしてたら、本質なんて絶対わからない。

    実は、本質なんて幻想で、正直なところ、みんなは、自分が考えているほど興味ないって思うこともある。それより輸入物信仰にちかい感覚、つまりその刺激が大事で、中身は二の次ってことだ。

    そっか〜、対米追随政府とよく言われるが、それは日本人のサガだった。今だ、平安時代のまま思考がストップしてて、制度や政治や思想など難しい知的所産は、外来じゃないと認めない。いくら政治家がもっともな、まともなことを言っても、思っていても最終的には、翻訳されたモノでないとダメなのだ。

    だから陰謀説などは本当は存在せず、国益をわすれちゃった日本政府が自主規制のように率先して、おねだりしているのが、真相なのかもしれない、年次外交要望書なんて草案下書きは、本当は日本政府がしてたりして!(笑)

    こう考えると、真に日本の自立・独立をはたすまで、まだまだ時間がかかりそう。それより自立する前に、日本がなくなりそうで怖いけど、孫崎さん!

    そうだ、唯幸論で行こう!ってこれも漢語だよなぁ〜。和語でいうと、「幸せだけを信じる私」ってか・・・ほんとパブリックとプライヴェートに、自動的に分別されてる!

    (以上、内容はあくまでも持論私論です。)
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    日本人のアイデンティティ
    あいかわらず格差(尖閣)諸島は、もめている。

    田中宇氏のメルマガが、中国領土問題について的確な分析を行っていた。
    [ 田中宇:尖閣問題と日中米の利害 ]:http://tanakanews.com/

    ここにきて、小渕書簡というものが、佐藤優氏によって指摘されている。それは尖閣諸島周辺での漁業操業に関しては、日本政府は黙認する、というような取り決めだ。これは中国に、尖閣諸島は、侵犯してもいいよ、とお済み付けを与えているのと変わらない、と佐藤氏は言うのだ。

    もちろん大スクープ並みのネタだと思うが、はたしてマスメディアは、これをどこまで報じているのか?
    【佐藤優の眼光紙背】1997年11月11日付の小渕書簡があるため日本政府は尖閣諸島周辺の中国漁船を取り締まることができない。:http://blogos.com/article/46928/

    26日のヤフーヌース・トップにはー「周辺国との摩擦激化」憂慮=安倍新総裁、「極右」と警戒—韓国
    時事通信:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120926-00000123-jij-int

    国内では、安部晋三氏が、与党首相のような報道。まるで新首相のような勢いで各局ヌース番組に出演。まあ、三党合意など民主党の態度をみれば、党内民主派閥と自民派閥くらいに、思われていても仕方ないけど。
    参考:田中秀征 政権ウォッチ http://diamond.jp/articles/-/25439

    この田中氏のコメントなんかも、見出しでは不安視しているが、よく読むと、まるで次期首相に期待し、誘導しているみたいだ。よっぽどマスメディアや大企業、御用識者たちは、自民党との蜜月時代が懐かしいのか、総選挙をにらんだサブリミナル情報を、必死に組み込む。

    なにしろ今の自民党は、憲法改正(自主的自衛権行使)、原発推進、小さな政府(自立自助=働かない者、食うべからず)で新自由主義(TPP,ACTA賛成)。

    あのジャパンハンドラー、対米追随派扇動部隊のひとり、ジョセフ・ナイ氏が、今回の尖閣諸島問題に関してさっそく、野田氏を絶賛。とうぜんアメリカの日中韓のホワイトナイトを自賛する意見が、随所に散りばめられている。

    一方、ジャパンハンドラーたちにとって、日本と中国の接近に、とても神経質になっているのも伝わってきて、また面白い。
    【中国は“1930年代の日本”への意識を引きずっている東京都の購入を防いだ「尖閣国有化」は正しい判断だ―ジョセフ・ナイ元米国防次官補(現ハーバード大学教授)に聞く】
    ダイヤモンドオンライン:http://diamond.jp/articles/-/25528

    つまり専門家や権力側の見方は、総選挙で、民主大敗、小政党ふるわず、結局、三党連立プラスα政権(民・自・公・国新・保守)になり、安部氏首相、石破官房長官あたりを見据えているとしか思えないのだ。

    アシュラサイトなどでは楽観的スレやコメントがあふれているが、小沢氏抹殺劇場を見ればわかるとおり、敵は徹底的にやってくる。特に、今回はTPP、ACTA、領土紛争(武器売買)など、金のなる木が実もたわわ、異常気象で大豊作だから、黙っているはずない。

    ところで、故加藤周一氏のやや古い対談集(「ことばと芸術」かもがわ出版 2000年)を読んでいたら、アイデンティティという言葉が飛び込んできた。

    1993年、井上ひさし氏との対談「日本語の現状を語る」の中で加藤氏が、「〜日本人のアイデンティティの根拠は何かというと、前は天皇や国家があったが、こうなると日本語が大事になってくる。言葉の危機は、アイデンティティの危機になるわけだ。〜」(P242)と言っている。(ちなみに、対談はちょうどバブル崩壊直後か)

    なつかしなぁ、アイデンティティ! 

