Hormone Sekine Official Site
 
Japanese  
Japanese Site
spacer
English Site

TOP

SUMMARY

EXHIBITIONS

PRODUCT

PROFILE

LINK

What's new

CONTACT


月刊誌ナイルス・ナイル
掲載コラム


cover
page
ナイスルナイルはよりよいライフスタイルを提案するカルチャーファッション誌です。
世界的に活躍する日本人画家、彫刻家などのアーティストをピックアップ。
このコラムは2005年12月号より2007年9月号までに連載した記事と現在執筆のもの。
2006.4月号 NO.111 カバーフォト:JUN TAKAHASHI ---------発行:ナイルスコミュニケーションズ
[登場アーティスト]
杉本博司(No.107 )
篠原有史男(No.108 )
黒田アキ(No.109)
荒川修作(No.110)
中島由夫(No.111)
安田侃(No.112)
小林孝宣(No.113)
外尾悦郎(No.114)
ジミー大西(No.115)
松山修平(No.116)
草間彌生(No.117)
村上隆(No.118)
森万里子(No.119)
奈良美智(No.120)
川俣正(No.121)
千住博(No.122)
新宮晋(No.123)
リー・ウー・ハン(No.124)
絹谷幸二(No.125)
横尾忠則(No.126)
大竹伸朗(No.128)
ヘルマン・ニッチェ(No.176)

スエーデンの豪傑アーティスト ー中島由夫(なかじまよしお)


