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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • 自分探しとポストモダニズム
    春だ!加速度がさらに加速度をつけたように時の流れは、ああ〜無情。でもこうやって毎日、無事でいられることに感謝しなくてはいけない、ありがとうございます!

    ・・・なんで自分は自分なんだ?

    なぜ自分以外の、たとえばトムハンクスとか小泉進次郎とか柳井会長に生まれて来なかったのだろう、、、

    しかし! 彼らも生まれたときは自分といっしょで赤ん坊の無名。いきなり有名人として生まれてくることはないから、この願いは無意味。結局そのあとの努力なんだよねぇ、、、汗。

    ずっと自分が持っていた疑問。それは自分の正体だ。「自分探し」とも言う。たとえば作品について「何がテーマなんですか?」って質問されると、躊躇(ちゅうちょ)なく、「自分を見つけるために表現しています。表現とは自分探しだと思っています」と胸はって答えたモンだ。

    でも〜!

    哲学なんか囓りはじめると、そんな回答が、赤坂見附じゃない、浅はかきわまりない、と感じるように。

    「自分探し」しているってことは自分が自分じゃない、って意味も含む。どうやって本当の自分じゃない自分が、本当の自分を探すことができるのか?

    今の自分はつまりあおひと君の代理人?つまり偽者?その偽あおひと君が本当の自分のウォンテッドみたいな人相書きを持っているのだ。じゃなければホントの自分かどうか最終確認できない。

    プラトンは、人はすべて真理(イデア)をすでに知っていて、忘れているだけだ、だからそれを学習して思い出すだけなのだ、と「想起説」をといた。(当時ギリシャ文明では魂の輪廻(りんね)が信じられていた。アカシックレコードの元ネタ)

    だとすると、ここでいう自分探しは成り立つ。つまり表現する(学習する)ことによって忘れていた本当の自分を思い出すのだ。さすがプラトン!

    で、今のところ自分は想起論者じゃないので「自分探し」と言わなくなった。現代美術に対して「感性や知覚の探求」と答えている。認識論風だ。乱暴な言い方だと、ニーチェのように「真実は自分が決める、神は死んだ!」となる。

    でもでも〜〜〜〜!

    リオタールが「白人男性によって形成された」大きな物語は終わった、といい(「ポストモダニズムの条件」1979年)、ポストモダニズムが70年代ごろからもてはやされる。それは二度の世界大戦やドイツ・ナチスの蛮行、共産主義やその冷戦などの反省から、これまでの権威主義や教条主義、啓蒙主義をすべて否定しようとする思想だ。

    そのかわりフェミニズムや世界多極化、ゲイや少数民族などのマイノリティの肯定などあらゆるアウトサイダー的価値を見いだし強調する。するとあら不思議、ニクソンショック(金本位の廃止)、共産主義崩壊、新自由主義の台頭、アート界をみればニューペインティング旋風が世界を駆けめぐる。日本をみればあっとう間にバブル経済になりオタクの公認、オカマ、NHのタレント化、などなどナンでもありすがわの世の中に!

    でもでもでも〜〜〜

    これがまた否定されつつある時代に突入した(そうだ)。

    その自分に対する認識も、実は自分自身がホントに「為(な)していること」ではない可能性もでてきた。いままで哲学的な問題と捉えられていた「存在」や「言語」の謎が最近の急激な脳科学や遺伝子工学などの発達で少しづつ解明されてきた。

    ガンや遺伝子病系は言わずもがな戦闘好きな戦士の遺伝子やら肥満遺伝子などなども発見され、アーティスト遺伝子が見つかるのも時間の問題だろう。ある意味、500年前のようなイタリア・ルネッサンス的科学万能時代の再来かもしれない。というのもポストモダンから見ると、そのような流れは至極とうぜんなのだ。

    例えば建築分野でもポストモダンはよく言われているが、それまで「住居とは住む機械だ」と言ったコルビジェに代表されるようにムダを排し機能性、合理性を追い求めていた近代建築を比べてみても明白だ。それは非対称性、脱中心などがキーワードになっている。

    何が言いたいかって? 

