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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • 2012
    あけましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

    「新年あけまして」と新年をつけるのは文法上正しくないと知ったのはつい最近。

    明けるのは旧年だから、新年があけるのは可笑しい、というのが正しい理由だそうだ。

    自分の勉強不足なせいでもあるが、昔はそんなことを言われた覚えも学校で注意されたこともなかった。ネットが隆盛になって知ったような気がする。

    ところで昨年から先鋭なる批評家 東浩紀にハマッている。

    評論や批評家で話題になったり売れたりする人はだいたい文章がわかりやすい。それは内容のわかりやすさと言うよりも、話の筋立てがパズルがうまくハマッていくようなサクサクしたリズム感がある。

    東氏はポストモダンのパラダイムを軸に社会学、哲学、民俗学的嗅覚をもってオタク文化やゲーム、アニメなどに鍵穴を見つけ出し施錠をはずし、現在の日本人の精神構造や心理状態を解き明かそうとする。

    彼の評論から察するにパソコンやインターネット、ゲームなどでコミュニケーションの方法が変わり無意識ながらも人間社会の価値観の変化を浮き彫りにしようと試みる。

    今年も引き続き、彼らの論説も参考にしながらリアリズムの正体を探し求めていきたい。

    なぜならリアリズムこそが表現の基礎だと思っているからだ。リアリズムをどう捉えているのか、現在のリアリズムは、宇宙ステーションが回転しながら重力を作るように、現在の社会は何をリアリズムの基軸にして回っているのか?!

    プラトンが詩(ポエム)と哲学を分離し、哲学は人類の真実を探求する学問として現在に続いているという。

    最初は神が中心にあり人間は人間だと認識していなかった、神の子だったのだ。神を中心に回っていた。それがルネッサンス頃から人間に軸に変わって来た。そして、この世には絶対真理があると信じられていたのが、それは各人の認識の問題に転回した。つまり自分はそれをどう思うか、に重点がおかれるようになる。

    それから現在に至るまで言語、認識、コミュニケーションとつねに中心が移ってきている。

    例えば、過去の美術作品を追って見てみるとよくわかる。最初はモチーフは神を中心にしていたのが、ルネッサンスが始まると、ジョットが人間を物語に登場させ、あっという間に権力者の肖像画が雨後の竹の子のごとく現れる。

    目に映るままに描くことがリアリズムだったのが印象派から個人が受け取るままが真実(リアリズム)だ、とのことで近代絵画の発展につながっていく。

    後期印象派、フォービズム、キュービズム、ダダ、ネオダダ、コンセプチュアル、ポップなどなど。こういう様式の変遷は哲学のシーケンスとは同時進行で進む。

    今ではボードリヤールの提言したシミュラークルな世界が疑問もなく受け入れられているのだ。マンガ、アニメなどの空想の世界、かつてのシューレアリズムだった世界が実世界にまでなった。オリジナルの存在しないコピーのオリジナリティ。

    お気に入りのタイプの女の子に惚れることより、猫耳やフリルに萌える、そこに感情のスイッチが集約される世界観。そして自分の好きなパーツをネットで集めて組み直して自分のオリジナルに仕立て上げて愛でむリア充。

    高田典明がそれをコミュニケーション的転回といい新しい切り口を指し示す。

    例えば現代美術系ギャラリーや展覧会がエマージェントアートとかダーティリアリズムと言うような個人の心象風景やかわいいキャラクターの作品であふれることになる。つまり自分がカワイイという感情を、不特定多数のみんなに判断をゆだねる快感=リアリズムがギャラリーにあふれているのだ。

    それとデータベース化という言葉もよく聞くが、アーティストはある意味、萌えるパーツのデータベース作りに励んでいる、それがアートだ、とも聞こえてきそうだ。

    ここでいうコミュニケーションとは相互理解のキャッチボールではなくてコミュニケーションをとってもらう相手本意の世界観がリアリズムの軸になってきている、という意味らしい。

    しかしそういう世界観も変わって来ている。リアリズムはプレートテクトニクスのように静かに移行している。

    その動きはあまりにも緩慢だから時計の分針のごとくよく見えない、認識出来ない。富士山の裾野におりて初めて全望できるのに似ている。
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    2011年が終わる〜
    2011年が終わる〜!

