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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • ギャラリーコエグジスト・トーキョー&アースプラス・ギャラリー
    先週土曜はギャラリーコエグジストのリニューアル・オープンだった。2年前、個展を開催したギャラリーだ。そのときは台東区の末広町と浅草橋の中間くらいにあった。

    この度、江東区木場の東京現代美術館そばに移転。倉庫を改装、前にも増して大きく立派になった。おそらくギャラリースペースが清澄白河の小山登美夫ギャラリーのメインホールくらいありそう。天井も高くとてもかっこいいホワイトキューブ(白い箱のようなスペースのこと。現代美術系ギャラリーのことを指す)に仕上がっている。

    2フロアーにわかれ1階はEARTH-Plus Gallery(アースプラス)とカフェ、2階は100平米のGallery COEXIST-TOKYO(コエグジスト・トーキョー)で、オシャレなギャラリーコンプレックスになっている。

    2階のギャラリーのこけら落としはフランス人の女性現代美術家レティシア・シュレッサー-ガムランさんの個展。彼女の作品はキャンバスに樹脂をベースにして描かれた抽象画。丸いモチーフでは顕微鏡をのぞいて中でうごめく極彩色の無機質な色の広がりを表現したシンプルかつビビッドな作品群。展覧会のタイトルは「原初の言葉」。

    レティシアさんもパリでギャラリーを経営するご主人と来日。お話しさせてもらったがご夫妻とも気さくで日本大好きフランス人だった。

    1階ではメディアミックス的活動をしているヘテロフォニーという若手グループが展示とパフォーマンスで構成。音楽、ファッション、現代美術、舞台などの作家が集まり今回の展覧会を演出する。

    自分は6月に個展を開催。去年スエーデンの中島由夫現代美術館も大きかったが、それよりも広いかもしれない。どうしても高さのある作品を発表したかったのでとても楽しみ。

    東西線木場駅から歩いて来たが、帰りは門前仲町をブラほるもん。

    人形町と似て富岡八幡宮の門前町だけあって街並みはよき江戸下町風情を残している。スカイツリーも完成し、これからこの界隈ももっとにぎわいそうだ。

    永代通り沿いにはドラッグストアーがなぜか多い。高齢者が多いせいなのかはわからない。そんな街並みに昔懐かしい純喫茶があったり、美味しそうな和菓子屋さんがあったりして幼い頃、育った神田を思い出し童心に戻る自分がいる。

    ふと通りかかった和菓子の伊勢屋の誘惑には勝てず、豆モチと塩大福を購入。いつもならスイーツは眺めるだけでツバを飲み込むだけで、あきらめているのだが、さすがに下町の風に背中をおされ一個づつ買ってしまう。純喫茶でクリームソーダでも飲みたかったが、すでに閉店。ここの商店街はだいたい9時くらいには閉まってしまうようだ。

    東西線門前仲町からもさほど遠くなさそう。ギャラリーまで10分くらいとのこと。木場駅からだと8分だからそれほど変わらない。ちなみに清澄白河からだと20分くらい。

    このあたりにもいろいろなギャラリースペースができているから、すぐにアート好きの散策コースに組み込まれそうだ。

    <Gallery INFORMATION>
    コエグジスト・トーキョー&アースプラスギャラリー
    open:11:00〜19:00(月曜休)
    住所:江東区木場3-18-17 TEL03-5809-9949
    http://www.coexist-tokyo.com/

    <1階スペース>
    ヘテロフォニー個展「颯爽的転回」4/7〜4/29
    イベント4/22 fijii collection A/W 2012 SHOW open:18:00〜 入場無料
    イベント4/29 fiClosing Party open:14:00〜 ¥1500(1ドリ付)

    <2階スペース>
    レティシア・シュレッサー・ガムラン個展「Primitive Language 原初の言葉」4/7〜4/29

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    咲くっと日記
    一気に桜が咲いた!平年よりもっと遅れると思っていたがあたかかくなった途端、パッと咲いて散る、、、ふと、同期の桜なんて哀しい軍歌を思い出してしまう。