 スエーデンに居を構えて40年。国際的に活躍する現代美術家、中島由夫。彼ほど展覧会を開催している日本人現代作家はいないのではないか。  2005年、日本では5つのギャラリーで個展、それに加えて海外での主なものだけでもスエーデンのトロルヘッタン現代美術館とヘーガネス美術館、ノルウェーのベルイベルグ美術館、デンマークではクンストギャラリー、ドロンニングルンドアートセンター、ヘルマンアーケーレ陶芸美術館など。今年は在スエーデン40周年を記念しスエーデン国家プロジェクトとして国立美術館を皮切りに北欧8ヶ所の美術館で個展が開催される。また欧米の国立美術館など68ヶ所にも作品が収蔵されているからすごい。だがそれ以上に彼自身の人生はもっとエネルギッシュなのだ。
 簡単に生きざまをたどってみる。1940年埼玉県に生まれ、12歳の時、ゴッホの絵に触れ画家を志す。中学卒業後、集団就職で上京。いろいろな仕事をしながら、夜間学校や美術研究所へ通うが、だんだんと画家への道のりの険しさを実感。15歳の頃には目黒あたりの道端で絵を描き、通りがかりで絵を気に入ってくれた人にあげていたと言う。すでにその頃、タダでやれる場所を見つけ初個展をやったというから驚きだ。
 ある日、とある外国人がそんな中島に興味をもち親しくなる。彼はダニエル・ゴールデンという奇しくもゴッホの母国オランダのロッテルダム美術大学の教授。ゴッホに心酔していたとしてもおそらく彼との出会いがなかったら後に、ヨーロッパへは旅立っていなかったことだろう。
 努力と持ち前の行動力のたまものなのか、武蔵野美術大学、明治学院大学、東北神学校で学ぶ。かたや60年代、日本は前衛芸術真っ盛り。彼もその熱風に巻き込まれ、読売アンデパンダンに出品したり、土方巽のアスベスト館に出入りして三島由紀夫と知り合ったり、篠原有司男たちのグループと交わったりいろいろ暴れていたようだ。
   この頃、多くの美術関係の友人たちが海外へ夢を求め出て行く。アメリカを目指す者が多いなか、彼は64年東京オリンピックも見ずにゴールデンの教えるロッテルダム美術大学へ交換留学生として旅立った。
 ここで逸話を残す。幼稚園で絵を教えていた縁で、そこで働いていた女性と親しくなり一緒に来ないか、と口説いた。そして結婚届を出したとたん1年後に迎えに来ると言い残し、一人さっさと横浜港から貨物船に乗り込み渡欧してしまったのだ。旅先からは彼女ができた、とまで手紙に書いて寄こす正直者で、奥さんとアムステルダムで再会したのはなんと一年八ヶ月後。
 それからの二人のヨーロッパ生活は順風満帆とはほど遠く、ハラキリパフォーマンスをやったり酒場で絵を売ったり歌ったりして日銭を稼いできたという。歌といっても、「上を向いて歩こう」一曲だけだったというから恐れ入る。警察のお世話になったことも数多く、特にアムステルダムでプロヴォ(抵抗)という街頭イベントに巻き込まれ国外退去処分。残念ながらゴッホとの縁はこれまでだっただろうか、ながれ流れ運命の地、スエーデンへたどり着く。
 しかしただの流浪の民ではなかった。その物おじしない性格は言葉の壁をあっさり越えて交友関係を広げていく。オランダではコブラ運動のアスカー・ヨルン、飛行機の作品で有名なパナマレンコ、アスカー・ヨルンの弟、ヨルゲン・ナッシュなどに知己を得て日本人唯一のコブラメンバーとして参加。ほかにも渦巻きを散らした幻想的な絵で人気のあるフンデルトワッサーのアトリエにお世話になったりもしている。
 ちなみに日本ではなじみが薄いがコブラとは、カール・アペル、コルネイユ、アレンシンスキー、コンスタンなどを中心に48年に結成されたグループだ。彼らの活動拠点のコペンハーゲン(Co)、ブリュッセル(Br)、アムステルダム(A)の頭文字をとって命名されたコブラは、抽象表現と素朴な具象イメージが入り交じり激しい筆致で描くスタイルで、今や現代美術史的に重要な芸術運動のひとつになっている。
 74年スエーデン国際彫刻シンポジウムの企画責任者としてイベントを成功させスエーデン政府文化アカデミー賞を受賞、89年にはコブラ財団よりアスカー・ヨルン賞を受賞など作家の地位を確固たるものとする。
 とにかく波乱万丈、猪突猛進、唯我独尊、そして国際的に活躍する現代作家・・・中島氏のイメージはとてつもなく破天荒で気難しい人間を思い浮かべる。ところが実物は違っていた。65歳になる今でもとても若々しく温和で明るい気さくな人柄なのだ。
 最果ての地にたどり着き出会った太陽。作品にも共通するそんな暖かさが作家の所作から伝わってくる。事実、彼は北極ラップランドにテントを張り太陽の姿を追ったという。そこから生まれた「北極の太陽」シリーズで日本にも名が知られ日動画廊主催により全国各地で個展を開いている。
 今やその太陽の炎を彷彿させたのか、存続できなくなったスエーデン伝統工芸のラウス焼き最後の窯を2002年より受け継ぎRAUS中島由夫アートセンターを設立、伝統工芸の維持につとめながら陶芸作品も精力的に制作している。
 最近の中島氏の絵や陶芸作品には顔が多く登場している。描かれたそれらの顔はみな瞳を開き、一点を見つめている。面白いことにその視線は鑑賞するものを射ていない。普通、肖像画にしろ視線は見るものをとらえる。しかし彼の描く眼光は軽々自分を通り過ぎていく。思わず自分もその視線を追って振り返ってしまうほどなのだ。
 その視線の先には何があるのだろうか? ラップランドで初めて見た太陽? それとも未来?
 むしろ過去のよき思い出ひとつひとつなのだろうか?・・・一瞬、自由奔放な中島氏の胸中を垣間見たような気がした。
[掲載写真] 1. Bleu Sun 260cm X 150cm 2. Spring is Coming 260cm X 160cm

Page Top↑
前の号
次の号を読む
 

TOP
SUMMARY
EXHIBITIONS
PRODUCT
PROFILE
LINK
What's new
Blog
CONTACT
タグボートにて銅版画作品(キドプレス・プロデュース)絶賛、販売中!http://p.tl/Qeme
All Reserved ©Hormone Sekine,2010