    震災および福一で被災された皆様にはあらためて心よりお見舞い申し上げます。

    正直言って今年は原発は言わずもがな311のトラウマに悩まされ続けた一年だった。

    来年2012年は少しはマシになってと心底、願う!

    でもスウェーデンでの個展では北欧の空気、アートな環境、人々の温かさなど、あらためて接することが出来、とてもいい経験ができた。

    来年秋には3年前にグループ展で呼んでくれたブダペストのオペラギャラリーで個展予定。それとセルビアとの国際交流展が決まっている。他にも壁画制作、企画中プロジェクトも多数あるので、どうなるか楽しみだ。

    とにかく座右の銘ではないが、我が道を信じていけば、自ずと道は開ける!しかしそうは言っても、相変わらず生活苦は続いているから、来年は何とかしないと!!!!

    ところで、最近、言葉の意味とか言葉の機能性とかコミュニケーションの不調和というのか言葉の一人歩き的な雰囲気が気になって仕方ない。

    それはインターネットという新しいコミュニケーション手段に起因することは明白だ。

    たぶん1990年頃だっただろうか、ウエッブをやり始めて受けたショックがいまだ鮮明に脳裏に浮かぶ。

    他人の日記が読める?!すごいショックを受けた。なんかとっても新鮮な気持ちだった。

    それが今ではパブリックがすべて個人の日記みたいになってしまって驚いている。天地無用な法則がひっくり返ってしまった。そういう自分も日記みたいな私的感想をブログで披露しているのだから。

    リチャード・ローティというアメリカの哲学者が、人間の文化は物語なしには成り立たない、と言う。

    というと東浩紀は、ポストモダンとはもはや大きな物語が価値喪失した時代である、と言う。

    ネットのブログでもスレッドでもコメントでも議論を期待しながら、それが成り立たないこともうすうす感じている。それでも発信者は満足なのだ。(自分のことか?!)

    コミュニケーションとは相互理解みたいな理想を宿しているけど、もはや相互理解といいながら、各人の発する言葉の意味や説明が、おのおの一致していないこともわかってきた。

    それも大きな物語の喪失が関係しているのだろう。

    チャットを経験した人なら如実に感じるはずだ。チャットは話している疑似体験みたいな状況だから、相手の言葉に振り回される。文章を読むのとは違って、生々しく言葉に感情移入しやすい。すると相手の言葉の真意を読むことがとても難しくなるのだ。

    だから齟齬が生じたら文字を打ち込むことが面倒になって思考も追いつかなくなって、後ろめたさを保ちながら無視するか、ラインを切るしかない。

    チャットに限らずポストモダンなコミュニケーションはそんな状況ではないだろうか?

    言葉の地位喪失と機能性の欠如、つまり言葉を処理するスピードが押し寄せてくる情報量に間に合わない、コミュニケーションの進度に追いつかない。

    飛躍するけど、だから現代美術に人が集まりだしているのではないだろうか?

    80年代、自分が発表をし始めた頃は、現代美術なんて新興宗教家みたいに胡散臭くて(今でも変わらないけど)、観客なんてほんとうに少なかった。まして作品が売れるなんて驚天動地。

    ここでちょっと話がずれるけど今の心情によると、新興宗教かみたいに胡散臭い、とすんなり表現できない自分がいるのだ。これは昔ではあり得なかった。

    つまり新興宗教といっても、胡散臭くないのもあるかもしれない、という疑問や反論も予想してしまう。一応、ブログで不特定多数に公開する以上、言い訳(エクスキューズ)も考えてしまう思考回路になっているのだ。

    これがネット社会に組み込まれてしまった自分、洗脳されたのかはわからないが、絶対的価値観の喪失につながっている。またこれを断言できないあいまいな自分もいるデフレスパイラル。

    で、、、、話がずれたけど、昔は一人考え事をしたり、静かにアートを鑑賞したいときなど、近代美術館や都美館の企画展示を見に行けば、大きな部屋でのんびり過ごすことが出来た。

    ところが今ではありえない。ちょっと大きな展覧会に行けば普通の日のみんなが一生懸命、働いているときでもかなりの人盛りだし、銀座のはずれのギャラリーに行っても少しいれば誰かがやってくる。それに併せて作品も売れるようになったことは実に驚きだし、それはそれでとってもうれしい。