    つまりポストモダニズムの思想家たちが脱権威、脱中心と唱って目指した結果、思想・イデオロギーなど中心になって引っ張っていく強力な磁場がなくなったから、行き場のなくなった「知」が自然科学などに向かいはじめた。哲学とアプローチの仕方が似ていてゴール(目標)が見える自然科学(実証主義)によりどころを求めるようになったのではないだろうか。

    これから何を手本に、何を根拠にしていいのだろう? と思ってどっかの自己開発セミナーみたいに、自分を信じろ!ッて言うが易し行うが難し。人間って目的やゴールがないと急に無能になる。

    孫引きになるけどリオタールが面白いことを言っている。「ポストモダニズムとは何か」(スチュアート・シム編著・伊藤賢一訳/松伯社叢書)から引用するとー
    「地球が死に絶えた後(四五億年程未来の出来事)でも宇宙のどこかで存続し続けるような、ますます洗練されたコンピュータ技術を開発することによって、技術科学者は徐々に人類を視界から抹殺しつつある。〜略〜 技術科学の究極の目標は肉体なしでの思考を可能にすることである。」(原典は「非人間的なるもの」1988)ここでは科学技術ではなく技術科学がキーワードだ。

    この考え方は極論かもしれないが、面白いと思う。もし肉体と思考が分離できたとすると肉体はどういう扱いになるのだろうか?思考がなくなった肉体はやはり思考できなくなるのだろうか?

    なぜなら肉体があるから生じる哲学的な謎はあるはずだ。肉体がなかったら食事も性交も集団生活をする必要もない。そうすると怒りとか悲しみという感情すら一部、いらなくなる。すると哲学的課題もずいぶんと減るだろうし真理も見つけやすくなるのではないか。

    哲学と科学とは竹田青嗣氏曰く(近代哲学再考より)
    「自然科学と哲学の方法がその基礎原理をおなじくしているからといって 〜略〜 自然科学の領域を原因 ー 結果の系列、その法則や構造の把握をこととするのに対して、哲学はものごとの存在意味、価値、その関係性の把握を目的とする領域だ。」

    そ〜ら、哲学はやっぱりないとダメなんだ。自分が思うに、科学はより個人に向けた強化と繁栄、哲学は全体へ向けた普遍と進歩と棲み分けがされているのだ。

    でもポストモダニズムもやっぱりうまく機能しないとなると、どういう思想がこれから人間を先導していくのだろうか?

    ・・・やっぱり愛だろ!愛!

    なんでも愛でくくってしまう哲学。そんな愛はエネルギー、喜び、美(ヘーゲルも言った)、生命、真理もろもろなのだぁー。
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    自由と平等
    哲学は難しい。若かりし頃、背伸びしてカタ苦しい原書翻訳などをわかったつもりで読んだが、実は何もわかっていなかった。なのでこのごに及んで入門・解説書的な比較的簡単そうな著作を片っぱしから読みあさる。すると夜がうっすら明けるように彼らの難解だったメッセージが浮かび上がってくる。

    もちろん哲学者になろうと言うわけではないので自分の興味、関心のあるテーマに偏(かたよ)っているし、わかってきたと言っても概略の概略?くらいの意味だ。だから初心者すぎてわかりきったことかも知れない。異論やあやふやな部分もあると思うけどお許し願いたい。

    <人間にとって自由とは何か?>近代哲学における重要なテーマのひとつだ。

    一般的には「我思う、ゆえに我あり」という有名なコトバ(命題)を残したデカルトがヨーロッパ近代哲学の扉を開いたと言われている。その根拠のひとつがキリスト教的支配からの分離・解放だ。

    つまり自分って神様の僕(しもべ)だと信じていた人たちが、ほんとうは自分っていう人間なんだよね、と気づかされたのだ。今思えば当たり前のことなんだけど、中世ヨーロッパまでの人々にとって「自分」という意識や感覚は、我々現代人が思う「自分」とは意味や意識や役割が違っていたはずなのだ。

