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    • Contemporary Art 2.012展
      記事掲載
















  • ちでじ
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    地デジ普及率9割だそうだ。
    毎日、画面のあちこちにうるさいテロップで変えなきゃ見れなくなる、と言われりゃ何とかするだろう。別に見なくても犯罪じゃないし思ったほど自分の人生は変わらない。タバコと一緒で止めればいい。

    当アパートも地デジ対応アンテナにしたらしく急に地上波が見られなくなった。自分のTV受信機は見てくれは地デジ対応テレビっぽい新しいデザインだけど安かっただけのことはある。チューナーが内蔵されていなかった。

    いい機会だから地上波はもう見ないようにして有線TVだけにしようと思う。ナショナルジオグラフィックとFOXTVあたりを流しておけば、けっこう満足。

    タバコの値上げで禁煙しようと密かに企んでいたのにあっという間に挫折。最近、同様に日曜の将棋番組をみたいがために室内アンテナをググって安いのを購入してしまう。

    室内アンテナでは鮮明に映らなかった。仕方ない。しかし正月がネックだ。サッカー、ラグビー、マラソンなどスポーツ好きにとってテレビは大事なツールになる。

    おそらく我慢できずにチューナーを買ってしまうそうだ。でも地デジチューナーって地デジ電波になっていなくても使えるのかな?

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    東京リアル 1
    先週末、久々に六本木ミッドタウンのあたりを通った。

    金曜の夜、それも年末近い11月中旬にもかかわらず人の出は普段と変わらない。

    バブルの頃は11月に入ると週末の夜、明け方の4時頃まで空車は見つからなかった。どこもタクシー待ちの客で繁華街は溢れかえっていた。

    お祭り好きの日本人、毎年のようにクリスマスオーナメントが瞬き、あちこちから流れてくるクリスマスソング、それに浮かれるご機嫌な人たち。

    しかし今年の光景はひと味違う感じがする。

    静かだ〜。

    国会は相変わらず右往左往、揚げ足取りに重箱のスミの突きあい。これといった目新しい経済政策も対局を見据えた骨太の政策方針もたてられず、行政改革も米従外交も政権交代する前とほとんど変わらなくなった。

    昨年の総選挙は民意で政権交代がおこったはずだ。それが気がつけばマスコミの政治と金問題で引っかけ回され、これでもか、という執拗なペンの暴力に脅されつづけ真実が灰色の煙に隠され崖っぷちに我々国民は追いやられている。

    東京の街から活気は消え、ただただ戒厳令の夜のごとく静まりかえり、あのエネルギッシュだった不夜城がなくなりつつある。

    それはそれで健全なのかも知れない。エコ問題、資源の枯渇、今までの日本が異常だったのかも知れない。夜は静かに寝る時間なのだから。

    一歩下がって考えてみると、いまこの状況は過去と比べて、昨年と比べて悪い、違う、という判断、評価しかない。つまり右肩上がりで数字は増えていくということが理想的な答えにすぎない。それ以外は、悪いとでしか言い表せないのだ。

    でもよく考えればその価値基準もすり込まれたものなのだ。悪いのは”悪い”と思わされているにすぎない。悪いのではなく変化しているにすぎない、と考えられれば別に悪くない。

    まず、人類の目標やら希望やら理想的な最終的ビジョンが見えなくなった。というよりそのビジョンのコンセンサスがないままに来てしまった。今までは情報が遮断されお互い手の内を見られずに騙し合えてこられた。それが今では隠しきれなくなった。だから歯車のはずれた時計のごとくみなバラバラに回り始めてしまった。

    希望の見えない日本。こういうふうに感じるのは自分だけだろうか? 日本だけの問題ではない。ヨーロッパもアメリカも世界中、似たようなものだ。むしろまだマシなのかも知れない。

    ただ今まで第三国と言われていた発展途上国は少しはいいのだろう。資源もあれば乾いたタオルのように汗を一杯吸い込む活力もある。

    しかしすでに最盛期を通り越した列国と言われる欧米、日本はどうやってどういう方向に舵を切るか、がここ数年の大きな課題となるのだろう。

    私たちはこういう状況で希望を見いだせるような創造的な生き方を学んでいない。ダーウィンが言うように「変化に対応できる種」が一番強い。

    今は法と規則と情報でがんじがらめになり創造的な生き方で大きな舵取りをできるような広い道があまりない。すぐに側溝やら標識やら対向車やら歩行者に邪魔をされて身動きがとれなくなってしまう。

    でもこの変化をおもしろがって新しいビジネスチャンスだ、と捉えて目を輝かせているタフガイもいるに違いない。
    写真:トルコではどこでもタダのパン。美味しい。
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    希望に輝くアクセサリー!
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    イスタンブール残滓 2
    この2年間、海外に行くことが多くなった。