    とうとうツイッターのささやき具合で世の中の動向を探るようになってきた。テレビニュ−スではその集計結果を参考にしたりする。この前の春の嵐の報道では、首都圏で何時頃に帰宅する人たちが多かったか、ということをツイッターのささやきから集計調査している。

    世論調査っていうなんかきな臭い調査(視聴率も似たようなモン)がツイッター調査によると、、、とかになっちゃうんだろうか?書き込みバイトが増えそうだな。

    かたや2チャンネルを覚醒剤売買の書き込みを放置したことの違法性をとりあげ、法規制をかけられるように世論誘導の匂いプンプン。
    参考サイト:http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120307/crm12030707020003-n1.htm

    ポストモダンの後の流れだと言うように、コミュニケーション的転回の確たる証明になりそうだ。政府与党など権力側も、もうネット上の「愚衆の集合知」を無視できなくなっている。そんな人々をかつて小泉郵政選挙の時はB層とかいってバカにしていたモンだけどね。

    このところニーチェとかヘーゲルの超訳本が結構売れているらしいが、ニーチェの名著「ツアラトストラはこう言った」(水上英廣訳/岩波新書より)にガツンとくるフレーズがあった。

    「〜国家は善と悪についてあらゆることばを駆使して嘘をつく。国家が何を語っても、それはウソであり、国家が何を持っていようとも、それは盗んできたものだ。
    あまりにも多数の者が生まれてくる。余計な人間たちのために国家は発明されたのだ。〜」(上P110)

    ここまで言い切るニーチェ。でも言い得て妙というか当たってるジャン。120年前にすでに看破していたのだ。

    とにかく絶対規準があやふやになった現在(以前も書いたけど、それが結果のはっきりした自然科学崇拝につながってもいる)、集合知である「一般意志」が世の中を動かせるようになってきたことは確かだろう。

    当然、権力者たちもこの第4の力を利用しようといろいろ画策している。そのためにすぐに扱いやすいように法律という規制のアミをかけようとする。

    国民新党の亀井代表が解任されたり連合与党は民主党をはじめ、かつてフランス革命で旗振り役だったのに恐怖政治に突っ走ったロペスピエール率いるジャコバン党みたいな動きになっているジャン!

    ニーチェはまたこうも言っている。

    「人間らしい幸福を一瞬与えてくれるものは芸術しかない」

    いい言葉だなぁ、、、
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    東京アートフェアと代々木公園
    穏やかな天気に恵まれた日曜の午後、代々木公園をチャリ散歩。すごい人だかり。例年ならすでに満開近いはずのソメイヨシノには一輪の花も咲いていない。

    それでもたくさんの宴会でにぎわっていた。懸念していた補修工事もそれほど邪魔にはなっていなかった。NHK側の野外ホール周辺ではエコロジー系?のイベントでこちらも大盛況。フリマや出店にアース系や外人で大にぎわい。みんなの楽しそうで笑顔がヨカッタ、イイネ・クリック!

    やっぱり平和。とにかく平和。平和が一番!(パチンコメーカーではないです)

    土曜は銀座のとあるギャラリーに打合せにいき、その後、東京アートフェアを見る。

    どうなのかなぁ、東京アートフェア。

    悪くはないと思うがほとんどが無難な売れ筋的な絵が多くて物足りなさが残った。日本画の世界ではそういう売り絵のことを飯画(パンガ)というらしい。

    色のきれいな詩情あふれる抽象表現系、美少女&へたうまマンガ系、立体だとリアル&アニメ・フィギュア系、ちょこっと抽象画(カラーフィールド系)。全体的にみてブームのアニメ&ダーティリアリズム系より抽象画の方が売れている印象。(この傾向は2〜3年前から感じている)

    まあ、アートフェアだから頂点に達した作風が多くなるのは当然だけど、寂しいのはそれらの元ネタが読めてしまう。決してレベルは低くないと思うが、やっぱりテーマがたくましい骨太な作品が恋しい。