    観客動員数だけで見れば、日本は世界一だそうだ。ただしササビーなど公になっている現代美術の販売総額は韓国やトルコよりも低い。

    とにかく人間は何かにすがりたいし、存在の意味を知りたがるのだ。よく鏡という表現を使うけど常に自分を映す鏡がないとちゃんと立っていられない。それが社会性で生きてきた人類という生物なのだろう。

    特に現在ではポストモダンな絶対的価値観がなくなった以上、自分でそれを作り出すしかないのだ。

    現代美術はそんな不可視な世界を読み取り、少しはこんがらがった現実を整理して安心させてあげる役目はあると信じている。

    常に行き詰まってはいる現実だろうけど、こんな行き詰まった世界に少しでも希望を見いだす道筋を示す、仕事だとも思っている。

    ここでローティの言う物語に戻ると、大きな物語ではなくて、あいまいさが全体を包んでいるほんわかした真実。これからはそんなふうに思想に物語を使わないと、ガチガチに見えないルールに縛られた現状を、するりと抜けて逃げられないということと理解している。

    空気感で感覚的に総合判断するコミュニケーション社会。言葉による意思疎通は角がたって疲れて仕方ないし処理する情報量が増えすぎた。

    空気が読めない、と以前、流行ったけど、それが現実なんだろう、言葉だけではリズムが遅すぎて間ぬけ、ということなのだろう。

    というような分析や解説でしたり顔の自分、分析や解説などで納得することにオーガズムを得る年代?もしくはそういう種類の人間はもはや過去の行動形式人種なんだとも思う。

    それは大きな物語が存在していた西洋哲学の影響のもと、文化人なり知識人なりの真理の探究者が人間の発展に寄与するのだ、という優越感を盲信しそれに感化され、自己満足しているに過ぎないのかもしれない。

    現在の我々(人類)もしくは社会はもっと違う切り口、無数の小さな物語で進んでいる。今の時代はそれぞれの小さな物語集団が独自に成り立っている。人口が多いのでその小さな物語サークル内だけでも十分、自立できるのだ。だからあえて、各々が友好関係を築くように接近したり情報交換するように外交的である必要もない。

    その結果、マスコミからドカ〜ンっと新しい文化が生まれることもなくなった。ある意味健全なのかも知れない。
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    意味の意味が変わってくる
    都心の空が騒がしい。

    ヤフーニュースで金正日総書記死去とのスレッド。

    時代は変わっていく。

    ほんと変わった気がする。

    景色も人間も。

    過去をいくらうらやましがっても戻ってこない。

    これから起こることに希望を見いだすしかないけど、、、

    フラッシュフォワードというTVドラマが面白い。

    ある時、全世界の人間が2分17秒、失神しその間、半年後の自分の未来を夢見る。
    その夢が未来視なのだ。FBIが中心となってその事件の真相を負っていくサスペンス・ドラマ。

    民放でもやってたようで、竹内結子も出演。日本企業の資金もずいぶんあったのでしょうが、残念ながら不評で中途終了。

    またロストのスタッフたちの制作だということで、ロストの役者も出演。有名ミュージシャンのチャーリー役ドミニク・モナハンも登場。

    なんと彼はロストでケイト役だったエヴァンジェリン・リリーと結婚していた!

    話は飛んだが、半年後の未来がよかった人、悪かった人、夢など見なかった人などそれぞれの未来視に振り回されることになる。

    もし今、同じようなことが自分に起こって半年後の自分を見れるとしたら?!

    やっぱり未来は知らない方が希望がもてる気がする(笑)

    未来に限らず、知らない方がいいと思うことはけっこう回りに多い。

    大塚英志と東浩紀の対談集「リアルのゆくえ」の冒頭でいきなり大塚氏が「パブリックであろうとすると引きこもらざるを得ない」と言う。それは人間弱いから回りに影響されて批評などに差し支えるというありきたりの理由なのだが。

    東氏は一環して、現在社会は複雑すぎ過剰情報化であって議論とか結論とか民主主義の言うところの熟議してコンセンサスを得るなんて不可能である、と言い切っている。

    「一般意志2・0」で言うところ、もう話し合いは成り立たない。人間、おのおのの欲望がぶつかり合って発するスパークに照らされて社会は変化していく、みたいな一瞬、ロマンチックな光景が思い浮かぶようなことを説いている。

    まさに今の政治がその混乱を端的に示している。議論したくたってあれじゃ、出来ないだろ。

    案件が多すぎ、情報も多すぎ、国民の賛否、意見も大杉蓮。そのくせ時間がない。

    輪をかけてマスコミが機能不全、ヤフーのトピックスでもニュースの無意味さを痛感させられる。

    キムジョンイル氏死亡は驚いたけど今日ヤフーのトッピクスに出ていた、ファンにはわるいけど、杉本彩が急性虫垂炎になったことがどんだけ必要なニュースなのか?