    あまりにも新鮮に響いて、驚いた。なぜなら、日本人のアイデンティティは? とか、流行語のようにもてはやされていたのに、最近、めっきり聞かなくなっていたからだ。

    はてなキーワードから、その意味を引用すると ー
     自我同一性、自己同一性。あるいはそれがよって立つところのもの。アメリカの心理学者・精神分析家エリクソン(Erikson,Erik H. 1902-1994。『ライフサイクル論』など)が提唱。「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているものは何か、ということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)。
    参考:はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%A4%A5%C7%A5%F3%A5%C6%A5%A3%A5%C6%A5%A3

    う〜ん、わかりにくい。ウィキペディアの自己同一性の説明の方が、まだわかりやすい。
    参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/自己同一性

    あらためてアイデンティティについて考えてみる。

    ところが、アイデンティティを的確に言い表すキーワードが見つからない。ググると、やはりどれもピンと来ない。アイデンティティという音を聞くと、なんとなく漠然としたイメージは思い浮かべられるのだが、こうやってブログなんかに書いて説明しようと試みると、屁理屈のラビリントスに迷い込む。

    仮に、あおひと君は、全身青いからあおひと君のアイデンティティがあるとは、言えない。それは外観や容姿じゃない。

    自分って誰だ、自分として、どう生きていけばいいのか? と確信がもてず、ワイワイ騒いでいる、内なるふわふわした自分が、この世界や社会に出ても、ちゃんと立っていられるように、体を支える骨格のようなものがアイデンティティだ。とか、心の自分が外界でも生きていけるように、他人とちゃんとコミュニケーションできる自動翻訳機と、いろいろ例えてみるけど、なんかしっくり来ない。

    自分の出生への疑問が、エリクソンのアイデンティティ研究のキッカケになった。それは父親が特定できなかったことによると言う。エリクソンは、父親不在のために、なかなか自分に自信が持てなかった。つまり、父親がいない負い目から開放される存在証明のようなものを、自分の心の中から見つけ出したかったみたいだ。

    なんかコンプレックスと似ていて、重なる部分はありそうだが、すでにアイデンティティをもった他者同士との比較で生じるのが劣等感だから、アイデンティティとはちと違うと思う。(同じという研究者もいる)

    たとえば、一人で家のなかにいるときは、フルちんスっ裸でもいいけど、外に出かけるときは、何か着なければならない。つまりアイデンティティとは、その服のことかもしれない。でもその服は、どちらかというと私服じゃなくて、すこし語弊があるけど、みんなと同じ制服なのだ。

    もちろんユニクロとかでは売ってないから、自分で見よう見まねで、縫うしか方法はない。自前が原則だ。でも誰かに縫い方は教わらなければならない。それが家庭や学校の教育に相当しそうだ。

    加藤氏は、20年前だが、その制服は、以前は天皇とか国家だった、でも今は日本語が、日本人を日本人とたらしめている、と言うのだ。

    さしずめ、韓国国民だったら「自国の歴史」、北朝鮮国民だったら「キムジョンウン」、アメリカ国民だったら「強いアメリカ」、中国国民だったら「毛沢東、共産党」、ロシアだったら? フランスだったら? イギリスだったら? イタリア? うんうん、各国の若者とかに聞いてみても面白いかも。

    ちなみに自分が、日本人のアイデンティティは何か、と問われたら、なんと答えよう、天皇ではない。やっぱり日本語くらいしか、とっさに思いつかない。

    でも若い人の中には、エヴァンゲリオンとか、AKBという答えが出てきてもおかしくない。

    ふと、ここで気づいた! そうです、日本人のアイデンティティは、もはや死んでんてぃてぃ!