    長くキリスト教的世界観と超人的な王や圧政者たちの支配下で生きた中世ヨーロッパの僕たち。神がいなかったら生きていけないと信じていたから、神を信じることが絶対幸福だと思っていたから、それこそ信仰をはずれると地獄で現世以上に苦しめられると信じ込まされてきた「自分」だ。そんな中、一部の自分たちは貧困と疫病と横暴で無慈悲な執政者や高圧的権威に強制された宗教的人生に矛盾を感じモヤモヤした違和感を感じていたに違いない。

    例えが飛躍しすぎかもしれないけど、そんな状況を現在の我々におきかえると、人類は地球外からやってきた宇宙人だったのだ、というくらい突拍子もないことだと思う。そんなことを今は誰も信じていないだろう。ピラミッドもストーンサークルもやっぱり宇宙人の知識によって作られていた、なんて証明されたら我々はどう思うだろうか?(あまり変わらないかな?)

    なにしろ中世の人たちは大陽をはじめ宇宙は地球を中心に回っていた、とほんとうに信じていたのだから。ちなみに地動説で異端裁判にかけられたガリレオがカソリックに復権したのはなんと約350年後の1992年だった。

    哲学者やアーチストはそんな時代や世相を人一倍の感性と好奇心と実行力で、来る世界へ一点突破を仕掛ける人たちだ。哲学者はその辺のモヤモヤ感をコトバの魔法で真理や理論に作り替える専門家なのだ。ヨーロッパでは引き続きルソーという民主主義を打ち立てた天才が登場。一般意志や社会契約というコトバを使い自由と平等の意味を持ち出して国家や個人の価値が急上昇。さらにカント、ヘーゲル、ニーチェ、マルクスなど教科書の常連たちに受け継がれブラッシュアップ。途中、その実践がフランス革命にたどりつく。

    しかし、やっぱり自由や平等ということはコトバではわかるようになったけど自分たちの外で起こっていることと言えば哲学者の主張する世界とはほど遠い。戦争は繰り返されるし、せっかくフランス革命で市民が自由・平等を勝ち得たはずだったのに恐怖政治になったり、今度は金持ちと貧乏人の格差が生まれる結果となる。

    自由=平等ではなかったのだ!!!

    というのは自由とは何か?と問うとき、自由とはモノを所有できる権利がある、ということがキーワードのひとつだった。人は欲しいモノを自由に持つことができる、ということを自由の必須条件(与件)にしたのだ。

    自由を満喫したいがためモノを持つ。それはつまり平等な社会の証だ。でも万人が同じようにモノを持てるようにならなかった。お金の多寡に差がでてしまうと平等が成り立たない。つまり今度は違う方面から格差が生じてしまったのだ。

    自由と平等のアンチノミー=二律背反(にりつはいはん)だ。民主主義をいくら主張しても、平等は成り立たないという現実。民主主義を訴えるなら平等はあきらめなきゃいけないという、もうひとつの原理原則が混じり込んでしまった。

    それまでは王とか教皇とか血筋や権威が格差の根源だったのが資本家にすげ替えられただけだった。日本ではマルクスはスターリンとソ連とか共産主義の失敗であまりいいイメージがなさそうだが、哲学の世界では評判はいいらしく、自由=平等の不一致を指摘していた。

    そして戦後、それら近代社会の大きな反省からポストモダンという国家、市民社会、個人の自由、などのそれら概念は終わった、という考え方が台頭した。今ではそれさえ終わったらしいけど時流が早すぎるよね。(ポストモダニズムについては研究中)

    では「自由なき平等」=社会主義と「平等なき自由」資本主義から、「自由と平等」が両立できる社会へ、と世界は進んでいくのだろうか?「自由も平等もなき社会」にまた後戻りしてしまうのだろうか? それとももっとバーチャル化が進み「自由と平等のあるゲーム的社会」にでもなるのだろうか????