    土曜の段階では見た限りにおいて10万円以内がチラホラ売れている程度。もちろんリーマンショック前のあのアートバブルのようなプレ・レセプションでほとんど完売状態から考えると隔世の念。

    数年前一番高いときに買った人たちが、最近のゼロがひとつ取れたくらいの価格破壊に懲りてコレクターやめちゃうんじゃないかと余計な心配をしてしまう。自分は不幸中の幸い(笑)、最近になって少しづつ売れるようになったからその価格のブレが少なくてホッとしているけどネ。

    このアートフェアは出展料は安くないと聞く。これではギャラリストも大変だ。でも、一般客からも入場料2,000円もとるなんてどうなんだろ。せいぜい1,000円だろ。まあ主催者側にとっては、美術館とか見せる場所じゃなく絵を売るフェアだから、冷やかしの客で混み合うよりいいと思ったのだろうか。

    ところで土曜の午後、小さな台風並みの悪天候にかかわらず、銀座界隈、とても大きな増税反対デモ行進をやっていた。恐らく数万人規模だと思う。もちろんマスコミでそのニュースは目にしない。

    東浩紀氏の一般意志2.0でいうようにコミュニケーション的転回なのか、ポストモダニズムの影響なのか、脱中心・脱権力的ベクトルを、ご都合主義で解釈したかのように政治イデオロギーも政策もコロコロ変わってなんのための政党政治かわからない。消費増税なら自民党とも仲良くするとか支離滅裂。

    それに答えるかのように自民党石原幹事長が小沢氏を切れば、同意する可能性もあるなんて子供のケンカじゃないんだから。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120401/stt12040119580004-n1.htm

    しかしヤフートップの編集は偏っているのではないか。さすがの孫氏も官僚に遠慮しているのかと勘ぐってしまう。そういえば震災100億円寄付はどうなったのだろう。

    最近、まさにこんな世相を反映した出来事があった。

    元経産官僚で官僚制度改革を標榜した古賀茂明氏がツイッターで、テレ朝ワイドスクランブルのレギュラーを降板させられた、とささやいたら大勢のフォロワーから局に苦情が入ったらしく、すぐさま降板撤回。「一人一人の力は小さくてもみんなで動けば世の中が変わる」http://blogos.com/article/34839/

    エコロジーイベントの一角でライブをしていたロックバンドが放射能問題を叫んでいたけど、たとえデモや市民運動など具体的な行動をとらなくても一人でも多くの人々が心に願うことだけでもきっと伝わる。

    いつまでも桜の宴のようにハッピーハッピー平和な世界が続くことを祈ってます〜♪

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    自分探しとポストモダニズム
    春だ!加速度がさらに加速度をつけたように時の流れは、ああ〜無情。でもこうやって毎日、無事でいられることに感謝しなくてはいけない、ありがとうございます!

    ・・・なんで自分は自分なんだ?

    なぜ自分以外の、たとえばトムハンクスとか小泉進次郎とか柳井会長に生まれて来なかったのだろう、、、

    しかし! 彼らも生まれたときは自分といっしょで赤ん坊の無名。いきなり有名人として生まれてくることはないから、この願いは無意味。結局そのあとの努力なんだよねぇ、、、汗。

    ずっと自分が持っていた疑問。それは自分の正体だ。「自分探し」とも言う。たとえば作品について「何がテーマなんですか?」って質問されると、躊躇(ちゅうちょ)なく、「自分を見つけるために表現しています。表現とは自分探しだと思っています」と胸はって答えたモンだ。

    でも〜!

    哲学なんか囓りはじめると、そんな回答が、赤坂見附じゃない、浅はかきわまりない、と感じるように。

    「自分探し」しているってことは自分が自分じゃない、って意味も含む。どうやって本当の自分じゃない自分が、本当の自分を探すことができるのか?

