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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • 脳とれ
    犯罪者を罰する、違反者を非難することに人の脳は快楽中枢で反応する、というNHK特集で説明していた。近年の科学医学の進歩で人間の中身もどんどん明らかになっていて面白い。

    種は環境に適応するため、自らの欲望を満たすため肉体的進化を日々刻々と遂げている。手の代わりに機械を作りだし、速く走るために今やロケットまで発明した。が、人間の感情はまったく進歩していない。

    恐らく数万年以前にホモサピエンスになって喜怒哀楽は変わらないのだろう。彼らに喜びしかなかったら、すぐに攻め込まれる。怒ってばかりいたら戦いばかりで生きていけない。また哀しんでばかりいたら隙をつかれるし、常に楽しかったらやっぱり騙されて殺される。

    だからこの四つの感情が同時になければ人間は生きてこれなかったのだ。技術の進歩と同じように感情が進歩はしていない。自分に喜怒哀楽以外の感情は思いつかない。他にどんな感情があるのだろうか? 

    新しい感情が生まれているとしたら、それは愛?憐れみ?義?忠?無?

    ナショナルジオグラフィックでいま、脳トレ最新科学という番組を放映している。注意力、記憶力、認識について実例を挙げトレーニングしながら解き明かす3シリーズだ。

    手品や催眠術、サギなどのトリックもなるほど!とつながっていて為にもなる。

    下記に簡単なテストがあるので試してみたら面白いです。
    http://www.ngcjapan.com/special-contents/test-your-brain/

    人間ってとにかく不完全なのだ。思っているより間抜けだ。だから国連とか大統領とか総理大臣とかノーベル賞受賞者とかたくさんいても平和にならないことがよくわかる。

    ニーチェじゃないが、超人は生まれない。逆に言うと核戦争や隕石衝突で文明が崩壊してこの生活がすべて無に帰しても生きていけるのだろう。だって感情は原始人と変わらないのだから。

    そういえば今年は一日多いうるう年です。

    1983年ギャラリーQでの故若林直樹氏との2人展。
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    中島由夫展覧会
    25日からのすどう美術館の個展の出品作もメドがついた。

    昨年スウェーデンで発表した文字シリーズの新作バリエーションをいくつかとタブロー、ドローイングを展示する。

    最近、雨や雪が降ったり寒かったり天候が思わしくないが、月末は少しは温かくなっていて欲しい。でも小田原なので東京より若干暖かいかな。

    また今年の6月には、江東区の東京都現代美術館近くに引っ越し4月からニューオープンするギャラリーコエグジストでの個展が控えている。

    作品の構想はできているので、こちらも併せて制作している。このギャラリーはとても広いので(おそらく東京のプライマリーギャラリーでは一番広くなる?!)いろいろなバリエーションを発表するつもりだ。

    ここでも新シリーズによる作品で構成。言葉と絵画、感覚と思考、主体と属性の比較・対照等をテーマにいろいろ提示してみたい。

    ところで中島由夫画伯の個展が名古屋で開催されます。

    ART-MISSIONARY -Return to Japan -
    中島由夫展
    日時:2月16日(水)〜22日(水)10:00〜19:00(最終日16:00まで)
    場所:丸栄美術画廊(8階)
    住所:名古屋市中区栄3丁目3-1 丸栄
    TEL052-264-1211(代)

    ぜひ、お近くにお住まいの方は沈まぬ太陽の感動を見てみてください。
    中島先生に頼まれて制作したパフォーマンスDVDも流すそうです。彼のパフォーマンスも筋金入り!面白いですよ。
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    敵は本能寺にあり!
    今朝もヤフーニューストップに「防衛相、無断退席中にコーヒー」(時事通信)と掲載。そんなこと、どうでもいいだろ!まったくこの不景気なのに(たぶん)給料一杯もらっているジャーナリストが発信するネタかぁ?!