    というようにもう情報が氾濫し取捨選択など間に合わない。なのでグーグルもヤフーも情報選択、収縮機能が付加価値なのだけど、権力的になってしまった。

    フェイスブックも映画の影響か、あっという間に日本でも人気snsになった。

    ところでまた自分は友だち申請で禁止ペナルティをくらう。今度は一週間だと。

    なんか法を犯したわけじゃないのに嫌〜な感じ。一企業のルールを逸脱したのかもしれないが、なんかすごく権力を感じる。

    いまじゃ市場が生活ルールを作って縛っている。それを犯すと生活に支障をきたすのだ。

    友だちに面と向かって意見言われたわけでもないし、弁解とかできるわけでもない。バーチャル・コミュニケーションの見えない、実在しないかもしれない管理者(アナグラム)から叱責されたのだ。

    なんだこの世界?!

    ところでネットのブログやコメントを読むと、みんなよく勉強しているし知識も豊富だし作文も旨い。どれも賛否両論、どれも正論、もっともだと思ってしまう。

    でもだからってそれを全部、賛成意見として取り上げても、各自が唱えるように理想的には絶対、ならない。意見の総意は成り立たない。(東氏は一般意志を総意ではなくてベクトルのある最大公約数と定義していた)

    でも人間は先にしか進めない。時間は繰り返さない。

    この混沌とした複雑奇々怪々な世界にあふれる情報というインビジブルで質量を持たないけどジワジワと精神をむしばむ、ある意味、放射能のような特性を持った意識の対象物(情報)と折り合いをつけて行かなくてはならない。

    と、なぜここで折り合いを付けなくてはいけないのか? とその意味がわからないのが今の考え方らしい。

    データベースという言葉が頻繁に登場するけど、例えば1958年生まれの大塚英志氏と1971年生まれの東浩紀氏の対談だと、なににつけ意味をつけたがる、納得したがる大塚氏と、意味はあまり意識していない、もしくは意味の価値があいまいな東氏。

    データベース化された現在では、意味はあまり意味がないのだ。昔のような意味に隠されたロマンはすでにない。

    安保闘争やら万博やら、意味から導き出される理念なり理想なり意味の解が絶対だった価値観はすでにない。データベースによって数量化される結果だけが意味であって形骸的な中味のない表層が彼らの「意味」なのだ。

    少しややこしいが意味の意味が変わってきていることだけは確かだ。

    それは東氏の言うシミュラークル(ボードリヤールの提唱した概念。オリジナルの存在しないコピー)が実在になっている現在を顧みれば自然な感覚なのだろう。

    たぶん現実世界という、この肉体的世界と精神(想像)世界もしくはシュミレーション世界の比率が脳機能の中で逼迫してきたのかも知れない。それだけ情報量が多くなったのだ。

    速く走るのを車や飛行機が代行しているように記憶マスの機能拡張としてコンピュータが代行するようになった。まあ、大上段にこんなことを、今さら発見しました!みたいに偉そうには書けないけど、とにかく意味の次はリアルという問題だ。

    リアル(現実)って何?っていうことで「新しいリアル」という言葉はもう古いけど、現実の解釈の仕方もずいぶん変化した。

    911はリアルなんだが、リアルではないかもしれない。

    それは個人的に解決出来る問題になったのだ。昔はリアルはすでに決まっていた。現在は、リアルは自分で勝手に決められるのだ。

    自分が本物だと思ったら本物になるのだ。それはさっき言ったシミュラークルに関係するのだろう。本物がないのだから自分で本物は決められるのだ。

    なんか街を歩いていてもコンビニで買い物をしてもみな同じ日本人だと、思ってしまうがけっこう中味は違うのかも知れない。

    そういえば昔、好きだったスペースもの「V」がリメイクされ再登場。とかげの宇宙人の話で面白かった。あれも外見は人間だったけど中身は宇宙人だった。

    もしかしたら肉体的な宇宙と精神的な宇宙はダークマターみたいに実在しているのかもしれないなぁ。

    それはゴーストや霊と言うもの。でもこれは実在する生物でもあるのだよ。そんな考え方。

    すると今までのようなアメリカ人とか東京生まれとか、DNA鑑定とかで決めていたその人本人はもうひとつの区分けがあって、霊の所属、それがどこか別の次元で分けるのか精神(エネルギー)の種類でわけるのかは、いろいろ考えられるけど、自分は一人じゃないのね〜♪ 

    日本人であり○○次元人でもある、なんてことが現実になったら面白いのになぁ。

    何?! コイかよ〜!!!!