    今の自分はつまりあおひと君の代理人?つまり偽者?その偽あおひと君が本当の自分のウォンテッドみたいな人相書きを持っているのだ。じゃなければホントの自分かどうか最終確認できない。

    プラトンは、人はすべて真理(イデア)をすでに知っていて、忘れているだけだ、だからそれを学習して思い出すだけなのだ、と「想起説」をといた。(当時ギリシャ文明では魂の輪廻(りんね)が信じられていた。アカシックレコードの元ネタ)

    だとすると、ここでいう自分探しは成り立つ。つまり表現する(学習する)ことによって忘れていた本当の自分を思い出すのだ。さすがプラトン!

    で、今のところ自分は想起論者じゃないので「自分探し」と言わなくなった。現代美術に対して「感性や知覚の探求」と答えている。認識論風だ。乱暴な言い方だと、ニーチェのように「真実は自分が決める、神は死んだ!」となる。

    でもでも〜〜〜〜!

    リオタールが「白人男性によって形成された」大きな物語は終わった、といい(「ポストモダニズムの条件」1979年)、ポストモダニズムが70年代ごろからもてはやされる。それは二度の世界大戦やドイツ・ナチスの蛮行、共産主義やその冷戦などの反省から、これまでの権威主義や教条主義、啓蒙主義をすべて否定しようとする思想だ。

    そのかわりフェミニズムや世界多極化、ゲイや少数民族などのマイノリティの肯定などあらゆるアウトサイダー的価値を見いだし強調する。するとあら不思議、ニクソンショック(金本位の廃止)、共産主義崩壊、新自由主義の台頭、アート界をみればニューペインティング旋風が世界を駆けめぐる。日本をみればあっとう間にバブル経済になりオタクの公認、オカマ、NHのタレント化、などなどナンでもありすがわの世の中に!

    でもでもでも〜〜〜

    これがまた否定されつつある時代に突入した(そうだ)。

    その自分に対する認識も、実は自分自身がホントに「為(な)していること」ではない可能性もでてきた。いままで哲学的な問題と捉えられていた「存在」や「言語」の謎が最近の急激な脳科学や遺伝子工学などの発達で少しづつ解明されてきた。

    ガンや遺伝子病系は言わずもがな戦闘好きな戦士の遺伝子やら肥満遺伝子などなども発見され、アーティスト遺伝子が見つかるのも時間の問題だろう。ある意味、500年前のようなイタリア・ルネッサンス的科学万能時代の再来かもしれない。というのもポストモダンから見ると、そのような流れは至極とうぜんなのだ。

    例えば建築分野でもポストモダンはよく言われているが、それまで「住居とは住む機械だ」と言ったコルビジェに代表されるようにムダを排し機能性、合理性を追い求めていた近代建築を比べてみても明白だ。それは非対称性、脱中心などがキーワードになっている。

    何が言いたいかって? 

    つまりポストモダニズムの思想家たちが脱権威、脱中心と唱って目指した結果、思想・イデオロギーなど中心になって引っ張っていく強力な磁場がなくなったから、行き場のなくなった「知」が自然科学などに向かいはじめた。哲学とアプローチの仕方が似ていてゴール(目標)が見える自然科学(実証主義)によりどころを求めるようになったのではないだろうか。

    これから何を手本に、何を根拠にしていいのだろう? と思ってどっかの自己開発セミナーみたいに、自分を信じろ!ッて言うが易し行うが難し。人間って目的やゴールがないと急に無能になる。

    孫引きになるけどリオタールが面白いことを言っている。「ポストモダニズムとは何か」(スチュアート・シム編著・伊藤賢一訳/松伯社叢書)から引用するとー
    「地球が死に絶えた後(四五億年程未来の出来事)でも宇宙のどこかで存続し続けるような、ますます洗練されたコンピュータ技術を開発することによって、技術科学者は徐々に人類を視界から抹殺しつつある。〜略〜 技術科学の究極の目標は肉体なしでの思考を可能にすることである。」(原典は「非人間的なるもの」1988)ここでは科学技術ではなく技術科学がキーワードだ。

    この考え方は極論かもしれないが、面白いと思う。もし肉体と思考が分離できたとすると肉体はどういう扱いになるのだろうか?思考がなくなった肉体はやはり思考できなくなるのだろうか?