    テレビのニュースではじまった一日が、PCではじまるようになってどのくらいが経つのだろう。最初の内はおもしろおかしく、政治批判、陰謀系をチェックしていたけどそれも最近、?と疑問符が浮かぶように。

    なにしろ言いたい放題だから賛否両論あってしかるべきなのだけど、なんか居心地が悪い。言葉のハシバシから伝わってくる憎悪や敵愾心、差別意識など今までこんなにも第三者の悪感情に触れるような環境はなかった。

    パロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)の違いはあるとはいえ、たとえば毎回、活動家系抗議デモの最前列に陣取っていなければ聞けないような罵詈雑言ばかりが目につくように。

    昔、新宿ロフトプラスワンで教科書を守る会のイベントを手伝ったことがあった。そのときにいた客の一人のヤジがすさまじかった。その業界では顔の知れた青年らしく回りは皆、苦笑してやり過ごしていたが。

    彼は面を割って客席から怒鳴り続けていたからその勇気はスゴイ!でもネットは匿名だし所在もわからない。ゆえに誰にでもヤジは吐けるし過激さに拍車がかかる。もちろん共感、賛同、為になる記事も同じくらいあるのだから悪口系は読まないでスルーしちゃえばいいのだろうけど、悪口、噂話、隣の不幸は蜜の味。やっぱり気になるし記憶に残ってしまうのが凡人のサガ。

    書き込みアルバイトっていう噂もあるらしいが、自分も含め反対意見を書く人たちは無意識かもしれないが、自分が正しい、自分の常識はみんなと同じはず、批判に値する、という良識的判断で声をあげられている方がほとんどだろう。きっと彼らと直接会って話したら驚くような善良な人たちなのだ(たぶん!)。

    ところで人間の脳は集団で生き繁栄したので、調和を崩す仲間を処罰するために進化したらしい。それは法や規則を破った者を罰するときに脳は快楽を感ずる部位で対応する、というのだ。違反者でない場合は、快楽ではない違う部位で対応するそうだ。違反者という認識だけで反応部位が変わるなんてなんかとても不思議。(ネタ元はNHK特番)

    ・・・というかこれってかなりショッキングなことじゃないか?!

    つまり弾圧もネットの罵詈雑言も戦争もこの集団自衛権のために繰り返されていたのだ。古今東西有史以来、たくさんの人間が追い求め熱望していたはずの平和な世界の最大の敵が、いみじくも自分自身の脳だったとは!

    なんとも皮肉を通り越して野豚バラ肉さんまいおろしだ。すべて進化の過程で得てきた獲得形質。人間はとどのつまり、脳という生物に支配されているのかも知れない。まさに敵は本能寺にあり!

    とくに正義なんていう言葉こそ脳の指令そのものなのだ。今でもあのブッシュのテロに対するプロパガンダは身の毛がよだつ。正義とかテロに屈せずと眉間にしわを寄せた深刻な表情の裏で、快楽に身を任せていたのだ。テロリストもブッシュも同じ、というより戦争は敵味方同じ快楽を求めてやっていたとしたら恐ろしい。

    赤信号は止まれ!自転車は歩道ダメ!歩きタバコはダメ!陰毛ダメ!?タトゥーダメ!駆け込み乗車ダメ!女性専用車両、男はダメ!義援金もらったら生活保護ダメ!ってどんどんダメダメづくしになっている。でもこれは人間が無意識に求めていることでもあるのだ。違反者を罰する喜びと法令遵守の喜び。

    だったら快楽を得るこの作用を変え、違反者を罰することが快感にならず、憐れみや同情を感じるようになれば、無為な戦争や争いごとがなくなる。でも進化の過程で、調和を乱す者を野ざらしにすることで社会が保てなかった。つまり現在まで生き延び繁栄して来られた理由のひとつに、違反者を駆逐して共同社会を保持することが勝ち残りの条件だったのだ。

    もし偉い脳科学者や脳神経学者たちが、絶対平和になるから!とその部位にメスを入れることを主張しても、はたして人間は賛同するのであろうか?レーシックみたいに手軽にできるようになったらどうなるのだろうか?本当に戦争がなくなるのだろうか?