    昨今、アイデンティティを聞かなくなった理由は、そこにあった。もはや日本人を、日本人として、たらしめる根拠がないのだ。それは天皇でもない、大日本帝国でもない、日本語でもない、富士山でも、芸者でも、大相撲でもない。

    そう考えると、いまの政治や外交問題などのゴタゴタも、合点がいく。だって政府高官や政治家たちに、日本人のアイデンティティがないから、かりに、アイデンティティがあったとしても、ほとんどが戦後生まれだ、実感として国益なんて考えられないのは、当然の成り行きなのだ。

    つまり新自由主義に代表されるように、アイデンティティが、いつのまにかお金の多寡にすり変わっていた。国家の形骸化、国の価値観の減少だ。国家が、個人のお金を儲ける猟場になった。意味や価値観の多様化を唱えるポストモダン思想も、そういうパラダイム・シフトを後押しした。

    でも自分も日本国民も政治家も、日本人のアイデンティティの幻想がまだ、オリのように残っているからやっかいなのだ。換骨奪胎、日本人のアイデンティティの中身(精神)が、以前とは変わっているのに気づいていない。

    じゃあ、これからどーする?

    さしずめ自分は、日本人のアイデンティティは「日本を愛する心」にします!

    ちょっと強引だったかな(笑)。

    でも、正直言うと、もはや国という括り、国家による世界の体制維持に、希望は見いだせないです(汗)

    長くなったので、ここらで止めるけど、EUみたいに小国が集まって経済圏を作り運営する、マイクロ・ナショナリズムという方向性は、過渡的には、暫時的にはいいかもしれない。

    やっぱり今回も、グチっぽくなった。唯幸主義者になるには、ほど遠いなぁ。。。。
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    領土問題と唯幸論
    最近、TV映画によく登場するオスプレイ。

    なんとターミネーター、プレデターと悪役の乗り物は、オスプレイじゃん!

    これも今となっては、アメリカ式振り込めサギのひとつと思えてしまう、今日のこのごろ。

    民主党で政権交代を果たしてからの激動の三年!

    日本は変わった。

    というより、今まで隠されてきた、「戦後史の正体」が、ドっと暴かれはじめ、もしかすると日本って植民地のままなのかもと思うように!?

    今回の竹島、尖閣領土問題をみても、わかりやすい。

    そもそも、この発端となる、石原都知事の尖閣購入発言(4/16)が、訪米中、レーガン、ブッシュのブレーンでもある超保守系シンクタンクのヘリテージ財団の講演で発せられた事実は、とてもキナ臭すぎる。

    当然、マスコミは石原発言はなかったかのような流れ。なんと調べたら、読売ウエッブに掲載していた当石原発言の記事は自主規制なのか、削除ズミ。
    参考:田原氏のブログより http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=808

    そこから、燎原の火(りょうげんのひ)のように外交問題に発展したことは、否定できない。

    1 親分のアメリカは、オキュパイ・ウォールストリートに見る格差と不況、大統領選。
    2 日本も格差、不景気、オスプレイ配備、脱原発、消費増税、TPP、ACTA、人権保護法案、郵政改革法改正
    3 中国も格差、10年に一度の全人代の大人事。南沙諸島・チベット・ウイグル問題、台湾も絡む。
    4 韓国も不景気、格差、大統領選、サムソンの特許問題、北朝鮮などなど。

    いっきにオリンピックの余韻冷めやらぬまま、中国の全人代会議、日中戦のキッカケとなる柳条湖事件日(9/18)、ウラジオストック・エイペック、オスプレイ配備、民主党代表選、増税、ACTAなどなど、各国のナショナルイベントと重要法案審議の集まるこの8、9月めがけて進められ、集中しているっていうのも、偶然だろうか。

    それと、尖閣国有化の閣議決定がなんと9月11日(小泉郵政解散も同日)だった!
    首相官邸ホームページ:http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201209/11_a.html

    記念日などに、執行をぶち当てるという方法は、アチラの方々の得意とするところで、たしか、極東裁判のときも死刑宣告を記念日にしたという、話も聞いたことがある。

    つまり、米韓中の腫れ物を、まとめて日本の領土問題にすり替えて、ウミを絞り出す魂胆だ、と受けとられても致し方ない。でも日本はエライよね、そうやってみんなの不満不平を受け入れてあげている。

    だったら明日から、格差諸島に、名前を変えたほうがいいかもしれない。

    松下金融大臣が、自殺したことは記憶に新しいが、マスメディアからはあっという間にその話題は消えた。ネットではいろいろな憶測が飛び交うが、どう見ても、自殺じゃなさそうだ。だって、またドアノブだ。松下氏は、反人権法案の立場(8/30閣議決定)。もちろん郵政改革の改悪にも反対だったと聞く。
    参考:高橋清隆記者のブログ http://www.janjanblog.com/archives/80925
    スポニチアネックス:http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/09/11/kiji/K20120911004090930.html