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    戦争より宇宙
    最近、バタバタしててブログを書けなかった。

    それにいいネタは築地にいっても簡単に入荷しない。

    不平不満、それ違うだろ!みたいなネタは1分おきにあるけどね(笑)

    そう言えば12月8日、ジョンレノンの命日であり(合掌)、パールハーバー奇襲攻撃にて第二次大戦の火ぶたが切って落とされた日だ。

    悲惨だよ、戦争は。

    憎しみから?愛国心から?生活苦から?何にしたって理由がどうであれ、戦争は止めてもらいたい。

    NHK特集のアーカイブに当時のニュース映像をまとめたものがあるけど、子供から老人まで鬼畜米英と竹槍の突撃訓練してたり、軍需工場で作業に一心に打ち込んでいたり。

    日本の暗号はすべて解読されていて、一部幹部からは疑問が出てても、変えようとしないし、全滅したって鋭意の転進と報道し、マスコミも軍の広報部隊に徹して、その伝統は今でも続いている。

    ミッドウェー海戦、山本五十六大将の行動情報、すべて筒抜け。

    今じゃ、日本はアメリカ連合国側に戦争を仕向けられたことは明白な事実。最後の最後まで日本は譲歩案を出していたけど結局、ハル国務大臣が受け付けなかった。靖国神社のユウシュウ館に行くとその辺の史実がパネルで説明してある。なんか以前、アメリカはその展示にまでもチャチャ入れたそうだ。

    今年も大変な年でした。311はまだトラウマになっている。福島第一原発だってまだ終わったわけではない。

    ところで、911の同時多発テロがあってから、米国政府のセキュリティチームが日本政府にテロ対策協議に来た際、原発の警備について手薄すぎると指摘したそうだ。

    銃で武装した警備要員を配置するべきだと言ったら「いなくても大丈夫です。日本は銃の所持は法律違反になるからです」と答えたそうです。

    思わずホワイトハウスのスタッフは気の利いたジョークと勘違いしそうになったらしい。

    いい国なんだよなぁ、日本って。がんばらない、ニッポン!

    在中国日本大使館内に逃げ込んできた亡命者でも中国兵を入れて引き渡しちゃうし、あげくのはてに、おそらく親切心なのか、若い兵隊さんの帽子まで拾ってあげて。

    岸田秀氏が、アメリカは不安ではなくて恐怖対象にしないといけない、と述べていた。

    つまり不安は原因が不明だから、なる。

    恐怖は、その対象が明確だから抱く感情、と言い、アメリカはとてつもない軍備だから、それに対して恐怖心で対応すれば外交で打開策はある、と言いたかったらしい。

    だってニミッツ級原子力空母ってスゴイよ!実際、見学したわけじゃないけど、ドキュメンタリーで見る限りスゴすぎる。5〜6000人乗船し10万トン弱、全長300m以上。それが6〜7艘もいるし、原潜だってスゴイ。25年間、もぐりっぱなしで行動出来るって言うんだから。

    だいたい軍事衛星から地上30cmくらいまでならわかっちゃうし、通信やネットは全部傍受され赤外線メガネやら使ったら正直、どこにも逃げられないよね。現に三沢基地のレーダーで政府関連の機密情報は傍受されているって石原慎太郎が言ったね。

    平和になったらそれだけの兵器や軍事力どうするんだろ?!宝の持ち腐れジャン。

    だから手を変え品を変え、いろんな国に戦争しようよ〜って言ってるんだ。

    やっぱりこれからは宇宙だね。とりあえず20万ドルで宇宙旅行日帰りは実現している。すでに市民でスペースシャトル経験者はいるからね。

    バージンエアのブランソンらが今、スペーストラベル事業を進めている。立派なスペースエアポートもアメリカのニューメキシコに出来る。すでに5万人近い予約で埋まっているそうだ。