    もちろん哲学で言う自由とか民主主義とかはこんな簡単で単純な構造で解明されている訳ではない。複雑怪奇なコトバの洪水で硬く結晶化されている。それに多種多様な要因副因因果の青ビニールテープがからまっていて一筋縄ではいかない。

    デモでもデモ!おおよそ、こんな流れではあると思う。さらに人間の欲望の真理や相互承認の捉え方なども併せて理解すると思想世界ももっと奥深くなるので折りに触れて書いてみたい。

    最近読みあさった本の中では、竹田青嗣氏や西研氏がわかりやすくてよかった。「近代哲学再考」竹田青嗣著/径書房、「ウイトゲンシュタイン「私」は消去できるか」入不二基義著/NHK出版、「ヘーゲル・大人のなり方」西研著/NHKブックス、道の手帖「ヘーゲル入門」河出書房新社、「現代哲学入門」 西脇与作著 慶應義塾大学出版会、「ニーチェ」神崎繁著/NHK出版などなど。

    ところで、代々木公園を散歩すると園内の舗装工事は4月一杯続くとのこと。恒例の花見スポット一帯にもコーンやらサクでバリケートされていて今年の宴会はすんなり開催できるかどうか心配になってくる。それに例年だったらすでに先走り開花もチラホラ見られるのだが今年は全くない。ネット情報だと東京の開花は30日、見頃は7日から12日だそうだ。http://sakura.weathermap.jp/

    写真は昔の作品(1985年)
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    ギリシャとハンガリーそして裏経済
    とうとう花粉症にかかったかな。急に鼻水がでたり涙が流れる。でも生活に支障が出るほどではないのでほっといている。花粉症も放るモンだ!といいながら頭の隅には放射能被ばくかも、という懸念がぁ、、、。

    消費税増税法案も今国会提出は流れそうだ。ネットで知る限り賛成する意見はほとんどない。詳しいことは専門家に任せるが、とにかく野田総理が選挙活動で一生懸命、訴えていたシロアリ退治を先にして欲しい。

    とにかく官僚権益という不夜城が砂上の楼閣となるのかスカイツリーになるのか、せめぎ合いまっただ中。でもその外堀が少しづつ崩れはじめている気がするのは楽観的すぎるだろうか。これが今の思考、知の世界でいう集合知とか一般意志とかネットワーク的転回の効果なのかは、わからないけど。

    101匹目の猿じゃないが、一人一人の意識が同調する、シンクロしていることはなんとなく感じられる。でもそれは決して自分の理想に近づくことではないことと、肝に銘じておかなければならない。

    官僚政治と言われ久しいが、昔、建設・土木関連の小さな設計会社で官公庁相手の仕事にかかわっていたのでその実態は経験した。官公庁発注の仕事はとにかく利益率がいいのだ。

    時効だから言っちゃうが、弱小企業にかかわらず談合、接待などはよくあった。もちろん、そんな悪さばかりしてた訳ではないことは強調しておく。とにかく日本全体を見るとスバラシイ世界的な仕事も同時にやっているのだが、悪い面を引きずることもあって、それが箱物行政、公共事業関連では日常茶飯事だったのだ。

    高度経済成長のころは大きな現場の所長クラスになると取引業者の賄賂で家が一軒、建ったと当時、聞いた。設計単価とか積算表とか価格も横並びになって業者全体に不公平感がでないようにシステム化されていた。ある意味東電の総括原価方式(原価と必要経費以外に粗利を上乗せした料金設定)に似ている。つまり東電は個人に対しても役所単価でやっている、ということなのだろう。

    国と国民全体がバブルまでのように潤っていたら見て見ぬふりができた。しかしこれほど世界的構造不況になってしまい格差が広がり先が見えないと、もう同じ仕組みではたちゆかない。

    最近、ギリシャのデフォルトがマスメディアをにぎわしていた。留学してギリシャという国民性を知っている者にとって観光とオリーブ油収入くらいしかないギリシャがEU加盟したことが信じられなかった。案の定、借りられるだけ借金して返せません〜、と言う結果に。