    なぜなら肉体があるから生じる哲学的な謎はあるはずだ。肉体がなかったら食事も性交も集団生活をする必要もない。そうすると怒りとか悲しみという感情すら一部、いらなくなる。すると哲学的課題もずいぶんと減るだろうし真理も見つけやすくなるのではないか。

    哲学と科学とは竹田青嗣氏曰く(近代哲学再考より)
    「自然科学と哲学の方法がその基礎原理をおなじくしているからといって 〜略〜 自然科学の領域を原因 ー 結果の系列、その法則や構造の把握をこととするのに対して、哲学はものごとの存在意味、価値、その関係性の把握を目的とする領域だ。」

    そ〜ら、哲学はやっぱりないとダメなんだ。自分が思うに、科学はより個人に向けた強化と繁栄、哲学は全体へ向けた普遍と進歩と棲み分けがされているのだ。

    でもポストモダニズムもやっぱりうまく機能しないとなると、どういう思想がこれから人間を先導していくのだろうか?

    ・・・やっぱり愛だろ!愛!

    なんでも愛でくくってしまう哲学。そんな愛はエネルギー、喜び、美(ヘーゲルも言った)、生命、真理もろもろなのだぁー。
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    自由と平等
    哲学は難しい。若かりし頃、背伸びしてカタ苦しい原書翻訳などをわかったつもりで読んだが、実は何もわかっていなかった。なのでこのごに及んで入門・解説書的な比較的簡単そうな著作を片っぱしから読みあさる。すると夜がうっすら明けるように彼らの難解だったメッセージが浮かび上がってくる。

    もちろん哲学者になろうと言うわけではないので自分の興味、関心のあるテーマに偏(かたよ)っているし、わかってきたと言っても概略の概略?くらいの意味だ。だから初心者すぎてわかりきったことかも知れない。異論やあやふやな部分もあると思うけどお許し願いたい。

    <人間にとって自由とは何か?>近代哲学における重要なテーマのひとつだ。

    一般的には「我思う、ゆえに我あり」という有名なコトバ(命題)を残したデカルトがヨーロッパ近代哲学の扉を開いたと言われている。その根拠のひとつがキリスト教的支配からの分離・解放だ。

    つまり自分って神様の僕(しもべ)だと信じていた人たちが、ほんとうは自分っていう人間なんだよね、と気づかされたのだ。今思えば当たり前のことなんだけど、中世ヨーロッパまでの人々にとって「自分」という意識や感覚は、我々現代人が思う「自分」とは意味や意識や役割が違っていたはずなのだ。

    長くキリスト教的世界観と超人的な王や圧政者たちの支配下で生きた中世ヨーロッパの僕たち。神がいなかったら生きていけないと信じていたから、神を信じることが絶対幸福だと思っていたから、それこそ信仰をはずれると地獄で現世以上に苦しめられると信じ込まされてきた「自分」だ。そんな中、一部の自分たちは貧困と疫病と横暴で無慈悲な執政者や高圧的権威に強制された宗教的人生に矛盾を感じモヤモヤした違和感を感じていたに違いない。

    例えが飛躍しすぎかもしれないけど、そんな状況を現在の我々におきかえると、人類は地球外からやってきた宇宙人だったのだ、というくらい突拍子もないことだと思う。そんなことを今は誰も信じていないだろう。ピラミッドもストーンサークルもやっぱり宇宙人の知識によって作られていた、なんて証明されたら我々はどう思うだろうか?(あまり変わらないかな?)