    2008年6月のチェコ・プラハを皮切りに10月にハンガリー・ブダペスト、2009年4月にはセルビア・ベオグラード、今年は7月にパリ、そして今月はトルコのイスタンブールだ。どこも公的な展覧会やパフォーマンスの発表だった。

    不思議なことだ。それまで自分が海外に行きたいから一生懸命に何年も交渉し営業やら売り込みをしていたわけでもなく偶然の度重なりが続いているだけなのだ。

    そもそも他の作家たちのように小さな頃から画家になりたいとか大きな夢を抱いて美大をでて現代美術の世界に入ったわけではない。

    気づいたら続けている。

    というより続けられている。

    あえて言うなら他にやれることやその才能、他にやりたいことがないから続けるしかない。

    普通、こんなに生産性もなくかなう可能性すらない夢にもならない妄想に取り憑かれ、若い頃からこの業界にどっぷりつかっているわけでも親や親戚のコネもなく、ただヨーロッパ留学中に受けた現代美術の魅力とショックから止められなくなってしまったのだ。

    話はいきなり変わるが最近、海外でいろいろ展覧会をみたりネットのサイトをみると具象絵画の隆盛がスゴイ。

    人物画が多いのだがみんなひと工夫、ふた工夫凝ったり技術的に素晴らしかったりする。

    人物画の次は景色や静物画だが絵の具をふんだんに使ったタブローがほとんどだ。

    色面構成や淡いカラーフィールドな絵画は遠目からもインパクトのある人物画に埋もれてしまう。

    この中からコンセプチャルアートから突如、わき起こったニューペインティングのような新たな潮流を作り出すブーム、イズム、価値観が生まれるのだろうか?

    ニューペインティングのときはリアルタイムでその変遷を体験した。もしかしたらすでにその新しいブームは世界のどこかで生まれているのではないだろうか?

    一度、美術界がその流れに方向転回したら、その後は早いと思う。

    大きな企画展が主要な大都市でいくつも開かれジャーナリズムは喧伝しハレな世界を演出するだろう。

    80年代、概念芸術、キネチックアート、抽象表現主義の延長などで画廊には難解すぎて客離れした白々しい空間だけが広がっていた。アーティストのためのアートとまで言われ現代美術は一般のクライアントは見向きもしなくなっていた。

    そのときイタリアからはトランスアバンギャルドが。東西ドイツからはノイエビルダーが。NYからはニューペイティングが颯爽と登場し今までの無味乾燥でオブジェ的、物質的に隔絶された作品群が豪華絢爛、虹が酒樽で発酵したように色を帯び、今までまったくといっていいほど見られなかった人物たちが画面の中で躍動し始めたのだ。

    今でもジュリアンシュナーベルの割れた皿が張りつくされ絵の具を描き殴ったようなベルリンの壁のような巨大なタブローを目にしたとき、自分の中で整理されない混沌とした自己嫌悪に戸惑った。

    それまでのハードエッジと題されたような人手を得ない工業生産品のような作品群とかけ離れすぎていルのだ。大きな絵を前にして、なぜ?しか疑問符がわいてこない自分がいる。今までのアート界とそこに繋がる一遍の糸くずのような些末な共通項も見つけられない。

    でもその困惑も解決するのにさほど時間は要さなかった。

    それまで難解すぎて美的な感傷がなさすぎた冷たい作品群が雪山のロッジに燃えさかる暖炉のように冷え切った体をほぐし、暖かく迎えいれたのだ。

    一気に世界はアートブームになり日本でもヘタウマと呼ばれ日本でも80年代に入ると画家やイラストレーターが俄然、脚光を浴びるようになる。

    湯村輝彦、日比野克彦、安西水丸、河村要助、田中紀之、大竹伸朗などなど。

    あれからすでに30年近く経とうとしている。

    その間、具象画の人気は続き、日本のアニメブームを巻き込んで巨大化しキャラ化し形骸化している。

    フィリップ・ターフェなどの幾何学的コンポジションブームやレイチェル・ホワイトリード、ダミアン・ハースト、ハーマン・ニーチェなどのストイックでシンボリックな作風の作家も人気を博している。

    しかし巷では色鮮やかな具象的人物像、いちばんストレートでわかりやすく直接的なテーマは、不景気の裏返し、つまり商業的リスクをとらない結果なのか、8割近い比率である。

    アートは作家の超個人的な欲望の蒸留されたエッセンスがあるキッカケで裏返って世界を包み込んでしまう。そのエッセンスの皮膜は透明であればあるほど薄ければ薄いほど気づかないうちに強力なパワーで世界を包み込んでしまう。

    アートは根が深い。時代の大きな鼓動、流れを読み取ってそれを無意識のうちにメッセージに託すことのできる才能がなくてはならないと思う。

    個人的感想だが、メッセージ性の強いものが残っていく気がした。

    というよりこれだけ技術的にもモチーフ的にも差のない作品群。この生き詰まっているコンテンポラリーアート業界で目立つには生き残るにはやっぱり人と同じことをやっていてはダメだ、とつくづく思うのだ。