    ところでネットメディアは新たな人間の習性をあぶり出したのかもしれない。

    ひとつが最近よく言われている「集合知」。一人の知識や意見ではなくて、ネットでデーターベース化された情報がパソコンのアルゴリズムや拡散によって勝手に修正、洗練された知に変化し、人間の価値基準や認識を左右する、という考え方だ。(超個体も生物界の集合知に例えることがある)

    かつては有識者やその道の達人、権力者、有名人など情報発信者(発信元)の素性が問われた。つまり情報の信憑性、価値は発信者が担っていた。でも現在は発信者はどうでもよくて、その情報量の多寡が重要なのだ。そしてシミュラークルな時代だからそれを借用、コピペで拡散されることによってどんどん信頼と影響力を得る、という構図だ。

    ウィキペディアもフェイスブックのイイネ!やシェアもその特性を利用したサービスだ。ウイキペディアは世界中で何百万何千万というヒットがあるから信頼性を得て、相互作用で書き込む誰かも信憑性のあることを書くようになり機能している。イイネ!がたくさんあれば為になると思い始め内容に信憑性が増す。

    新年のブログにも書いたけど「新年明けましておめでとう」の「新年」もまさにこの集合知によって変化したのではないだろうか。

    それまで言葉や用法などは御用学者と文部省から教育委員会、そして教師またはマスコミ用語集に反映され、私たちが習い使った。でも最近は、新年が明けるとは用法的におかしいから、ネットでそういう意見が多いから、と気づけば、新年があいさつから消えていたのだ。しかし、旧年から新年に明けました、という意味にもとれないではない。でもそういう意見が少なかったから恐らく新年くんは残念ながら退席するしかなかったのだ。(もし違う情報があればお教えください)

    たぶん、こんにちは、の「は」も同様だ。ネット・エクリチュール(ネット書き言葉)では、こんにちは、よりこんにち「わ」、もよく目にする。数年前はたまに、それを指摘するブログやスレッドも見かけたが、もうなくなった。恐らく「は」はなくなるのかも知れない。まあ、言葉なんて使用頻度で変化するものだからむしろこれが自然な形とも言えるけど。

    20世紀前半、言語哲学で活躍した哲学者ヴィトゲンシュタインは「腕が痛い」という表現が、他者では「彼の腕が痛い」とは文法上では正しいが、彼の腕の痛さは自分では感じられないので、正確には、痛がる仕草(行動)でしか表現できないと言う。「彼は腕を痛がっている仕草をしている」が「彼は腕が痛い」ということを正確に表現している、と言うのだ。面倒だよね、、、汗

    最初に言葉ありきじゃないが、西欧文化は言葉が重要だ。そんなヴィトゲンシュタインは絵画についてとても示唆のあることを書き残している。(ここでいう絵画は現代美術に置き換えられる)

    「絵画と言語は我々に無限な意味を与えることのできる二つの型式である。絵画は意味を持ち、なにかを語る。しかし絵画の意味を限定することも、語り尽くすことも出来ない。
     それは絵画の「語り」と「意味」が言語とは別の次元に存在し、絵画の伝える「思考」が論理空間には存在しないものだからである。絵画は意味を持つが我々はそれを思考出来ない。」(「ウィトゲンシュタインはこう考えた」鬼界彰夫著 講談社現代新書より)

    そんなんだよなぁ、思考できないのだ。だから面白いしこれからはもっと可能性もあると思うのだが、、、

    (写真はギャラリーQでの個展風景。1985年)
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    野菜が高い
    べじたぶるショッ〜ク!

    野菜大好き人間にとって、かなりの大ピーンチ!

    温暖化と言って今年の冬は寒い。地球的には氷河期に向かっているとのこと。

    ニンジン1本1ユーロ?!じゃがいも一個1ユーロ?!トマトにいたっては一個2ユーロだと?!

    これがパリだったら暴動だぁ。日本にいる野菜好きの西欧人は大変だ。

    ヨーロッパは食材が安い。野菜類は家畜並みに食える。八百屋の単位はキロだ。1個売りなど観光客目当てのリンゴやバナナくらいだ。チコリ、カリフラワー、ウイキョウ(フェンネル)やハーブ野菜のたぐいとかメチャ安い。じゃがいもだって味が違う。見てくれは悪いが味が濃くてまろやかでとにかく美味しい。一昨年、パリのスーパーで身のしっかりしたチコリ12本が2ユーロくらいで売っててビックリたまげた記憶がある。

    そんな野菜の調理方法はと言えば、根菜類は茹でることが多い。たまにガスグリルで部屋内BBQとかする。根菜系は歯触りがいいよね。だから茹ですぎはNG。ちょっとシンが残っているような固めがいい。そうそうレンコンもいい歯触りだ。シャキシャキっ!