    あと5年もすればとりあえず衛星軌道までならもっと安く旅行気分で行けそうだ。

    エクスペディアやエッチアイエスなんかで予約出来たりして。

    それとチリのパラナル天文台近くに直径42メートルくらいの反射望遠鏡の計画がすすんでいて解像度はハッブル宇宙望遠鏡よりスゴいらしい。

    それでビッグバンの時の光を捉えようなんて言う計画もあるから壮大で楽しいなぁ。

    フォックスTVでテラノヴァという新しいドラマが始まった。総指揮がスピエルバーグで24のジョン・カサーとか豪華スタッフ陣でTVドラマだというから、ハリウッド映画も衰退しはじめているんだろう。


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    アートは洗脳だ!イグジット・スルー・ザ・ギフト・ショップを観て
    このところアート系ブログがご無沙汰ですた。

    ちまたではTPPやらOWSやら世相が混乱の様相を呈していたから、自分も引き込まれてしまった。

    あれほどうるさかったTPPは急に息を潜め、大阪ダブル選挙で相変わらずマスコミ操作が行われ、結果、逆効果になって民意はもう騙されないぞ!的な印象を世に知らしめて幕を閉じた。東国原の裸踊りには笑ったけど。

    ネットでは毎日のようにマスメディアの偏向ぶりが指摘され、信憑性はともかく、なるほどと思わせるような情報操作も明らかになっている。

    もはや政治の世界ではマスコミの力も信頼も底に落ちているようだが、アートの世界ではまだまだその力は大きいらしい。

    IPTVで「イグジット・スルー・ザ・ギフト・ショップ(Exit through the gift shop)」を見た。

    バンクシー監督のドキュメンタリー映画で日本でも最近まで上映されていたからご存知のかたも多いかと思う。

    映画の公式サイトhttp://www.uplink.co.jp/exitthrough/

    バンクシーはグラフィティ・アーティストから今やオークションで数千万円単位で作品が落札するほどになったスーパースター。

    グラフィティ・アートとは80年代にキース・ヘリングやバスキア、フーチャー2000などニューヨークなど大都市の壁の落書きから起こったスタイルだけど、20年ほどたってアーティストが変わってメインストリームに再登場。

    やっていることは同じなのだが、ヘリングやバスキアの頃より、キャラっぽかったりメッセージ色が少し強いくらいだろうか?

    日本はただの落書き=犯罪で終わってしまうが、欧米ではそれが巨万の富になってしまうから、落書きの錬金術師(アルケミスト)だ。

    いまだにキース・ヘリングやバスキアはオークションでもトップクラスで数億円する作品も多い。

    それはただの落書きだったのだよ。

    と言っても自分は二人の作品は大好きです。本物の作品を前にするとわかるけど、放たれるエナジーがスゴイ!

    そう思うとあちらの国は見る目があるというか、価値がわかる人が多いのだ。つまり犯罪でもある落書きだろうが、かしこまったサロンのビロードの壁のバラの花の絵だろうが、いいものとそうでないもの、の違いを見極めるその鑑識眼と公平さは素晴らしい。

    話は映画にもどるけど、主人公はティエリー・グエッタというフランス人でロスに移住、古着屋である程度成功しているおじさん。

    なぜか彼は子供の頃のトラウマからか、ムービーおたく。それも尋常ではなくほとんどクレイジー。ビデオカメラを常に持ち歩き、なんでも写す。でもそれを後で見たりは一切しない。ただ撮るだけ。

    ある時、いとこでもあるグラフィティ・アーティストのスペース・インベーダーからその世界を知り、記録し始める。毎晩、町に繰り出し彼らの違法行為をテープに記録する。

    だんだん、アートの世界にのめり込みバンクシーを知るに至り心酔。彼の言うがままになっていく。挙げ句の果てに自分が今度はグラフィティ・アーティストのまねごとを始めるのだ。

    そのとき、バンクシーが一言、作品を発表してみれば?!