    ところでギリシャやイタリア、スペインなどはGDPに計上されない経済活動がすごくある。これをシャドーエコノミーとか裏経済、非公式経済とかいい、公表されない経済活動を指す。その推計にはドラッグ、売春などの地下経済も計上。ギリシャがトップの30%、イタリアは27%。日本は10%強だが、アメリカより高い。

    だから裏経済で稼げるんだから個人としては国がどうなろうと片腹痛まないのかもしれない。自分が留学中、観光ガイドの仕事をたくさんしたが、観光客の買うお土産代は相当な額だった。でもお店は当然、値段も帳簿もいい加減だからちゃんと税金なんて払っていなかったと思う。

    それと当時は自分たちみたいな学生バイトでもオミヤゲ屋に団体客などを連れて行くと売上から10%のキックバック(紹介料みたいな分け前)がもらえた。ちなみに団体バスの運転手と同行しなくてはいけない免許を持ったギリシャ人ガイドにも同じ一割づつ払われていた。つまりオミヤゲの値段なんてあってないようなものだったのだ。

    ギリシャだと安っぽいオミヤゲしかなかったからそれほど売上額はいかなかったが、ローマなどブランド店を多く抱えた観光地だと莫大な報酬になったらしい。チップの習慣は現在、ヨーロッパではほとんど必要なくなったが、当時はまだ日常的に残っていたからホテルの従業員だってチップでかなり稼げたはずだ。

    それとギリシャにはオナシスやニコラスなど有名な海運業もある。でも登記上はリベリアとかタックスヘヴンなどの外国企業になっているため自国の利益になっていない。

    日本に目をうつすとパチンコ、風俗、宗教法人などがかなり占めていそうだ。この辺にもメスをいれれば数兆円規模で税収が増えるのだろうが、政治家も官僚も命にかえられないのだろうし、税金かけるということは公認することだから民意を考えてグレーのままで放置プレイしかないか。

    スウェーデン、デンマークなど一見、清廉潔白に見える国も税率の高さの影響なのだろう、けっこう裏取引は多い。だからなのだろうか、昨年、訪れたときキャッシュよりカード支払いが浸透していて現金だけでは旅行できないくらいの印象だった。

    公衆電話すらカードだったりするし、キャッシュで払えるような窓口はすぐに閉まってしまう。つまりお金の出入りがハッキリ見えるようにするためだ。これからもっとキャッシュレスにするそうだから旅行者はカード必携です。詳しくはhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4570.html

    贈収賄の推計もあった。この数値もシャドー経済とリンクするのか、ギリシャが一番高い。次がメキシコ、ハンガリーと続く。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788f.html

    ところで今年の秋、ブダペストの大きなギャラリーで個展が決まっている。ハンガリーとは在日大使館をはじめ仲がいい。ハンガリーはとても面白いし東欧の真珠ブダペストはとっても美しい街だ。

    リスト、バルトークなど音楽家をはじめ、ノーベル賞受賞者の人口比は世界一だし、科学者を筆頭に世界で活躍するハンガリー系移民は枚挙にいとまがない。そのあまりにも抜きんでた頭脳を持つので、ハンガリー人は宇宙人だ、という噂まで流れたという。コンピュータの父フォン・ノイマン、ジョージ・ソロス、ルービックキューブのルイ・キュービックなど数え切れない。

    それほど優秀な国民だが、自殺者は人口10万人に対する比率は日本より高い(詳しくはhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html)し、シャドー経済や汚職・贈収賄率もどれも世界トップクラス。日本の人口の10分の1にも満たないハンガリーは良きも悪しきも興味をひく国なのだ。ちなみに1位はロシア、韓国がなんと世界2位!