    故松下大臣もそうだが、たびたび言われているのが、解剖所見をしないこと。死人に口なし、といって済ましてしまう。今回もあっというまの密葬、火葬したと言うじゃないか。911でWTC崩壊で亡くなった、創価学会ロス支局の人も、あっという間に死体もないのに、発災の3日後くらいに葬儀をしたと、当時の新聞を調べたことがある。

    上野監察医ではないが、死体は語る。遺族には申し訳ないが、公人やそれに近い人たちの不自然死には、行われてしかるべきではないだろうか。

    かれら不審死の死因の多くは、心不全(心筋梗塞)が多いけど、医者曰く、いろいろな死にいたる要因があっても、最終的には心臓が弱って止まるから、診断は、心不全(心筋梗塞)で済むのだ。

    中川一郎氏も昭一氏も、松岡農政大臣、今回の松下金融大臣、その他にも、解剖されずに葬られた不自然死の公人、ジャーナリスト、数知れず。同様、放射能汚染で亡くなっても、心不全で済まされてしまう可哀想な被爆者も、これから増えそうなのも、怖い。

    そして矢継ぎ早の、在中国日本大使の西宮氏の急逝。西宮氏はかなり親中派だったという。今度、誰が大使になるかで、陰謀説に拍車がかかりそう。孫崎氏曰く、米ソ冷戦がなくなって、CIAの仕事の40%は、経済活動なのだそうだ。

    やっぱり! 水戸黄門の最後の10分のように、星条旗をはためかせながら、キャンベル国防次官補やバネッタ国防長官が、ホワイトナイトのごとく、さっそうと現れ、安保有効、日本を守るって! 

    謝謝、カミサハムニダ!日韓中問題を心配、不安に思っていた多くの日本人は、これを知り、胸を撫で下ろしたに違いない。

    やっぱりアメリカは友だちだ。安保は大事だ、沖縄基地もオスプレイ配備も、地位協定も増税も思いやり予算も米国債購入も、郵貯300兆円譲渡も、TPPも、ACTAも、モンサントもGM種子も、そんな友人の願いだったら、仕方ない、、、SHIKATANAI!

    てなところで、話がいつものように、ネガティブに。。。汗

    そりゃそうだ、ネットヌースもTVヌースも雑誌も、マスコミはネガティブ・ヌースしか垂れ流さない。最近は、中国韓国領土問題を、深刻にとりあげ、危機感を煽る。それじゃぁ誰だって、気になるし、不安で心配になる。とにかく、ネガティブ・ヌースの方が、購買意欲を駆り立て、商売につながるからね。

    もう自分は新聞は読まない、TVヌースも見ない、多くがネット情報だ。それでもネットヌースもネガティブが多い。だから、注意しないと洗脳される。

    だいたいアメリカにしろ、韓国にしろ、中国にしろ、国内向け反日ゴシップ記事を、もっともらしく紹介して、日本国民はそれがすべてだと、信じちゃう方が恐ろしい。逆に言えば、文春の反中記事や、みのもんた氏や辛坊氏のヒステリー発言を、日本の全体意見と報道し、それを国家の全体意見として、信じるようなもの。

    最近つくづく、世界中の幸せなヌースだけを、まじめに流すマスメディアが欲しい。

    お笑いがその幸せになるモトだと思われてきたけど、もう通用しない。そのとき笑うだけの幸せではなくて、マジ幸せで、ずっと心が温かくなるようなヌース、未来に希望を見いだせるようなヌース。

    でも探すとなかなか見つからない。あっても科学・宇宙分野になってしまう。そりゃそうだ、ネタがあったとしても、ヌースとして記事にできないのだ。ポジティブ・ヌースを書くことに訓練された記者がいないし、そいういうジャーナリズムのシステムがない。あとは現時点での経済性をみてるだけ。

    しかし、ネガティブ志向もモトをたどれば、危険察知の能力の優れた種が、生存率がたかかった、ことの名残だろう。だから、ヌースは危険系に偏るのだ。しかし、こんな科学も文明も進歩したいま、本当の危険ではなく、人の不幸とかにすり替わっている。

    だから、ちゃんと探せば世界中いたるところで、幸せヌースは見つけられる。

    これからは、幸せ増幅、幸せ求心の生き方、唯幸主義者になろう! それは、すでに身の回りに起こったことを、前向きに考え直し、対処するポジティブシンキングとは、意味合いが違うのだ。

    唯幸論は、幸せなことしか、身の回りにはない、と、思うことからはじまる。性善説ではなくて、性幸説。幸せを中心にすえ、それを伸ばすことが、生きることであり、人間の存在価値でもある、というふうに。

    だから、自分もそうだが、嫉妬心やねたみが強い日本人。この習性は、自分は幸せ、という立ち位置にいないから、わき起こる感情。それが、今の日本をゆがませる磁場を形成している。すでに、自分が幸せだったら、他人をねたむ必要もない。

    喜喜喜喜喜喜喜喜喜怒哀楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽的生き方=愛!