    具体創始者メンバーの一人、島本昭三氏が言っていたが
    現代美術の伝統とは今までにない、今までとはまったく違った考え方、見せ方、アプローチの仕方を提示していくことが伝統だ、と、伝統を壊すことの繰り返しが現代美術の伝統だ、と言っていた。

    まさに言い得て妙だ。


    香辛料の山
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    イスタンブール残滓 1
    すっかりイスタンブールの怒濤の10日間もいい思い出になっちゃった〜。

    帰国しても厳しい現実は変わらない。

    次の個展は来年2月1日から。来年というがもう三ヶ月もない。

    ヤバイ。

    何もする気がない。

    今回の会場は現代美術を見せる、インスタレーションを見せるのはとてもいい空間になっている。

    場所も銀座プランタンの側だから地の利もよい。

    今回の発表ではインスタレーションで大きく見せられれば、と思う。

    さっそくニュースリリースつくってプロモーションしなくては。

    話は260度くらい変わるが、ここ数年国内外問わず、多くのアートフェア、国際展、ウエッブでの情報などを見てみると具象画な感じのナイーブ、フォーブ、シュールレアリズムな肖像画などが多い。

    たまに色面構成やアブストラクトなものもあるが7〜8割は具象っぽい人物画で占められている。

    この数年、80年代のコンセプショナルアートの最後の時のような閉塞感、過渡期のような焦燥感が漂っている。どこを見ても人物ばかり。カラフルでブラッシュストロークのスピード感。

    あの時はニューペインティングがでてきてあっという間にアートブームになった。

    現在はその逆で、あまりにも商業主義的なデフレスパイラルに陥った美術界がコンセプチュアルな質実剛健な作風を求めているような、新しいイズム、ムーブメントがおこれば一気に世界を席巻してしまう。そんな予兆を感じさせる。

    今のアート業界は過剰な中毒的偏執状況、エロとバイオレンスの見本市みたいな世界だ。

    つまりいかに目立つ絵か?どういう方法でもいいから人目を曳くか?にばかり専心している印象が作品から伝わってくる。

    中には面白い、がっしりとした重みを感じる作品もある。切れ味の鋭い、いい作品だ。

    でも滅多にない。ほとんどは技術ばかりが鼻につくメッセージを感じさせないコンクールなどの優秀作品ばかりだ。

    血の出るような反吐のでるような馬鹿にされたような、そんなあり得ない作品は出会えないし、あっという間に世界のメインステージに登っていくのだろう。

    そろそろ新しいムーブメントを世界のどこかで誰かが一攫千金を狙って仕込んでいることだろう。勝ち馬にのればこれほど儲かる業界もない。

    世界の大富豪たちもアートマイアミとかバーゼルとかでそういう作品を血なまこになって探していることだろう。


    写真はイスタンブールで大きなギャラリーや作品。壁に直接、タイトルやネームを書き入れているところがあり、新しい展示方法だと思う。

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    イスタンブール滞在記 9
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    長いようで短かったイスタンブール。

    初日の嵐に見舞われたときは一時はどうなるかと思ったが、最後の旅立ちまで晴天が続いた。

    パフォーマンスはこちらのTVとか新聞などにも取り上げられたと見た人が言っていた。

    空港までは乗り合いタクシーを頼んだ。来るときは深夜でも2人で25ユーロだったが乗り合いは昼間でも一人10ユーロなのであまり変わらない。

    名残惜しいイスタンブール。最後におおきなザクロの生搾りジュースを飲む。酸っぱくて甘くて美味しい。ホテルマンのイシュファンといろいろイスタンブールをほめたたえつつ空港行きタクシーを待つ。入り口に貼ってある寄せ書きに旅の思い出を書き記す。

    テロがあったせいか空港は少しチェックが厳しい。いきなり空港ターミナルビルに入ったとたん持ち物検査だ。普通、チェックインしてからだが、ここでは荷物全部をすぐにチェックされた。機内に乗り込む前にセブジさんに電話でバイバイを言う。

    アエロフロートは相変わらず混んでいる。そして遅れる。モスクワから東京便の乗り換え時間はあまりない。イスタンブール空港で止まったままだ。なかなか離陸しない。モスクワに着いたとたん走れ!係の女性に時間がないとせっつかれる。これではゆっくりタバコも吸えない。

    帰りは気流の関係で少し早くて9時間くらいで着く。これが楽だ。今年2回、アエロフロートでヨーロッパに行ったが安いためか常に混んでいる。去年はガラガラだったのに。

    今度はどこの国から呼ばれるかな?

    パフォーマンスとFree Shake Hands ProjectのYou Tube動画。



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