    確かに不正行為、違法行為はよくないが、イタチごっこのように悪い行為をすぐに法律で囲い込む状態がつづくとどうなるのか少し不安だ。自由が不自由を生み出すパラドクスに陥って、生きることの本当の意味がどんどん違う方向に進んでいきそうだ。

    なんか忘れた頃にやってくる自然大災害はそんな人間の本性を目覚めさせる試練だと思えてきてならない。少し暖かくなってきた。日差しも強くなってきた。やっぱり春はイイネ!

    写真は2008年ブダペストオペラギャラリーでのパフォーマンス。
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    桜の樹の下
    昨日3月17日はセント・パトリック・デーだ。5世紀ごろ、キリスト教をアイルランドに広め後に聖人としてまつられた聖パトリックの命日である。緑色のマントや衣裳をまとい世界各地でイベントが催される。

    昨年は震災により中止になったが表参道でも毎年、大々的なパレードでにぎわう。シカゴでは川をバスクリン(ウソ!フルオレセインという薬品だそうだ)で染めて緑色にしてしまったり、緑色のビールを飲んだりして祝うのだそうだ。そもそもアメリカに移住した大勢のアイルランド系市民が18世紀ころからはじめた行事だという。

    もうアメリカ・ワシントンの桜は満開とヤフーニュースに出ていた。異常気象のせいと言うが、今年の関東地方は、逆にかなり遅れそうだ。先週、代々木公園を散歩したら、つぼみが大きくなってきてはいたが。ところで園内工事が気になった。毎年、花見宴会が一番集まるスポット周辺で大がかりな土木工事がされていたのだ。満開のころには終わっていて欲しい!

    ところで檸檬(れもん)という小説が有名な梶井基次郎の散文詩に「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」と言うのがある。昭和三年に書かれたこれも有名な散文詩だが、久しぶりに読み返すと何とも言えぬ感覚的でエロティックな世界に驚いてしまう。

    「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
     これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」

    で始まり、最後の方にこういうフレーズもある。

    「お前は腋(わき)の下を拭いてゐるね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。それで俺達の憂欝は完成するのだ。」
    (インターネット図書館青春文庫よりhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

    彼がゲイだったのか、それともこれは意味深長な暗喩なのかは詮索する必要はまったくない。スバラシイ文字世界だ!なんともいえない隠微なコトバがかもし出す少女のようなか細い震えが普遍的な精神世界に昇華されている。これじゃ、かの天才プラトンだって詩の力を恐れて排斥するよね。

    自分たちの世代にはモロ見えAVよりもこういうエロティズムのほうが興奮するかもしれない。なんか若かりし頃、友だちから借りてこっそり楽しんだスクリーン別冊か、ロードショウかどちらで読んだかは忘れたけど、プルーストの小説を読みながらオナニーする少年の話があった。さすがプルーストで抜けるほど創造力はないなぁ(笑)

    坂口安吾も戦後まもなく「桜の森の満開の下」という短編を残している。これはシュールで寓話的ストーリーだ。ところで今、桜葬というのがあるそうだ。(http://www.endingcenter.com/sakura/)エンディングセンターという、とてもわかりやすい名前のNPO法人が主催している。恐らく梶井の作品から設けられたのだろう。つまり墓石や墓標が桜の樹なのだ。

    自分だったらさしずめ、青テープ葬かなぁ。エジプトのミイラのように青テープでグルグル巻きにして、、、。でも献体登録しているから一応、医学生たちの解剖教材になっちゃうんだ。

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    デモと東大話法
    今日はU23オリンピック予選。なでしこジャパンに続け!

    ところでツイッターにスパムメールが急に来るようになった。フェイスブックも新しいタイムライン・インターフェイスになった途端、アクセスがメチャ遅くなった。

    単純に端末PCの互換性の問題(マックPC)のせいなのか、先週末、増大した大陽風のせいなのか、トラフィックの急増で対応できなくなったか、闇の検閲ソフトのせいなのか、真相はわからない。