    なんか、こんなことを必死に書いている自分が一番、現状に不満で、嫉妬深くて、ネガティブ・シンキングなんだよね、、、、泣き笑い。

    とにかくなる早で、国民の信を、問う総選挙をするべきだ。前原財務大臣?!ヤバイ!!!

    やっぱり愛だろ、愛!岡山にて(撮影:世利 之)

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    倉敷と大原美術館
    さあ、岡山二日目、今日は朝から快晴。午前中、会場で、片付けやら、撮影やらの雑用を済まし、午後は、オージュンさん、イタズさんらが絶賛していた倉敷の大原美術館へ行くことにする。

    思い出〜ぼろぼろ、体も〜ボロボロ。じゃっかんトレーニングをしているので激しい筋肉痛はないが、体がとてもダルびっしゅ。

    その前にチケットショップで新幹線の安キップを買い、窓口で座席を確保。さぁ、いざ、倉敷へ〜。

    岡山駅から30分弱と近い倉敷。街なかはウイークデイなのか、ガラガラ。さっそく案内地図で美観地区とよばれるところに、大原美術館を見つける。駅前大通りを10分も歩くと、なまこ壁が美しい日本家屋と、洋風の屋敷が建ち並ぶ、テーマパークのような美観地区に辿りつく。

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    両岸には、青々としだれ柳が萌え、清い水をたたえた倉敷川に、観光客を乗せた小舟が、ゆったりと行き交っている。そんな美観地区に、ひときわ威風堂々と立つ西洋館が、大原美術館だ。

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    現在、美術館は、本館、分館、東洋工芸館、児島虎次郎記念館の四つの美術館で構成され、一般1300円でぜんぶ鑑賞できた。

    まずは分館(現代美術セクション)へ。なんと若手の作品を中心に、点数こそ少ないが、日本の美術館ではなかなか見られないコレクションにまず、驚く。それと本館は、あの有名なエル・グレコの「受胎告知」。意外と小さい。トレドとかヨーロッパでみたグレコはどれも大きい。でも日本向きの大きさだよね。これぐらいがちょうどいいかも。それから、ヨーロッパ絵画の印象派からアメリカ現代美術までの著名なアーティストの秀作が並ぶ。日本民芸運動の陶芸を中心にした工芸・東洋館も面白い。

    大原氏の援助をうけ、コレクションの買い付けなどもつとめた児島虎次郎の作品群が、意外とヨカッタ。女性全身像の一連のシリーズは、パワーもあって、今でももっと数を増やして、これだけで大きな個展をやっても面白いかも。

    美術館でかなり時間をかけて、あとは散策。すると星野仙一記念館とやらがあってビックリ。そうか、星野監督は倉敷出身だったのだ。

    そろそろ日もかげりはじめ、後は帰るだけ。6時半発の、のぞみだ! もし、強がりして夜行バスの帰路のままだったら、夜11時まで、岡山で時間を潰さなくてはならなかったから、なんか気分がメチャっ楽っす〜〜〜〜。

    明日は、東京展の現代ハイツで、展示作業だ。それから夕方、東京に着くキューレターのシュテファン氏をアテンドすることに。
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    『Sa Oakayame 岡山からー2012』<東京展> 出品作家の小品展

    9月20日〜10月2日 15:00〜22:00(土日 13:00〜22:00)
    水曜休
    現代ハイツ ギャラリーDEN
    世田谷区北沢1-45-36 03-3469-1659
    http://gendaiheights.sakura.ne.jp/

    【出品作家】
    ホルモン関根、伊藤千宏、耀樹孝鷺鶯、後藤智、中島博美、森敏明、O-JUN、KIMIKO ITO、世利之、小峰倫明、板津版画工房、伊丹脩

    (セルビア参加作家)
    Ana Nedeljkovic、Luka Klikovac 、Gordana Baskot 、Nebojsa Babic 、TKV 、Multiflex、Bozana Marincek 、Branimir Karanovic 、Vladimir Markovic 、Aleksandar Kujucev

    主催:NPOユーゴ・アートプロジェクト 
    後援・協力:在日セルビア大使館、財団法人日本セルビア協会、岡山大学(鐸木道剛)、国立ベオグラード芸術大学、奈義町現代美術館(岸本和明)、Stevan Vukovic、Gallery O3one 、Gallery OKO
    助成:芸術文化振興基金、朝日新聞文化財団、野村財団
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