    さあ、大変!なんと自分の古着屋を売り払い、その資金すべてを自分の個展に注ぎ込む。ハリウッドの映画スタジオのスペースを借りバンクシーに影響されたようなアート遊園地みたいな展覧会を企画する。

    でも、彼は今まで一度も発表をしたこともなく、作品だって描いたこともなくお金でデザイナーや職人を雇って作らせる。最後にちょこちょこっと自分の手で絵の具をたらしたり、投げつけてオリジナルにするだけ。

    彼は「アートとは洗脳だ!」と名セリフを吐く。それで彼は自分をMBWと名乗る。ミスター・ブレイン・ウォッシュだ。

    でもそれは、仲良くなったOBEY(従え・服従)という文字とイラストを街中に描くシェパード・フェアリーというアーティストのコンセプトでもあるし、グラフィティ・アーティストたちの共通した方法論でもあるのだ。(ちなみにシェパードはオバマのポスターで一躍世界的に有名になった)

    それをティエリーは自家薬籠中の物のようにパクったとも言える。そして自己資金すべてを投じた展覧会は近づくが、骨折事故もあったり、うまくいくメドはまったく立たない。

    それで彼はバンクシーやシェパードに助けを求める。彼らはティエリーのその映像に対する情熱と実直さにほだされて、宣伝したり推薦文や有力な人材を紹介したりした。

    MBWは一世一代の賭に出たのだ。何の経験もなく学歴もなく今まで接してきたアーティストの見よう見まねで作らせた作品で自分の展覧会をオープンするのだ。

    そのタイトルも「Life is beautiful」。なんの面白みもメッセージ性もない昔の映画の題名みたいな陳腐さ。

    どう見たってアートじゃないだろうし、見てくれはよくないただのオヤジの誇大妄想展だ。

    しかし世の中はわからないね、大成功しちゃうのだ!!!

    それはロスで一番力のあるマスコミがトップでとりあげたからだ。それもバンクシーの推薦文が呼び水になった。

    もうオープン前から長蛇の列で最初3日間だけの開催予定が、なんと二ヶ月にも渡ったという。そして作品やらグッズの売り上げが100万ドル!当時のレートでいけば一億円を超えたのだ。

    ティエリーことMBWは一躍スターになってしまった。マドンナのセレブレーション・アルバムジャケットにも作品?が使われるまでに。

    さて、彼の成功を導いたと言っても過言のないバンクシーやシェパード、いとこのスペースインベーダーたちの反応はと言うと、もちろん苦虫をつぶしたような顔でため息をつく。

    そりゃそうだ、自分たちは10年以上も警察から逃げながら崇高なメッセージと共に自分のアートへの挑戦の日々で築き上げた世界だ。それが半年くらいで絵も描いたこともなく物まねと彼らの助けで自分たちより成功しちゃったら誰だって頭に来るよね。

    さて、自分はこういう現象をどう思うか?!

    否定はしない。なぜならアートのひとつの役割は今までにない世界(思想)、手法、視覚表現を提示することだと思うから。

    もちろん同じようなことをしている人は過去にもいたと思うが、彼らとの違いがどこにあるかというと、それは認知度だ。

    つまりそれを知っている人の数。MBWもマスコミに扱われて成功した。逆に考えるとマスコミに知られる方法を模索するのがアートか?となってしまう。作品の良し悪しはまさに彼の言う洗脳でどうにでもなるということだ。

    もちろんこういう世界に興味もなく、世俗的成功なんて無縁で自分の想いやビジョンや使命感で生きている人はたくさんいると思う。

    例えば先回のスウェーデンの個展で、見ず知らずの人たちが、この絵が好きだから、自分の親戚の子供に似ててプレゼントしたい、新築する家に似合いそうだから、といって額にも入っていない紙っぺらの作品を買っていってくれる。

    MBWの世界とはまったく逆にそういう風にアートが受け入れられてもいる。

    だから欧米はアーティストに限っていえば、うらやましい。日本も早くそういう状況になって欲しいと心から思う。

    あ〜あ、一円さまにすがるしかないかなぁ、、、。

    一円一円一円さま〜♪ 手のひらに一円さま、お芋はまだまだニ円さま、酒を飲んでも四円さま〜さまさま♪

    一円さま〜さまさま、五円をいただきどうぶつえん、九円中はどーもおせわになりました〜♪♪

    十円になったらどーしよう!(銅使用、さむっ)♪♪

    最後に一言。アート界ではティエリーのような手法はもう成り立たないってことは言えるのだ。結局、古今東西、いい作品は時間が決める、ということ。本物のアートはそのデビューの仕方はどうであれ、残る、ということです。

    さあ、めげずにがんばろう! 一円さま〜一円一円一円さまっ〜♪
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