    去る3月11日の午後から少し晴れ間ものぞき、知り合いの個展の最終日だったので顔だけでも出そうと自転車で銀座へ向かった。

    途中、半蔵門手前当たりから急に警官の数が増えはじめる。なぜか日曜にかかわらず厳重、警備中だ。

    かけ声が聞こえた。とともにデモ行進が近づいてくる。反原発を訴えている。少人数のグループですぐに通り過ぎる。するとまた遠くからシュプレヒコールが聞こえてくる。今度はかなり長い隊列のデモだ。

    みんな一緒に盛り上がればいいと思うが、よく見ると、宗教団体系だったり労働組合系だったり。反原発でも一緒に反対できないのも押し迫った危機感がないせいか。

    小さい頃、安保デモを目の当たりにした印象から言うと、当時のデモは戦いだった。投石やら催涙ガスやら市内戦さながらの切迫感があったが、今のデモは団体旅行のような気楽さと各人のテレがうかがえ、それはそれで平和的でいいと思う。

    後から311の夕方、人間の鎖で国会を囲んだ、と知る。夕方、国会の近くを通ったとき、大きなデモ行進が国会方面に進んでいたから彼らが鎖を築いたのかもしれない。

    しかし日本中、反原発デモなどが繰りひろげられているのにマスコミは相変わらず見て見ぬふり。たぶん一度でも過激な行動やら暴力事件に発展したら、デモグループを悪者に仕立て上げ、一斉に集中砲火を浴びせるのだろう。

    そのかわりに、震災被災者の悲劇ばかりを放映する。そこには政府の怠慢や遅延する復旧対策や原発事故責任をウヤムヤにしながら、怒りの矛先を同情論と差し替え、責任の所在を闇に葬ろうとする姿勢がミエミエ、、、ところで山口美江さんのご冥福をお祈り申し上げます。柴漬け食べたい!はまだ覚えている。

    セシウム、ストロンチウムはカリウム、カルシウムに似ているので体内に入ると、それらの過剰摂取と同じ症状がでると複数の専門家は忠告している。ガンは発症に時間がかかるが、セシウムなどの過剰摂取による心臓系疾病は早くあらわれ被ばくとの因果関係が疑えるのだそうだ。

    ところで「ベンゼンより高影響=内部被ばく推計、東京の発がんリスクー東大」という記事が一昨日、時事通信から発せられていた。東京は被爆リスクはほとんどないよ、みたいな報告だ。

    まず推計である、実地調査ではない。それに「厚生労働省や東京都が公表している水道水や乳製品、野菜などの放射性物質濃度を基に、・・・」とある。???厚労省と東京都の調査が正確な測定値という仮定に基づいた机上の計算だが、時事通信がニュースにするともっともらしく信憑性が増すから、マカ不思議。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120312-00000127-jij-soci

    もしこれが「ベンゼンより高影響=内部被ばく推計、東京の発がんリスクー大東大」だったらどうだろう。(大東大関係者の皆様、お許しを!)

    論文を孫引きフレーズを集めて書いたことと同じである。東大、厚労省、東京都の資料だから嘘はない、と今までは信じてもらえた。しかし311から一気にこの神話は崩れていると言いたい。

    私たち関東以北の人たちは福島県民の方々ほどではないが、被ばくの無言の圧力を受けている。不安な気持ちは体の奥底に日々、積もり続けているのだ。子供のいる家庭は笑い事では済まされない。

    最近、安富歩の「原発危機と「東大話法」という本が話題になっている。原発事故から触発されて書いたと言う。その話法を20の法則にまとめている。というか20個もあって法則とは言えないだろうが、児玉龍彦氏と同様、怒り心頭なのだろう。

    1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
    2:自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
    3:都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する。
    4:都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
    5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
    6:自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱいに批判する。
    7:その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
    8:自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル張り氏、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
    9:「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく。
    10: スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
    11:相手の知識が自分より低いとみたら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
    12:自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
    13:自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
    14:羊頭狗肉。
    15:わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
    16:わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
    17: ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
    18:ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
    19:全体のバランスを恒に考えて発言せよ。
    20:「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

    だそうだ。

    写真は「AP013」78cm x 108cm、水彩紙にグワッシュ。
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