    俺の前世はウサギかも知れない。数年前、大腸内視鏡を受診したら、先生が「あおひと君の腸って長いですね〜、こんなに長いの珍しいですよ〜」ってチューブをつっこみながら驚いていた。(俺は、はたして人間なのだろうか?!もしかしてV?第五部隊?)

    そういえばイタリアでは空豆をナマで食べる。ファーベというローマ地方ではポピュラーな食材でもちろん料理にも使うが、レストランのデザートメニューにもある。注文するとミカンみたいに鞘付き空豆が皿にのってでてくる。

    ナマ空豆の味はアオ臭さが強く、カリカリ梅のように固く、空豆の香りが遅れて口の中に広がる。やっぱり空豆も軽く茹でた方が美味しいと思う。

    葉物はナマだよね。ナマ!その点でブロッコリーが微妙な立ち位置にいる。緑のつぼみの部分はナマでもいいが茎は固い。火を通すと甘みが出るので、サクッと茹でた方が旨いかもしれない。

    ルッコラや白アスパラ、アーティチョーク(朝鮮アザミ)、インゲンマメ、パクチー、フリルレタス、カリフラワー、エンダイブ、セロリ、エシャロットなども好きだけど日本じゃ高すぎるので手がでない。

    野菜の中でナスはそういえば最近、食べたいと思わない。キノコ類ではマッシュルームのナマ。日本といえばミョウガやシシトウ、タケノコもいいよね。

    味付けはいたってシンプル。塩でOK。オリーブ油とバルサミコがあればベター。でもたまに醤油でもいける。焼き野菜に醤油はあう。

    そんな野菜を愛する、か弱い庶民を襲う消費税10%が信憑性を持ち始めている!!

    よくマスコミで喩えにだされる諸外国との比較。しかし日本のように自動車や燃料、酒、タバコとありとあらゆる物品税がかかり所得税や地方税、さらに健康保険、年金など含めたら個人負担は世界上位の高負担国家だ。

    しかし先日、世論調査で増税賛成が50%前後とか、わけのわからない数字をネットで見つけた。本当に日本国民の2人に一人が増税賛成なのか?30%だとしても3人に一人が増税OKになる。ぜいぜい最大でも5人に一人(20%)くらいではないだろうか?

    さらにヨーロッパは、公立大学などの教育費、生活必需品の消費税減免、老後保障、医療費など基本的に無料だ。つまり高い税金を払っていても国からの見返りもそこそこ信頼されているので、それなりに彼らは納得できるようだ(もちろん不満はあると思うが)。

    あの大負債国家アメリカさえ住んでいる人たちから聞くと、ベーシックインカムはあるし8ヶ月(州によって違うのだろうが)住めば公立大学はタダだしアメリカでの数ヶ月の納税証明さえあれば日本人でも引退後はちゃんと年金は支給されると、支給されている人から聞いた。ところが日本人サラリーマンが転勤などでNYで働いていても、その制度を知らない人が多いらしい。

    社会システム、政策など目先の課題の熟議検討もいいけど、今一度個々人、人間とは?生きるとはどういうことか?どうあるべきか?などヘヴィでウザったいかもしれないテーマで少しは真剣に考えないとどんどん流されそうだ。

    先回、超個体のことを書いたけど、人間も101匹目の猿じゃないがシンクロニシティ的に、なにをなすべきか、何をすればいいのか、と波動や微弱電波によって共鳴しあい超個体としての仕事がインプットされているとは思う。しかしこれだけ人工電波が飛び交っているとそんな重要な共鳴共感も妨害されてしまうのだ!!!!