    なにしろ中世の人たちは大陽をはじめ宇宙は地球を中心に回っていた、とほんとうに信じていたのだから。ちなみに地動説で異端裁判にかけられたガリレオがカソリックに復権したのはなんと約350年後の1992年だった。

    哲学者やアーチストはそんな時代や世相を人一倍の感性と好奇心と実行力で、来る世界へ一点突破を仕掛ける人たちだ。哲学者はその辺のモヤモヤ感をコトバの魔法で真理や理論に作り替える専門家なのだ。ヨーロッパでは引き続きルソーという民主主義を打ち立てた天才が登場。一般意志や社会契約というコトバを使い自由と平等の意味を持ち出して国家や個人の価値が急上昇。さらにカント、ヘーゲル、ニーチェ、マルクスなど教科書の常連たちに受け継がれブラッシュアップ。途中、その実践がフランス革命にたどりつく。

    しかし、やっぱり自由や平等ということはコトバではわかるようになったけど自分たちの外で起こっていることと言えば哲学者の主張する世界とはほど遠い。戦争は繰り返されるし、せっかくフランス革命で市民が自由・平等を勝ち得たはずだったのに恐怖政治になったり、今度は金持ちと貧乏人の格差が生まれる結果となる。

    自由=平等ではなかったのだ!!!

    というのは自由とは何か?と問うとき、自由とはモノを所有できる権利がある、ということがキーワードのひとつだった。人は欲しいモノを自由に持つことができる、ということを自由の必須条件(与件)にしたのだ。

    自由を満喫したいがためモノを持つ。それはつまり平等な社会の証だ。でも万人が同じようにモノを持てるようにならなかった。お金の多寡に差がでてしまうと平等が成り立たない。つまり今度は違う方面から格差が生じてしまったのだ。

    自由と平等のアンチノミー=二律背反(にりつはいはん)だ。民主主義をいくら主張しても、平等は成り立たないという現実。民主主義を訴えるなら平等はあきらめなきゃいけないという、もうひとつの原理原則が混じり込んでしまった。

    それまでは王とか教皇とか血筋や権威が格差の根源だったのが資本家にすげ替えられただけだった。日本ではマルクスはスターリンとソ連とか共産主義の失敗であまりいいイメージがなさそうだが、哲学の世界では評判はいいらしく、自由=平等の不一致を指摘していた。

    そして戦後、それら近代社会の大きな反省からポストモダンという国家、市民社会、個人の自由、などのそれら概念は終わった、という考え方が台頭した。今ではそれさえ終わったらしいけど時流が早すぎるよね。(ポストモダニズムについては研究中)

    では「自由なき平等」=社会主義と「平等なき自由」資本主義から、「自由と平等」が両立できる社会へ、と世界は進んでいくのだろうか?「自由も平等もなき社会」にまた後戻りしてしまうのだろうか? それとももっとバーチャル化が進み「自由と平等のあるゲーム的社会」にでもなるのだろうか????

    もちろん哲学で言う自由とか民主主義とかはこんな簡単で単純な構造で解明されている訳ではない。複雑怪奇なコトバの洪水で硬く結晶化されている。それに多種多様な要因副因因果の青ビニールテープがからまっていて一筋縄ではいかない。

    デモでもデモ!おおよそ、こんな流れではあると思う。さらに人間の欲望の真理や相互承認の捉え方なども併せて理解すると思想世界ももっと奥深くなるので折りに触れて書いてみたい。

    最近読みあさった本の中では、竹田青嗣氏や西研氏がわかりやすくてよかった。「近代哲学再考」竹田青嗣著/径書房、「ウイトゲンシュタイン「私」は消去できるか」入不二基義著/NHK出版、「ヘーゲル・大人のなり方」西研著/NHKブックス、道の手帖「ヘーゲル入門」河出書房新社、「現代哲学入門」 西脇与作著 慶應義塾大学出版会、「ニーチェ」神崎繁著/NHK出版などなど。

    ところで、代々木公園を散歩すると園内の舗装工事は4月一杯続くとのこと。恒例の花見スポット一帯にもコーンやらサクでバリケートされていて今年の宴会はすんなり開催できるかどうか心配になってくる。それに例年だったらすでに先走り開花もチラホラ見られるのだが今年は全くない。ネット情報だと東京の開花は30日、見頃は7日から12日だそうだ。http://sakura.weathermap.jp/

    写真は昔の作品(1985年)
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