    いい悪いは横に置いといて、宗教って必要な規準なのだ、とつくづく思うが、これだけ科学、思想、社会基盤が変化し人口も増えた現在、かつての宗教では成り立たなくなってきていることも感じる今日この頃です。
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    超個体
    超個体。

    有名なのはアリのコロニーだ。アリは1億2000千万年ほど前、スズメバチから分化したと言う。地球上に生息するアリの総重量が人間の総重量に匹敵するとも言われている。大きさは違うが、生態や顔かたちや毒があったりスズメバチもアリも似ている。スズメバチは遺伝子的にはミツバチなんかよりもアリの方に近いそうだ。

    コロニーの世界は人間社会並みだ。エサ探し担当、警備担当、運搬担当、兵隊、衛生係、養育係など厳密に分業化されている。稀にパラポネラみたいに一匹狼なアリもいるらしいが。

    ところで超個体とは一匹一匹が細胞のように機能しコロニー全体が一匹の生物のごとくふるまう生態をいう。どれか担当ひとつでも欠けたらコロニー全体が機能不全におちいる。

    そんな中でも南米に生息するハキリアリの習性は目を見張る。ある植物の葉を足を伸ばして実測し、体の2倍くらいに切り採って巣まで運ぶ。巣の中には運んできた葉を貯蔵する部屋がたくさん作ってあり、なんとハキリアリはその切り取った葉を食べるのではなく、彼らのごちそうになる菌を培養するための肥料にするのだ。なんと彼らは農業を営んでいる。

    グンタイアリは昔、黒い絨毯という映画でも有名になったどう猛なアリだが土の中に営巣せず、何万、何十万というアリが集まりお互い手に手を取り合って蜂の巣のような形に変身してしまう。その中で女王アリはせっせと子孫を増やす。

    ところで研究者たちによるとアリはお互い個体同志だとは認識できないそうだ。また誰に指示命令されているわけでもなく各自、自発的に行動しているらしく大きなコロニーを作るための指揮系統はないようなのだ。それでもちゃんと生まれたら生まれ持ったお仕事に邁進するから大自然の驚異。

    ところで人も腸内にいるバクテリア群に助けられたりしているので、超個体だ、という学者もいるし、ガイア理論は地球がひとつの超個体生物という説である。そしたら国もある意味、超個体みたいだ。国民一人だけでは生きていけないし、数々の恩恵は相互の協力関係から生産され個人に分配され恩恵が行き渡ることによって成り立っている。

    でもそれが崩れはじめている。それも急に・・・。

    自分の友人知人のほとんどは新聞、テレビなどマスメディアを信用していない。思っていたより、不信感を抱く人が多いのに驚くくらいだ。でも自分のように変わった価値観をもっている変人ではなく、一般的なまじめな社会人たちである。

    新聞を止めてすでに4年以上たつ。でもいまだに販売店から営業の電話がはいる。かれらに大手新聞の偏向報道などいくら文句を言ったところでお門違い。むしろ販売店さんも呉越同舟。商材が悪ければ小売店がいくらがんばっても無理な話。

    テレビも地デジ移行と共に止める。すると最初はテレビ依存後遺症で少し困ったが慣れればスッキリ。その分、読書に時間を費やせるようになったのでとてもリア充。たまにテレビを見る機会があると、その音の騒がしさにビックリ!こんなにもTV番組がうるさかったとは気づかなかった。

    すでにテレビも大手新聞も過渡期だ。日本もそのうちTPPに批准して、マスコミも餌食になって米国企業に不利益ということでISD条項適用、日テレがグーグルに、TBSはフェイスブック、フジがフォックス、テレ朝はアマゾンコムあたりに買収されてしまうのだ。NHKはせめてナショナルジオグラフィックに買い取って欲しい。

    またアメリカがホルムズ海峡にウンコ座りしながらたむろって、「ガンたれんてんじゃ、あふまでぃねじゃど〜!」とインネンをつけている。ヨーロッパも原油に対して経済制裁の意向。なにせオバマ氏再選のためには必須だろう。軍産複合体やら原油高、ドル高基調と経済復興に戦争は打ち出に小槌。かつ日本にとっては原油輸入減になればオイルショック=原発推進と再び舵が切られる。

    ほんと経済だけが個人の、国の、地球の生きる道じゃないだろうと思う今日この頃。そういえば天国に平和はない、という。戦争がないから平和もないそうだ。

    ※写真はギャラリーQでの個展作品(1985年)懐かしいね。
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